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この国の未来を考える

「人を殺すための予算」という発言について

軍隊という存在

民主党政権時代の官房長官だった仙谷由人氏が「自衛隊は暴力装置」と国会で発言して批判されたことがありました。結局、発言の撤回も陳謝もなかったように記憶していますが、自衛隊=軍隊と考えた場合、例えば治安維持に使われた時には「鎮圧」とか「制圧」という名目で〝弾圧〟が行われれば、それは暴力装置としての軍隊となります。

1980年に韓国で起きた「光州事件」は、当時の軍事政権が北朝鮮の扇動による暴動だとして、その鎮圧に軍隊を投入して多くの民衆が犠牲になりました。しかし民主化された後に様々なことがわかり、これは民主化運動に対する弾圧と認定され、事件当時の大統領とその後任大統領が逮捕されるという結末を迎えました。要するに軍隊という存在は、使われ方しだいで〝暴力装置〟にもなれば〝解放軍〟にもなるという見本みたいな例です。


防衛予算の中身とは

「人を殺すための予算ではなく、人を支え、育てる予算を優先させてゆく」と、討論番組で発言した共産党の藤野政策委員長が批判を浴びて政策委員長を辞任しました。
言いたいことの主旨は理解できますが、言葉の選び方と組み立て方が稚拙すぎます。辞任会見では、海外派兵に予算を使うのなら福祉や子育てに使うべき、という意味で言ったと釈明していましたが、だったらそう表現すべきで、あまりにお粗末というほかありません。

国会議員の劣化が取り沙汰されていますが、どうやら自民党を含む保守勢力だけではなさそうですね。政治家は言葉が武器なのですから、揚げ足を取られるような言説を、しかも選挙期間中にするとは。私ですら「防衛予算を、人を殺すための予算とは何ごとだぁ!」とツッコミを入れられるのですから。少なくとも私が若い頃の共産党議員たちは、時おり教条主義的な言動になって批判されることはあっても、こんなヘマはしませんでしたよ。

ただ、安倍首相の「自衛隊に対する最大の侮蔑だ」という〝すりかえ〟にも困ったものです。自衛隊の海外派遣を可能にして、他国の人を殺してしまう危険性を高めた張本人は、いったい誰ですか?
「血も涙もない共産党に、人々の命や財産を任せるわけにはいかない」と指摘した公明党の委員長に至っては、何を言いたいのかさっぱりわかりません。

藤野氏の発言は、確かに言葉が足りません。しかし専守防衛とは全く異なった、海外派遣を実現するための訓練費用や移動経費、そして武器購入費などの予算は本当に国民を守るためのものなのでしょうか。

東日本大震災での活動で自衛隊の好感度が上がったのは事実です。それは熊本地震でも同様で、それ自体を否定するつもりはありません。けれども彼ら彼女らは、普段はまさしく「戦う」ための訓練をしているのです。災害派遣はその延長上に過ぎず、どの国の軍隊でも行われていることで特別なことではありません。前述したように、要はどう使われるかで救世主にもなれば破壊者にもなるという現実から逃れることはできません。そういう意味で、もう少し自衛隊の活動に対して冷静な目を持つべきではないでしょうか。


THE PACIFIST WAR(平和主義者の戦争)

このタイトルは、カタールの放送局であるアルジャジーラが自衛隊を取材した際の番組名です。ユーチューブで見ることが可能ですし、日本語の説明文もありますが、機械的な翻訳のせいか解りづらいのが難点です。

番組冒頭に富士演習場での戦闘訓練映像が流れますが、まさしくこれは地上戦を想定した訓練であり、敵兵を殺す、または敵勢力を壊滅するものです。しかし前回で指摘した通り、現代の軍隊同士における戦争は制空権の争いですから、陸上自衛隊の地上戦訓練はいったい何を想定しているのか、と考えざるを得ません
他国の軍隊や他民族の武装勢力が日本の領土にいるということは、すでに制空権や制海権を奪われている証拠ですから、その時点で陸上自衛隊は全滅とまではいかなくても相当なダメージを受けているはずです。だとしたら、本来ならゲリラ戦をするための訓練をした方が専守防衛に適していると思うのですが。

陸上自衛隊の訓練映像が中東やイラクに流れているのです。これらの国の人々は何を思うでしょう。「平和主義者の戦争」というネーミングは、皮肉であると同時に、その本質を突いていると思えてなりません。日本の動きを警戒しているのは明らかでしょう。


実態を知ることの大切さ

高遠菜穂子さんの報告を時々拝見していますが、私がもっとも衝撃的だったのは、自衛隊が派遣された時のイラクの人々の反応でした。詳しくは御本人の著作なり、ツイッターやユーチューブなどでも発信しているので、そちらを見ていただきたいと思いますが、素直な感想は〝やはり〟です。
当然なのですが、自らが住む街に他国の軍隊が駐留していて喜ぶ民族などいるはずがありません。たとえどんなに人道的な支援をしたとしても、それが武装した集団では信用されるはずないのです。

