この国の未来を考える

責任を取らない・取らせない民族

日本人の本質は変わっていない

 新聞などの社会時評や論壇時評で秀逸な言説に出会うことは少ないのですが、東京新聞・713日付け夕刊の、ノンフィクション作家である保阪正康氏の「現代の歪みの構図」は、まさにその少ない中の一つになるものでした。副題は「BC級戦犯裁判を想起させる」となっています。

 

 全文を掲載するわけにもいかないので要点だけ整理すると、まずは加計学園や森友学園問題、さらには自衛隊中堅幹部が国会議員を罵倒した件、そして防衛省のイラク日報隠蔽事件と日大アメフト部問題など、これらの事象から感じることは、この社会は虚言や誤魔化し・言い逃れ、果ては責任転嫁を当然としているようだ。そしてこの構図の特徴は、責任をより下位の者に押しつけられること。もう一つは、自衛隊中堅幹部のように「言った」「言わない」に持ち込んで、うやむやにしてしまおうという計算があるという内容です。

 

そして保阪氏は核心を突きます。(記事から引用)
「この二つの特徴を最もよく重ね合わせることができるのが、太平洋戦争後に、連合国によって裁かれた日本人将校・下士官・兵士のBC級戦犯裁判である」

 

裁判記録では、上官は「殺害しろとは言っていない、始末しろとは言ったけれど」と強弁して責任を兵士に押しつけたケースが多く、その結果死刑になったケースが少なくないようで、さらにトラック島における捕虜に対する人体実験を疑われた件では、警備責任者の海軍中将と軍医長の中佐らの間で、捕虜の処分について「言った」「言わない」の対立記録もあるようです。

 

さらに保阪氏は指摘します(原文のまま)
▲BC級戦犯裁判の残された記録(意図的に焼却されたものも多い)は、末端の兵士に責任を押しつけられていくケースが多いと語っている。この構図は、「言った」「言わない」や「会った」「会っていない」の社会事象と全く同じなのである。

 

▲日大アメフト部の監督とコーチの記者会見で語った弁解と孤立する学生、そして柳瀬唯夫・元首相秘書官や佐川宣寿・元財務相理財局長の国会答弁などは、まさにBC級戦犯裁判そのものだとの感がしてならない。責任を押しつけられる末端の官僚が資料の改ざん、隠蔽を行い、あるいは自死を選ぶ悲劇は、近代日本の歪みの構図と思えてならないのだ。

 

 

旧日本軍の実態については知っていますが、改めてこのようなことに触れると言葉を失ってしまいます。これは以前に聞いた話ですが、ガダルカナルでの戦いだったか、それとも別の地域だったかは忘れましたが、あまりの大敗の責任から逃れるために、その作戦を指揮した参謀将校は台湾の温泉に逃げ、しばらく身を隠していたというのです。しかし大本営は、参謀将校に責任を取らせると作戦の失敗を認めることになるので不問に付したのです。ちなみにこの将校は、何の責任も取らずに戦後もぬくぬくと生き抜いたとか・・・・。
 これはある番組で、軍事ジャーナリストである田岡俊次氏が話していたことです。もっとも不問に付したわけですから、資料として残っている話ではないでしょう。おそらく田岡氏が若い頃に旧軍人から聞いた話だと推察していますが、まぁ、紛れもない事実であろうと私は考えています。なぜなら、この手の話は腐るほど転がっているからです。

 

 ところでみなさんは第二次大戦時の、旧日本軍戦死者で最も多いのは何だと思いますか? 驚くことなかれ、なんと「餓死」なのです。しかもその数は全兵士の半数にも及んでいるとか。戦って死んだのではない、餓死ですよ! もちろん末端の兵士ばかり。これでは死んでも死にきれなかったでしょうね。
 けれどもこの責任を取った幹部将校は一人もいないのです。旧日本軍は明治の時代から食料などの兵站は現地調達主義でした。ですから最初は現地で強奪できたけれど、戦闘が激しくなれば強奪できなくなるのも当然で、しかも反日ゲリラが日を追うごとに拡大しているのです。補給路など最初から計画すらしていない。であれば戦況が不利になるほど「餓死」の可能性は高まってゆくのです。このような状況ならさっさと撤退すればいいのですが、兵士の生命など一ミリも考えない幹部たちは、補給ができないのに戦うことを命じたのでした。

