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この国の未来を考える

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読解力も作文技術も教えない「日本という国」

日本人は本当に本を読まなくなったのか?

年末も押し迫ってきたのでこの一年を振り返るという記事が目につきます。と言ってもスパコン詐欺やリニア談合は、まだまだこれからといった感じですから年が明けても目が離せませんね。
 今回はいつもと違った視点というか内容を書きました。たまにはこういうものがあっても良いでしょう。けれどもこれもまた「この国の問題点」であることは間違いないのですが。

 

 本が読まれなくなったとか雑誌も売れないなどと、いわゆる出版不況と言われるようになって久しいです。特に地方での書店数の激減が著しいですし、作家と呼ばれる人たちが文学賞などを取っても必ずしも売れるとは限らず、文筆業一本で生計を立てるのは難しいと聞いています。
 最近だったと思いますが、文藝春秋の社長が「新刊本は図書館に置かないでほしい。売れなくて困っているから」と言ったとか。まぁ、このような人物が社長になるから本が売れなくなるとも言えるのですが、それはともかくとして、はたして本が〝売れない・読まれない〟のは書き手や出版する側の問題なのか、それとも読み手の問題なのでしょうか。

 

 書店では今でも、いわゆる「嫌韓本・嫌中本」もしくは「日本はスゴイ本」が並んでいます。当初の頃は数ページ立ち読みをしたのですが、まぁ一円の価値もない代物だということはすぐに理解できたので、なぜこんな本を積み上げるほど置くのだろうと不思議でした。しかし、これらの本を買うコアな人々が一定数いるので、書店としても売上げがそれなりに見込めるという解説記事に接して、なるほどと納得しました。本の売上げが伸びないための副作用なのでしょうかね、淋しい限りですが。

 

さらには比較的単価が安いこと、平易な文章で書かれているという二点を指摘していました。確かに〝平易な文章〟の方がわかりやすいのは本当です。けれどもいくらわかりやすくても、書かれていることが間違っていれば何の意味もないことは言うまでもありません。本来なら、そのような本は出版されるべきではない。なぜならそれは出版社としての最低限の倫理だと考えるからです。ですが商売である以上、一定数は売れるという現実には逆らえないのでしょうね。何とも悩ましいことです。

 

では、いわゆるリベラル側はどうかというと、まずは書籍の単価が高い。加えて〝難解な文章〟が多くてわかりづらい。けれども書かれていることは正しいことばかりなのですが。ただはっきりしているのは、書き手の側の読まれるための努力が乏しいということです。
 もちろん出版不況の原因は上記だけではありません。なぜなら通信機器の発達がそれまでの読書の習慣を、根底からとは言わないまでも大きく変えようとしているのは確かだからです。さらにはゲームや音楽や動画、または自ら発信できるシステムなど、読書という行為はそれらと競争しなければならない。地上波ですら苦戦しているのですから、そんな時代に文字を読んでもらおうとしたら並大抵の努力では足りないのは当然だと思います。

 

でも今の日本人は、本当に文字を読むことを減らしているのでしょうか? 必ずしもそうではないと私は思っています。その理由は電車での周囲の乗客を見渡すと、大半の人はスマホとにらめっこをしていますが、時々隣の人のスマホに目をやると、だいたいはどこかのサイトを閲覧しているか、もしくはゲーム、またはラインをしていることが多い。ですからゲームは別としても、それ以外は「文字」を読む、または「文字」を表記することが必要なものばかりです。そんな様子を見れば、読むとか書くとかという行為が減っているとはどうしても思えない。少なくとも読むという行為が減少しているように感じるのは〝媒体〟の問題ではないか。単純に、紙から電子機器へと移行しているだけ、とも考えられるのです。ならば結局は中身の問題だと思えてなりません。

 

しかし、だからといって日本人の読解力や作文能力が劣っていないのか、と問われたら、私の答えは「劣っている」しかありません。いや、そもそも日本人は、読解も作文も「技術として教育されていない」と答えるでしょう。 

 

 

出題する側の文章がデタラメでは生徒はいい迷惑だ!