高遠菜穂子さんは言いました(要旨です)
「一緒に活動していたイラク人から、この国では外国人よりイラク人の命が軽いから、日本人と活動していると知られると命を狙われる」
「一時期ですが、日本から来た支援物資に貼られたラベルなどを全部剥がして、日本の物資とはわからないようにした」
「それらは自衛隊が撤退するまで続き、ここ数年でようやく日本人に対する印象がやわらいだと思ったら、集団的自衛権の容認という報道がイラクにも流れたので、またアメリカの手先になるのか、と言われ始めている」

高遠菜穂子さんに関しては色々な意見があるのは承知しています。しかし私は、人質になった際の理不尽な非難を腹立たしく思っていた方なので、今でも支援活動を続けていることに敬意を持っています。勇気がなければできないことで、さらに付け加えるならば、日本に報道されること自体が難しくなっている今では、高遠菜穂子さんはイラクやシリアの現状を知るうえで貴重な存在と言えるでしょう。
そんな彼女に関心を持って見ていますが、ようやく理解しました。なぜジャーナリストたちやボランティアたちが行くのを日本政府が嫌がるのかそれは〝実態を知られる〟と困るからで、もしそうなれば集団的自衛権の行使など吹っ飛ぶからです。


派遣された側と憎悪を受ける側

あまり想像したくはありませんが、市街地でのゲリラ戦に対応する訓練を陸上自衛隊は秘かにやっているのでは、と推測してしまうのです。そして、もし仮に自衛隊派遣が実施されたら報道規制されるのは間違いなく、私たちは実態や活動を知ることができなくなるのです。
気づいたら「自衛隊派遣された側」から恨みを買い、憎悪の対象としてテロ行為の標的にされていた・・・・。そんなことにはならない、と大半の日本人は思っているでしょう。私も、さすがにそこまでは、と信じたいのですが。しかし、どこの国の紛争でも、どの地域の紛争でも、どの民族同士の紛争でも、始まりは「憎悪」です。そのことは決して忘れてはならないのです。

今回の「人を殺すための予算」という騒動ですが、同じようなことを「派遣された側」の人々から言われなければよいが、と私は願うばかりです。

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徴兵制にはしないって、本当?

あなたが暮らすこれからの世の中

参議院選挙が始まりました。
序盤では自公が優勢と報じられていますが、選挙区・比例区とも態度を決めていない人が4割以上いるようなので、これを世論調査と言えるのかは疑問ですが、ある意味予想通りであり、ある意味意外でもありました。予想通りというのは、この国の保守基盤の堅いことは十分承知しているので、全ての1人区で野党統一候補が誕生したからといって簡単に崩せるものではないという意味です。その反面意外だったのは、もう少し支持が広がっているのでは、と希望的な観測を持っていたからですが、やはり甘かったようですね。
けれども希望の芽が少しずつ生まれているのも事実です。それは安倍政権があまりにひどいからですが、たとえ今回の選挙で目指す結果が出なかったとしても、この流れというか希望の芽は決して消えることないでしょう。何よりも私は諦めるつもりはありません。ただ一つだけ、特に10代・20代のみなさんにお願いします。21世紀のこの国の未来がどうなってゆくのか、その行方を決める第一歩の選挙ですから投票には必ず行ってください。もちろん、よく考えて選んだ欲しいのですが、とにかく大事なことは、自分がどんな世の中で暮らしてゆきたいのかイメージすることです。あなたの思い描く世の中に少しでも近づこうと努力しそうな政治家は誰か。それとも、あなたが住みたくないとイメージできる世の中に近づけようとしている政治家は誰なのか。直感で良いのです。自分の感性を信じてください。


自由が奪われるかもしれない・・・

自公が過半数を占めても、野党が過半数を占めても、世の中がすぐに変わるわけではありません。憲法改正も簡単ではないでしょう。しかし幻想としか思えない経済政策、いや正確に表現すれば、政策とは言えないごまかしの羅列に多くの国民が賛同してしまったら、この国の進む道は間違いなく戦前のような社会になると思います。といっても全く同じということではありません。なぜなら日本を取り巻く世界の環境も、この国の社会的状況も戦前とは違うからです。けれども本質としては同じです。たとえ21世紀であっても〝人間としての自由〟が奪われることには変わりがないからです。

例えば〝徴兵制〟です。徴兵された兵士では戦えないって、本当だと思いますか?