 

 敗戦から70年以上が経った今でも、責任を取らない幹部という事象があることを保阪氏が指摘しました。要するに何も変わっていない。もうこれは民族としての本質でなかろうかと、正直、絶望してしまいます。
 さらに最悪なのは責任を取らせない国民の存在です。おそらくどの民族でも責任を取ろうとしない人物はいるでしょう。けれどもそれは国民・市民が決して許さない。隣の韓国でもアメリカや欧州でも、それは実現されています。国民・市民が黙らされているのは一部の独裁国家だけなのです。

 

あれだけの苦役を与えられても日本人は戦争責任の追及を行いませんでした。なんと従順な民族なのでしょう。権力者たちが舐めるのも当然です。それは今でも継続しているのです。なにしろ、これだけ安倍政権や自民党や公明党が酷いことをやっても、まだ三割以上の国民が支持するというのですから。もしかしたら奴隷根性というか植民地根性は、日本人のDNAに宿っているのかもしれません。私は違うけど・・・・。

 

 ところで「脳ミソの足りないネトウヨ」たちは、BC級戦犯裁判そのものが〝デッチ上げ〟なんだ、と言うでしょう。バカにつける薬はないので、こういう連中は無視するに限りますが、結局こういう輩の存在を許してきた民族と社会だからこそ、こんな「恥ずべき事象」が起きると思えてなりません。

 

保阪氏の論説で愕然としていたのですが、そんな時にこんな記事を発見しました。

 

日本での司法取引、増えるか 初適用となったのは企業
(朝日新聞デジタルより 715日付け)

 

 事件の詳細と司法取引については省略します。ただ興味を引いたのは、もしかするとこれで「滅私奉公」という、日本独自の愚かな企業文化が変わるかもしれないと感じたからです。

 

今回の件は海外の公務員に対する贈賄容疑ですが、なんと企業(法人)側が罪を軽減するために社員の捜査に協力するそうです。もちろん社員が私腹を肥やすためだったら当然でしょうが、そうではなくて会社の利益のためだったならば、果たして成立するのかという疑問が出てきます。
 これは前述した問題と絡んでくるのです。要するに会社の上層部は「法令違反までしろとは指示していない」と責任逃れをするのは間違いないからです。けれども一方では利益至上主義を強要している。社員のみなさん、これでは堪りませんよね、司法取引されて責任を押しつけられたら・・・・。
 ですから今、上層部や幹部から無理難題を押しつけられ、場合によっては法を犯すことを余儀なくされていたら、遠慮なく検察に出向いて司法取引をしましょう。そして上層部や幹部たちを刑務所にぶち込んでやりましょう。何でも末端に責任を押しつける連中に対抗するにはこれしかない。自分自身や家族を守るためなのです。決して恥ずべきことではありません。もちろん官僚のみなさんも。

 

司法取引制度の問題点は承知しています。他人を罪に陥れることが容易になるのは事実ですから。しかし使い方次第では「滅私奉公」という唾棄すべき文化を葬り去る武器になるかもしれないのです。もう変わらなければいけないとは思いませんか? 責任を取らせる民族になるために。

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2017年の衆院選は歴史の転換期の一つに数えられるかもしれません。それは良い意味なのか悪い意味なのか、まだ誰にもわかりません。ただ私の感覚では悪い方向へと向かっているという気持ちが強くあります。しかし決して諦めるつもりもありません。私個人のできることなどたかがしれていますが、やらないよりやった方が良いことは間違いありません。そんな気持ちで今後もブログを続けます。

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