一ヶ月近く前のことで恐縮ですが、東京新聞の夕刊に「中高生の読解力ピンチ」というタイトルの記事がありました。
 概要は、主語と述語の関係といった「係り受け」などの、文章の基本的な構造を理解できていな中高生が多くいるとみられることが、国立情報学研究所の研究チームの調査でわかったというものです。研究所の教授は、読解力の低下は社会生活を送ることにも影響すると懸念していると書かれていました。

 

まぁ指摘自体に異論はありません。中高生に限らず大人でもビジネス文書や作業指示書をロクに理解できない人がいますからね。それで、どんな文章を例題に挙げたのかなと読んでみたら、正直、呆れてしまいました。中高生の読解力を問う以前に、まずは出題者の作文技術を問いたくなる。同時に問題の出し方自体が間違っていると思いました。似た文書の意味を比べるという目的らしいですが、とりあえず全文を掲載します。

 

「幕府は、一六三九年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」
これは中学校教科書の一文から引用したそうです。
「一六三九年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」
この二つの文章が同じ意味か、という問いだそうです。

 

「同じ」と誤答した中学生は約43%、高校生では約28%だったそうです。確かにこの程度の文章で誤答してしまうのは問題かもしれません。しかし私に言わせれば、出題の文章自体に〝致命的欠陥〟があるのに、それを棚上げにして出題する神経が問題なのです。さらには義務教育課程で「係り受け」とは何か、または作文をする際に「係り受け」をどう使うべきかを具体的に教えていないのにも係わらず、それで読解力が低下しているとは本末転倒も甚だしいと言うしかありません。

 

まず、もし歴史の事実を知っている子供だったら、この問題では「同じ」とは答えようがないでしょう。であれば出題した意味などなくなってしまいます。では、あくまでも文章として、国語の技術としての出題なら「てにをは」を変えたとしても、少なくとも文章構成を変更してはいけないのです。ところがこの問いはその禁じ手を犯しているのです。

 

「幕府は、一六三九年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」
                
まずは句読点を一切変えずに語順だけ変えてみましょう。
「一六三九年、幕府は、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」
                
さらに句読点も語順も変えてみる。
「一六三九年、幕府はポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」
                
さらに副詞や動詞も変えて改良すると、
「一六三九年、ポルトガル人を追放した幕府は沿岸の警備を大名命じた」
比較してください。文章構成を変更しているでしょうか? 

 

ところが出題された問いは構成を変えてしまっているのです。
「一六三九年、ポルトガル人は追放され幕府は沿岸の警備を大名から命じられた

 

構成の何を変えたのか? それは「幕府は」の語順を変えたことで、ポルトガル人が誰から追放されたのかを不明にした。しかも「てにをは」まで変更して。
 仮に、単純に意味が同じかどうかの問題だとしたら、いったい何の教科だというのでしょうか。歴史の問題というのなら、まぁ出来は悪いけれど理解できる。しかし「係り受け」の理解度を問うているのなら「てにをは」の変更のみにすべきであって、語順や句読点を変えるのは邪道としか言いようがありません。

 

もし、私の改良した三番目の文章と出題された文章での問いだったら、はたして「同じ」と答える中高生がいるでしょうか? 少なくとも沿岸警備を命じたのがどちらかは理解できるはずです。それでも「同じ」と答える生徒だったら、それは〝学習障害〟だと判断すべきであって読解力とは関係ないと考えるべきだと思います。

 

 どうですか? 語順と句読点の位置を変えるだけで、これだけ「わかりやすく」なるのです。なぜかというと「係り受け」の関係、私は「修飾する側とされる側」の関係と言っていますが、これはなるべく近い方が良いのです。この場合は幕府と大名ですから、間に「沿岸の警備」だけの方がよりを明瞭になるのです。

 

 もう一つ重要な点は主語と述語という表現です。
「幕府は、一六三九年、ポルトガル人を追放し・・・・」という書き方は、間違いなく英語文法の影響を受けた悪しき日本語文です。要するにIとかYOUとかHEとか、さらにはITとかの、主語の支配力が非常に強い英語と、それほど支配力のない日本語では「幕府は、」と表記することに無理があるのです。そもそも英語と日本語では言語構造が違うのですから主語と述語という概念もそぐわない。「ポルトガル人を追放した幕府は」と改変したのは、こちらの方が日本語の構造体に合っており、しかも「わかりやすい」からなのです。

 