安保関連法案の審議が盛んだった昨年の今頃、この法案は徴兵制を導入する「きっかけ」になると反対側から多くの指摘がでました。それに対して安倍首相は、およそ下記のような内容で反論しました。
1、兵器の発達した現在では使用するにあたって相当な熟練が必要となる。
2、徴兵による短期間の訓練では兵器操作習得が難しい。
3、徴兵による隊員では士気が低く、厳しい訓練や高度な作戦に対応できない。
内容はこんな感じだったと思いますが、現在の自衛隊では徴兵制を実施する意味はなくなっている、という要旨だったと記憶しています。
国会での答弁をTVニュースで見たのですが、このような発言に対してマスコミや野党から反論が少なかったと記憶しています。もちろん全てに接しているわけではないので見落しているかもしれません。しかし、あえてこの時期に指摘するのは、こんな稚拙な理屈を平然と述べる人が首相であるという深刻さと、同時に、今回の参議院の結果しだいで徴兵制導入の可能性が高まるのは間違いないからです。加えて、徴兵の対象となる10代・20代・30代の人たちが現代の戦争をどれだけ理解しているのか、私自身が不安に感じていることもあります。

 

もっとも必要な兵士とは

1、最新兵器を使うのは、いつの時代でも訓練された職業軍人だけ。
2、治安維持に駆り出される兵士が最新兵器を使うことはない。

基本的な戦争とは軍隊同士の戦いで、まずは制空権の争いから始まります。現代の戦争は、ほぼこれ一点に尽きると言って良いでしょう。アメリカがなぜ最強の軍隊を言われるのか。それは空軍力が突出しているからです。戦闘機にしても爆撃機にしても偵察機にしても、さらには空母の能力も。どの国もアメリカを上回ることはなく、だからこそ軍隊同士の戦闘ではアメリカが必ず勝つのです。
しかし制圧や占領したとしても抵抗勢力が残っている場合はどうなるか。第一次イラク戦争から第二次イラク戦争と続き、圧倒的な軍事力でフセイン政権を倒しましたが、イラクに戦闘のない日々が訪れたでしょうか。アフガニスタンに平和が訪れたでしょうか。

地上戦となって一時的に制圧したとしても治安維持という名目で掃討作戦が行われます。けれども〝掃討される側〟は、ゲリラもしくはテロリストとして抵抗します。この場合では最新兵器が全く役に立っていないのです。
無人攻撃機が導入された理由は、治安維持に従事する地上部隊に多くの犠牲者が出てアメリカ世論の非難が増したからです。現在では色々な無人攻撃機があるようですが、これらは全て最新兵器です。けれども、あくまでも空爆のような攻撃に使うだけで治安維持に活用できるという話は聞いたことがありません。

治安維持に最も必要なのは「兵器」とは何だと思いますか? それは兵士です。

市街地や農村部や山間部などのあらゆる場所で、ゲリラやテロリストたちが隠れていないか、または匿われていないかを調べることは機械にはできません。そもそも戦闘員なのか非戦闘員なのかを判別すること自体が難しいのですから、どんなに兵器の技術が進んだとしても治安維持を行うのは、いつの時代であっても「兵士」なのです。直接住民と接しなければいけないという現実。それは、住民の中に紛れ込んでいるゲリラやテロリストたちと否応なく向き合うことです。
最強と呼ばれているアメリカ軍でもイラクやアフガンで死亡者が出ています。地球上で一番多く戦闘を経験し、さらには厳しい訓練を受けているにもかかわらず。ちなみに現在のアメリカは徴兵制ではないので兵士は全て志願者です。それでも犠牲者が出ている事実を見れば、戦闘経験の全くない自衛隊が行った場合、ゲリラやテロリストからすれば格好の餌食・標的になるのは間違いないでしょう。


自衛隊派遣の本質

平和安保法制での自衛隊の役割は同盟国に対する後方支援となっています。軍隊同士の戦闘が〝現に行われていない〟となっていれば派遣要件を満たすのですが、どうやらゲリラ活動やテロ行為を戦闘とは規定していないようです。おそらく、そのような危険性があったとしても「後方支援」なら大丈夫、という理由で派遣するのでしょう。しかし後方支援の実態を新聞や雑誌などが指摘をしました。それは、補給行為が主任務となる部隊であるがためにゲリラやテロリストから最も狙われやすいということでした。

兵器の実力では太刀打ちできないのですから、最新兵器を必要としない、ある意味弱い部隊を攻撃するのは当然でもあります。けれどもそこには避難民や住民がいることも容易に想像できます。そして後方支援でありながらこれらの部隊は、治安維持という名目でゲリラやテロリストたちを探し出して捕まえなければいけない、場合によっては殺すこともあり得ます。
なぜ、このような指摘をしたかというと、これが自衛隊派遣の本質だからです。もっと簡単に言いましょう。アメリカの代わりに「治安維持活動」をすること、これこそが今回の平和安全法制の目的なのです。
アメリカは、もうこれ以上犠牲者を出したくない、けれど利権は確保したい。だから最新兵器を駆使する戦闘はやりましょう。けれども地上戦に近い治安維持活動は、どうか日本の自衛隊でお願いしますよ、というのが本音だと考えています。


徴兵は静かにやってくる

PKOによるスーダン派遣が実施されます。法律的には、いわゆる「駆け付け警護」が可能になったので、自国の領土以外での戦闘の可能性が高まりました。もしかしたら初めての犠牲者が自衛隊に出るかもしれません。そして、アメリカからの要望で平和安全法制に沿って自衛隊が派遣されたら、おそらく確実に「戦死者」が出るでしょう。そうなると自衛隊員から拒否者や辞める人が出てくるだけでなく、新規入隊者も激減することも考えられます。そうなると困るのは政府です。アメリカの意向には逆らえないので何とかしなければならない。ですから事前に準備しておく必要があります。

今回の参議院選挙で自公が過半数を占めたら、とりあえずは福祉関連の賃金を少しだけ上げるでしょう。けれども財源がないのですから帳尻合わせのために他の社会保障費を削るのは間違いありません。そして、その不評から目を逸らすために「奨学金制度の拡充」を言いだすと予想しています。
内容は有償・無償と取り交ぜながら、これまでよりも金額を上げて条件も緩和するでしょう。そして、我々は貧困による教育の不平等にも取り組んでいる、と声高くアピールします。ただし条件が最後の方に付くのです。

自衛隊にある一定期間入隊したら奨学金の返済を免除する。または自衛隊活動に関連する企業、もしくは団体に所属した場合も同様とする。

格差が増々広がっている現状では、一部の富裕層と大多数の貧困者に若者たちは二分され、向学心のある者、または現状から抜け出したい若者ほどこの制度を利用すると思うのです。すると政府や一部の人間たちが、国を思う立派な若者だと称賛し、さらに煽ってゆく光景が目に浮かびます。けれども彼ら彼女たちが、はたして無事に親元に帰ってくるのでしょうか。無言の帰還という事態にはならない、という保障などないのです。

もしかしたらここまでやるかも、というのを一つ指摘しておきます。自衛隊の任務に就いている期間は借金等の返済を猶予する。または自衛隊員を職業とすると誓約・契約した者は借金等の返済を免除する。まさしく現代の「徳政令」です。もちろん債権者から不満が出るでしょう。しかし政府は、こう言います。「国防に従事する者を苦しめるものは国家として許さない」と。徴兵制を法律にしなくても貧困と格差を利用すれば兵士を集めることは実に簡単なのです。もっとも、多くの国民が[No」と言えば別ですが・・・。

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戦争という言葉を、もう一度考えてみましょう

「戦争を憎む」とは

戦争を憎むと言う人がいます。よく聞く言葉であり文章でも時々見かけますが、これは、いったいどういう意味なのでしょか?

なぜなら戦争といっても実態は色々です。憎むといっても、理由に関係なく戦争すること自体なのか、それとも戦争になった理由なのか。さらには戦闘行為・戦うことそのものなのか。ただ「戦争を憎む」と言っても、その中身について語らなければ何の説得力もありません。

そもそも戦争はどうして起きるのでしょうか?

ある国・ある民族・ある地域の組織的武装集団(たいていは軍隊)が、ある国や、ある民族が居住している地域、または色々な民族が居住している地域に対して武力攻撃を仕掛けたとします。これに対して攻撃を受けた側が、組織的武装集団であろうが非戦闘員であろうが抵抗すれば戦い(戦争)になります。もし抵抗しなければ「奴隷化」されるか、最悪「虐殺」もあり得ます。

この場合でも戦争を憎むのでしょうか。戦うぐらいなら奴隷化や虐殺の方がまし、とでも言うのでしょうか。この場合の戦争とは侵略戦争と表現すべきで、「侵略戦争を憎む」というのなら理解できます。


戦争の種類と目的

歴史上の戦争の多くは侵略ですが、国同士の戦いで、お互いの領土以外で武力衝突することがあります。このケースでは戦闘行為が行われている国または地域に、本来あるべき勢力(政府または統治能力を持った組織)が機能していない時に発生しやすくなります。大半は利益確保のために他国が干渉し、頼みもしないのに軍隊を派遣してくるので二国間もしくはそれ以上の戦いになることもあります。けれどもそこには国民や住民が必ずいますから、最も恐ろしい地上戦に巻き込まれてしまいます。巻き込まれた側からすれば、これもやはり「侵略」に該当します。現在のイラクがまさしくそうで、しかも新しい兵器の実験場と化しているとか。

もう一つのケースとしては、ある国の軍隊が、ある国や地域を軍事的に占領または制圧したとします。一応戦闘行為は収まった、とされ「戦争は終わった、平和が訪れた」と占領軍・制圧軍が言います。ところが占領・制圧された側の国や地域の人々が納得せず、軍事的に劣勢であっても戦いを挑むことがあります。ゲリラ戦と呼ばれるものですが自爆テロなども含まれます。これも「戦争」で、例えばベトナム戦争などが該当するでしょう。

以上のケースで共通していることは、攻撃をする側とされる側が必ず存在し、無抵抗なら「戦争」にはならないということです。

では、なぜ攻撃という行為が起きるのでしょう。それには必ず理由があります。結果としての勝利を得る、または目標とする状態まで達成すれば攻撃を仕掛けた側には利益があるからなのです