日本語は主語と述語という概念よりも「主部」と「述部」とした方が正しいと私は考えています。出題文章は「幕府は」→ポルトガル人を追放し、「幕府は」→沿岸の警備を大名に命じた、となっているので、幕府が何をしたのかをより強調した文章です。しかし「ポルトガル人を追放した幕府は」と説明を付けて一つの句にすれば、特に何かを強調するわけでもなく、幕府のしたことの二点を並列に扱う文章になります。
 もちろん文章としてはどちらも問題ありません。ただ、どちらがわかりやすいか、または読む側にとって伝わりやすいのはどちらか、という点だけです。個人によって見解は分かれるでしょうが、私は後者の方がわかりやすい。ですから主語ではなく、句とか節の「主部」とした方が良いと考えています。

 

それは述部でも同じで、述語とは動詞が支配しているものとすれば「命じた」または「命じられた」になります。しかし「○○に○○を命じた」という動詞に説明を付けて一つの節とすれば、関係性も明確になって述部という形になります。文章の基本を主部と述部として構成し、修飾する側とされる側をより近くに置けば、読解はもとより作文も容易くできるようになるのです。

 

 みなさんは句読点の打ち方を教えられたことはありますか? おそらく、きちんと教えられたことはないと思います。なにしろ国語教師がデタラメの句読点を打っていますからね。
 日本語には句読点を打つ原則は二つしかありません。今回は説明を省きますけれど、下記のように句読点がなくても日本語は大丈夫な優れた言語なのですよ。
「一六三九年にポルトガル人を追放した幕府は沿岸の警備を大名に命じた」
「沿岸の警備を大名から命じられた幕府は一六三九年にポルトガル人を追放した」
わかりやすくするために打つとしたら一ヶ所だけです。それはみなさんが考えてくださいね。

 

 句読点に関して、実にバカバカしい文章を問題にしたようです。同じ記事からの引用です。
「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」
を読んで、オセアニアに広がっている宗教を「キリスト教」と答えられなかった中学生が約38%、高校生が約28%だった。

 

 はっきり言ってこんな文章を書く人間は「バカ」です。日本語を理解していないし、句読点の意味すらわかっていない。こんな人間に問題を出す資格などない。よろしいですか? この文章は句読点など一つもいらないのです。
仏教は東南アジア東アジアに。キリスト教はヨーロッパ南北アメリカオセアニアにイスラム教は北アフリカ西アジア中央アジア東南アジアにおもに広がっている
 または・(中点)を使っても良い。
仏教は東南アジア・東アジアに。キリスト教はヨーロッパ・南北アメリカ・オセアニアに。イスラム教は北アフリカ・西アジア・中央アジア・東南アジアにおもに広がっている

 

 どうですか? これでも間違えますかね? だいたい「仏教は○○と○○に」で文節が終わっているのです。ならば『。』を使わねばならないのに、わざわざそこに『、』を使っている。『オセアニアに、』『オセアニアに。』とすればそこで文章が完結するので間違えるはずがない。これは文章を破壊している典型的な例と言えるでしょう。
 中高生のみなさん、こんな文章はわからなくていいですよ! こんな文章を即座に理解する方がおかしい。そもそも出題された文章自体が「零点」と言える代物なのですから。

 

 

 

なぜ、わざわざ難しく、しかも間違いやすくするのか

 長くなってしまいましたが大事なことは、日本語の持つ本来の特性を教えずに、読解力が落ちた、やれ作文ができないとか言うこと自体がおかしいのです。英語には、やれ文法がどうたら、点の打ち方をどうのとやかましく言うくせに、母語である日本語教育をきちんとやらないのです、日本というこの国は。

 

みなさんも思い当たることがあると思います。例えば大学入試の試験問題などですが、何を問うているのかわからない文章がありませんでしたか? 数学であろうが化学であろうが世界史であろうが問題文はすべて日本語です。本来なら英語の試験は問題文も英語ですべきでしょう。ところが試験問題はロクでもないというか、わかりづらい日本語文章になっていることが多い。まぁ振り落とすための引っ掛け問題にしているだけなのですが。ただ少子化が進んでいる最近はどうなのか知らないですけどね。
 ところがそんなくだらない問題を、要領よく、というか単に記憶力だけですが、時間内に回答できる人間が優秀とされるのが日本なのです。けれども今の官僚たちを見れば理解できますよね。言葉を捏ね繰り回し、詭弁を弄し、なんとか逃げようとする醜い姿。これが優秀と言われた人間の成れの果てなのです。

 