利益の内容は色々ありますが、一番わかりやすい例としては明治憲法下の日本です。説明の必要はありませんね。歴史をほんの少し勉強すればわかることで、列強の植民地からアジアを解放するための戦いだった、などという嘘は通用しません。


戦争をするにも軍隊を維持するにも、お金が必要です

戦争をするには膨大な経費が掛かります。正確に言えば戦闘行為をするために部隊を移動させるだけでもお金が必要なのです。例えばイージス艦をある海域に派遣するだけでもタダではできません。それは全て我々の税金です。

実際に戦争が始まれば、あらゆる物を破壊して人間も殺しますが、弾薬も兵器もリサイクルできないので新たに製造するか購入しなければなりません。これも我々の税金なのです。

兵器産業に従事する人々を、なぜ「死の商人」と呼ぶのでしょうか。それは戦争でも必ず儲かる・利益を得るからです。かくて戦争が始まり、長引けば長引くほど「死の商人」は儲かり、戦争を始めた側も攻められた側も財政は破綻してゆきます。

地球上の国家と呼ばれる存在で最も戦争をやってきたのはアメリカですが、現在の状況を御覧なさい。あの、世界で最強の軍隊を持つと言われているアメリカの財政は破綻しているのです。けれどもアメリカの軍需産業は確実に利益を上げています。


たとえ望まなくても「侵略軍」として見られてしまう可能性が・・・

自衛隊法から「侵略」という言葉を削除してしまったことは前回で指摘しました。基本的には侵略に対して自衛するための存在だったのですが、領土以外での活動を認めるということは武装組織なのですから、戦闘行為の可能性は当然としてあります。国連からの要請というのは建前ですがPKOも内容としては本質的に同じです。

もちろん、すぐに「戦争」に繫がると言うつもりはありませんが、武装した状態で他国の領土で行動する自衛隊の姿は、たとえ「活動」の範囲であっとしても、派遣された側の国民や住民にはどう映るのでしょう。救世主と感じるのでしょうか、それとも侵略者と見てしまうのでしょうか。

侵略国家としてアジアの国々や住民に多大な損害を与えたのは、たった七十年前のことです。その日本が・・・私の憂いは増すばかりです。

もし第三国や日本の領土以外で自衛隊の戦闘行為があった場合、そこの国民や住民が、意図はどうあれ戦闘に巻き込まれたら自衛隊に対して敵意を向けることは容易に想像できます。もちろん自衛隊員が望むことではないことは承知しています。しかし自国の領土以外に武装集団を派遣するということは、そういうことではないでしょうか。


テロの危険性を高めた愚かな首相

安倍首相は国会で「この法律によって我が国が戦争に巻き込まれる可能性は減った」というような発言をしました。冗談はたいがいにして欲しい。いや、冗談ではすまされません。事態は、全く逆です。

自衛に徹している限り、領土だけを守っている限り、もともと戦争に巻き込まれる可能性などほとんどないのです。他国に出てゆくことは、むしろ恨みを買ってしまう可能性を高めるだけで、それこそテロの標的になるのです。劣勢に立たされている側にとって唯一の復讐手段がテロだということを多くの人が指摘しているではありませんか。

安倍首相は日本の政治史上、最も愚かな宰相として歴史に名を残すことになったようです。その理由は〝テロの標的になる政策を行い、国民を危険にさらした〟

10代や20代のみなさん、あなたたちはテロに怯える国で、これからも暮らしてゆきたいですか?

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平和安全法制の正体

政権選択の選挙ではない

参議院選挙に向けての動きが活発化してきましたが、やはり安倍政権は経済を前面に出してきました。前回の衆議院選と同じですね。けれども、その後はどうだったでしょうか、言っていたのとは違うことを実行しました。今回も同じだと思います。

保育士の件についても騒ぎを大きくなってから賃金を上げると言い出したのですから、参議院選挙が終われば「新しい判断」とかで撤回するかもしれないし、選挙で負けるのが怖くて消費税を上げられなかったので、参院選後に社会保障費を削減するのは間違いないでしょう。もし一億総活躍とかが本気だったら、たとえ少しだったとしても保育士の賃金を選挙前に上げるのがスジではないでしょか。

18歳で選挙権を得た人、または20代・30代で、これから家庭を持って子育てをしたいと思っている人たちはよく考えてほしいのです。自分たちの上の世代の実情をみてください。これら世代の時代の大半は自民党政権でした。もちろん自民党政権で利益を得た人もいます。しかし、少なくとも2000年以降は利益を得ていない人が大半です。これらのことを考えれば選択肢は自ずと決まってくると思うのです。

今回の選挙が政権を選択するものではないからといって経済政策がどうでもいいとは言いませんが、大事なことは安倍政権に対する評価です。このまま暴走を容認するのか、それとも歯止めをかけるのか、その二点ではないでしょうか。


本当に必要な経済政策とは

「金は天下の回りもの」という言い方がありますが、お金が循環しているということは、それだけ人や物が動いている証拠でもあり、いずれはお金を持っていない人にも回ってくるという意味も含まれています。この言葉通りに中間層や貧困層にもお金が回れば景気は間違いなく回復するでしょう。しかし現在の状況は、利益を貯め込んだままで賃金に転化しない大企業や、株などに投資もしくは海外に資産を移している個人の富裕層が大勢を占めているようです。これでは決してお金は回りません。

数年前だったと思いますが、賃金を上げずに利益を留保している企業から税金を徴収して、それを再分配すべきと言っていた経済学者がいました。失礼ながら名前を忘れてしまったのですが共産党も同じようなことを言っています。例えば失業保険の給付延長や増額、再就職のための職業訓練資金、低所得層に対する教育資金の援助などに充当すればお金は回り始めると思います。そうすれば世の中はもっと明るくなるのは間違いないでしょう。

もし安倍首相がこの政策を実行したら、そのためのアベノミクスだったのかと評価が一変し、まさしく良い意味で歴史に名を残す宰相となるはすです。しかしその可能性は、残念ながら(?)ゼロです。なぜなら、こんなことを言い出しただけで首相の座から引きずり降ろされるからです。彼は終始一貫、一部の人のためだけに経済政策を実施してきました。ですから多くの国民が喝采することをやるはずがありません。


平和安全法制の正体

昨年のことを思い出してください。私は、おそらく安倍首相は悪い意味で歴史に名を残すことになるのでは、と考えています。なぜなら彼は、やってはいけないことをやってしまった一員の代表者だからです。それは憲法を遵守すべき立場である首相にありながら、戦後、誰も踏み入れなかった、いや、決して踏み込んではいけない領域まで暴走したからです。けれども、お粗末の一言です。なぜなら、この法律のまやかしについては私程度の人間でも指摘できるからです。その例を一つだけ挙げましょう。

平和安全法制の概要というのが政府から出ています。その中の自衛隊法の改正から抜粋しました。読みやすくするために句読点を入れましたが、その他は原文のままです。

(自衛隊の任務) ※「直接侵略及び間接侵略に対し」を削除

第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

(防衛出動) ※「存立危機事態」を追加

第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立、並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。

一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態、又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態

二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態

法律とは解釈と運用だ、ということを私は身に染みて知っています。必要に迫られて一時法律を勉強したことがあるのですが、そのとき感じたことは、作った側が使いやすいものでなければいけないというのが徹底していることでした。

まず、直接侵略及び間接侵略に対し、という文言の削除についてですが、これだけでも明確な憲法違反です。

侵略に直接も間接もあるのか、というツッコミは別にしますが、安倍首相は「侵略の定義は定まっていない」と、およそ政治家とは思えない発言をしました。あまりに馬鹿馬鹿しいので言及しませんが、自国の領土に他国の武装勢力が侵入してくれば抵抗するのは当り前です。抵抗しなければ奴隷化されるからです。ですから侵略した旧日本軍に対して中国大陸の人々が抵抗したのは極めて当然のことで、そういう意味でも日本国憲法が自衛権(抵抗権)を否定していないと考えるのは自然だと言えるでしょう。

ところが今回の法律は、自衛隊の責務として容認されていた侵略に対する反撃権(自衛権もしくは抵抗権)を拡大解釈というか捻じ曲げてしまいました。

 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、というだけにしてしまうと、たとえ他国の領土であっても、これらの文言に当たると解釈すれば自衛隊を派遣できる(運用)ことになるのです。憲法九条の第一項は・・・・武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する、とあります。

要するに、自国に対する侵略に対しては国際紛争とは言えないので違反はしませんが、侵略という該当要件を排除して国際紛争でも自衛隊を派遣できるとしたら、平和や独立や国の安全という言葉を並べて我が国の防衛と表現したとしても、それが自国の領土以外で行われるのなら自衛(抵抗)とは言えません。ですから憲法違反は明白で、憲法学者の九割が反対するのは当然と言えるでしょう。

次に「存立危機事態」についてですが、これって、そもそも日本語として成り立つ言葉でしょうか?

国の存在そのものが消滅する状況とは、まずは植民地化でしょう。他民族・他国に支配されることです。その他では、核兵器を使用されれば国民そのものの存在がなくなる可能性があります。

植民地化になりそうな「事態」になって抵抗しない国民などいないと思うのですが(例外はいるかも)、核兵器を使用されそうな危機が仮にあったとしたら、そうならないために政治家がいるのではないでしょうか。ですから、まず前提自体が間違っていると思えてなりません。しかし、百歩、いや一万歩譲ったとして、この「存立危機事態」という事態があったとしても、この文言のいい加減さは際立っています。なぜなら私程度の人間でも都合よく解釈することができるからです。馬鹿馬鹿しいですが、参考までに。

例えば、アメリカがある国で戦闘行為に及んでいたとします。ところが、どうも思い通りにいかない。むしろ苦戦していてアメリカ国内では撤退の声まで出始めている。けれども、これまで散々コストを掛けているので簡単には撤退できない。そこでアメリカ政府(大統領)が言うのです。

「ここで撤退すれば軍事的損失や経済的損失から、アメリカという国の存在自体が危うくなる。そうなれば日本も困るでしょう。ここはそうならないために、ぜひ自衛隊を派遣してアメリカを助けてほしい」

こう言われた時の首相は、さて、と考えました。

「アメリカの存在が危うくなれば我が国も他人ごとではない。日本という国の存在も危うくなり、ひいては国民の生命や幸福追求の権利も覆されるではないか。これは存立危機事態に該当するのではないか・・・・」

と、時の首相が「判断」すれば自衛隊を派遣できるのです。

このような「事態」は、果たして空想でしょうか? 共和党の大統領候補であるトランプ氏が言っていることは、まさしくこのような「事態」ではないでしょうか?

10代・20代の皆さん、こんな「事態」になっても自分たちには関係ないと思えますか?


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世代の責任

はじめに

参議院選挙が近づいてきました。どうやら同日選はなさそうですが、今回の選挙は、これからのこの国を左右する大事なものとなるでしょう。一言で言えば、自公が過半数を取れば憲法改正への流れが加速し、野党が過半数を取れば安倍政権の横暴なふるまいが一休みします。
ここで重要なのは憲法改正への道を進んだ場合、どんな国になるのかを想像してみること。または野党が過半数を制した場合、進んだ針をどこまで戻せるかを想像してみること、だと思います。どちらを選択するか、あらゆる国民、あらゆる世代の人々の判断が問われるのは間違いなく、このような選挙は、おそらく戦後七十年の間で初めてではないでしょうか。
 
オートレースの未来を考えているうちに、この国のギャンブルの在り方について考えるようになりました。ギャンブル自体は様々な問題を抱えていますが、だからと言ってギャンブルを全面禁止するべきとは思っていません。しかしギャンブルは多くの人々を不幸にする可能性があります。そのような要素があるものを国や自治体が開催して良いとは思えないのです。本来なら制限すべき立場で、さらには不幸になった人々を救済すべき存在のはずです。
そんなふうに考えたとき、私は、この国はおかしいと感じました。そしてそれはギャンブルだけでなく、他の様々なことにも同じことが言えると思いました。そのような理由から、この国の未来に疑問を持ち「この国の未来を考える」というタイトルにしました。
 
 一回につき一つのテーマで書いてゆきます。
今回は「世代の責任」です。
 

戦場へ追いやる世代と追いやられる世代

「明治生まれの人間が大正生まれの人間を戦場へ追いやった」と、先の戦争を表現することがあります。日露戦争の終結が1905年ですから、本格的な戦闘という意味での日中戦争が始まるのは1937年ですので、実に32年の開きがあります。ということは日清・日露戦争の体験者が徴兵という形で戦場に出ることはなかったでしょう。職業軍人の体験者は、おそらく指導的な立場のはずですから、前線としての戦場に出ることは稀だったと考えられます。
大正・元年生まれは1912年ですので1937年なら25歳に相当し、大正15年生まれは1926年ですから昭和20年の敗戦時には19歳です。これでもわかる通り大正生まれの人々の青春期は、まさしく戦争の時代でした。各界の当時の指導者層は100%明治生まれですから、戦場へ追いやったという表現は正しいと思います。
 
2016年・平成28年の今、日本の各界で指導的立場にいる人々は100%昭和生まれです。団塊の世代も一部残っていますが、多くは高度経済成長期に少年期や十代で、バブル期には20代・30代だった人々です。安倍首相もこの世代に該当し、これを書いている私も同世代の人間です。
 
昨年、安全保障関連法案が成立したとき、昭和生まれの人間が平成生まれの人間を戦場へ追いやる可能性が出てきた、と書かれた文章を読みました。
その通りだと思います。
平和のありがたみを一番享受した世代の人間が、安全保障の環境が変化したという理由で、なおかつどう変化したのかも説明せずに、こともあろうか憲法解釈を変えて自国の領土以外に自衛隊を行かせる法律を作ったのです。
平成生まれの人々の幸福と生命を奪う権利など私たちの世代にあるわけがありません。その危険に今、最もさらされているのが自衛隊の人たちではないでしょうか。
 

徴兵制がなかったのは幸せでした

1958年・昭和33年生まれの私が、この国に生まれて一番良かったと思うのは徴兵制がなかったことです。さらに言えば他国に攻められることもなく、生活をしている場所が戦場になることもありませんでした。現在のイラクの状況を思い浮かべてみましょう。私たちが如何に幸せか、理解できるはずです。
先の戦争で辛酸を舐めた世代の人々が、その経験から戦争だけはやるべきではないと強く望んだ結果、日本という国は平和が続きました。私たちはその恩恵を一身に浴びた世代なのです。安倍首相だって同じように恩恵に属した一人です。
 
しかし私たちの世代は、そのありがたみの上にあぐらをかき、この国の問題点に目を背けて生きてきました。その代表的な例は原発問題です。
 
1979年にはスリーマイル島原発事故、1986年にはチェルノブイリ原発事故が発生しました。1979年と言えばアメリカの社会学者が日本の高度経済成長を分析し、日本的経営を高く評価した著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」がベストセラーになった年でもあります。1980年代は安定成長期と呼ばれ、日本の企業がアメリカの不動産を買い占めたりなど、円高ドル安が始まった年代でもあります。多くの日本人が自身に溢れ、活気があったのも事実です。そしてその頂点が、いわゆる「バブル」の到来でした。
 
そんな時代に起きた原発事故。
 
他国の出来事という認識だったとはいえ、私を含めた若い世代の反応が鈍かったと記憶しています。ただ言い訳になるかもしれませんが、それなりに関心はあったので、討論番組や書物などから得た知識で原発反対になりました。理由は単純です。放射能を除去する技術がないからです。
原発推進側は、放射能漏れという事故は起きないという立場でしたから、除染技術について詳しい説明をしていなかったことを覚えています。この件に関して言及する必要はないですね。実際に事故は起き、21世紀の現在でも放射能除去の技術は確立されていません。
 
もし、今のシールズのように多くの若者が反対の声を上げていれば、原発をなくすことはできないとしても、もう少し状況が変わっていた気がします。けれども私たちの世代の多くは原発事故を自らの問題と受け止めず、「バブル」というまやかしに浮かれて思考を停止し、狂乱の時代に身を任せてしまったのです。
 
バブル崩壊・失われた10年・日本的経営の幻想・自衛隊のPKO派遣など、この国は徐々に変わってきました。けれども私たち世代は、この流れにどれだけ抗ってきたでしょうか。そしてついに自国の領土以外で日本人が戦闘を行うことを可能にしてしまいました。私の同世代である安倍首相が・・・。もちろん彼一人で可能にしたわけではありませんが。
 

「世代の責任」を果たすために

巨額の財政赤字を次の世代や、まだ生まれぬ世代にまで押しつけようとしています。さすがに今の若者たちは、その理不尽さに気づきはじめています。そうです、もっと抗議の意志を示し、こんな世の中を作ってしまった世代にNoと言うべきです。
 
老後破産や介護疲れによる殺人など、こんな殺伐した社会を作ってしまったのは紛れもなく私たちの世代です。
長期にわたる自民党政権を支えたのは誰でしょうか? 私であり、あなた、なのです。その結果として今の世の中があることを否定できるでしょうか。ですから私たち世代は、もう我慢すべきです。お金は未来のために、次の世代ために使うべきなのです。なぜなら、どんなに悲惨な老後でも、老人社会の中でどんなに苦闘しても、しっかりとした社会保障を築けなかったのは我々自身だからです。その責任を取らずに次の世代に押しつけて良いとは思えません。
けれども、新たに選挙権を得た十八歳以上の人々や二十代の人々、そしてもうすぐ社会の中枢で活躍する三十代の人たちも条件は同じです。自分たちの未来を考え、しっかりと選択しなければ繰り返しになり、そうなれば同じように、あなた方世代の責任ということになるでしょう。


「指摘」し「伝える」ことの大切さ

年齢を重ねた人間の利点は、それなりに知識が蓄えられていることや経験が豊富にあることでしょう。もちろん全てが良いほうに作用するわけではないですが、そういう観点を前提として、例えば中国が攻めてくるとかの言説が、如何にまやかしか、というのを経験的に知っています。近いうちにこのテーマで書きますが、簡単に言えば、私が十代の頃にあった「ソ連脅威論」と中身がそっくりだからです。これも昔を知っているから言えることの一つですが、しかし若い頃は、いわゆる「まやかし」の言説に惑わされることが多いのも事実で、私も「ソ連脅威論」に惑わされた一人でした。
若い人々を惑わす言説に対して、それが「まやかし」であることを指摘すること。これも世代の責任ではないでしょうか。
 
私は言論人でも、社会に一定の影響力を持っている人間でもありません。さらに言えば政治活動をしたこともなく、社会の末端でずっと生きてきた人間です。しかしそんな私でも、この国の未来が危うい、と強く感じています。けれども、そんな危機感を持ったまま老いてゆき、何も言わず何もしないで死んでゆくとすれば、無責任だと批判されても仕方がないでしょう。
私と同世代の人間として香山リカさんがいます。彼女も「世代の責任」という言葉を使っていますが、ヘイトスピーチに対するカウンター行動や反橋下徹氏などは、まさしく「世代の責任」を果たしていると言って良いでしょう。
私には彼女のような発言力や影響力はありません。しかし私たち世代の言動で、少しでも良い社会を築こうと考えてくれる若者が一人でも多く出現してくれたら、このブログを書く意味もあると思っています。
私は、自らの世代が安心して去ってゆくために、未来を映し出す問題点を指摘し、我々の失敗と希望を「伝える」ことを続けるつもりです。

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カイトアキラ

Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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