文科省が行っている国語教育は論理的な思考をできなくするためでは、と私は思っています。民族としての言葉を尊重し、その言語体系と構造をきちんと教えれば誰でも読解力など身に付くのです。けれどもそれでは困る連中がいるのです。論理的思考ができて論理的な文章も書ける、そして論理的な発言や演説もできる人が増えたらどうなるか。本来なら民主主義をより進化させて実に喜ばしいことなのですが、そうなってしまうと〝騙せなくなる〟もしくは〝愚民〟と呼べる存在もなくなってしまう。だが今の日本を見れば理解できるでしょう。まさに正反対になっているではありませんか。

 

でも勘違いしないでくださいね。論理的な文章とは「わかりやすい文章」のことですから。世の中には難解な用語や英語をやたら使うことが「高級な文章」と思っている〝おバカ〟がたくさんいます。けれどもこういう連中は、論理的ではないから「わかりやすい文章」が書けないのです。だからそんな文章に出くわしたら即座にゴミ箱に捨てましょう。そして、なんてバカな奴らだと笑ってあげましょう。
 それからもう一つ付け加えると、英語やヨーロッパ語の方が論理的で優れており高級だと言う「救いようないアホ」もいます。しかしどの言語でも、本質的に「非論理的」ということはあり得ません。もし非論理的だったとしたら、そもそも言語として成立しないのです。ですから特徴や構造上の違いがあったとしても、どちらが論理的とか、ましてや高級とか低級などということもありません。それなのに、論理性など理解できない小学生のうちから〝英語〟を勉強させようとしているのが「日本という国」なのです。実に愚かなことです。なぜなら英語圏で長期間暮らす日本人がどれだけいるというのでしょうか? 大半の日本人は英語を必要としていないのに。
 あっ、そっか、この国は〝ほぼ植民地同然〟でしたね。だったら日本語の読解力など向上しなくてもいいのかな?

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NHKなんていらない! その4

もし裁判をするとしたら・・・          

今回の裁判ですが、判決後の記者会見動画を見て少しコケてしまいした。不払いの基本となる理由が「観ていない」から。さらには放送内容に不満があり、それは「反日的な番組だから」と言うものでした。
 いやぁ、困りましたね(本当は困ってないけど)。今のNHKが反日なら、私は過激派かテロリストになってしまいます(笑)
 どうも右寄りの方々のようですが、昔は受信料不払いと言ったら、どちらかというと左寄りの人が多かったのですが・・・・。それはともかくとして反日だろうが親日だろうが放送内容で争っても勝ち目はありませんよ。なぜなら、それこそ個人の解釈という問題にすり替えられてしまうからです。

 

スクランブル放送にするのが望ましいことは確かですが、さらに言えば、視聴したい番組だけを購入するスタイルが理想的です。けれども昨今の電波オークション問題とも絡んでくるので一概にも言えない部分があるのも事実です。
 しかし公共の電波という概念に基づけば、なるべく低料金で望めば誰でも視聴できるという前提に立つのが自然でしょう。ですから放送局の財政基盤を安定させるという意味合いでは、受信料の徴収というのは必要だというのも理解はできます。ですが基本原則は、あくまでも視聴した人もしくは視聴したい人が払う、というものではないでしょうか。観ても観なくても払えというのなら、それは税金として徴収する以外に方法はありません。結局は「公共放送」という定義の問題になりますが、正直、それを決めるのは非常に難しいと思うのです。でも現在のNHKを検証することは可能ですから、今のNHKはどうなの? という根本的な問題が問われてきます。本来は現在に限らず過去も、なのですが。

 

 もし私が裁判をするとすれば、この根本的な問題で争うでしょう。第一点は、現在も過去もNHKは放送法第一条を遵守していない。第二点は、放送法第一条の理念と第六十四条・第七十条の規定は相反しており、そもそも法律として無効ではないか、というものです。

 

放送法第一条
この法律は、次に掲げる原則に従って、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

 

私の主張は以下の通りになります。
現在も過去もNHKは放送法第一条に違反しており、そのような状態で第六十四条の契約義務を求めるのは法の下の平等に反する。

 

●その理由
1放送法第七十条の規定がある限り、第一条の目的を実現するのは不可能である
2現実としてNHKは財政的な影響と支配を政府から受けている
3表現の自由の下での「国民の知る権利」をNHKは充足させていない
4民主主義の発展に寄与するという目的をNHKが果たしているのか極めて疑わしい

 

※これらを主張するためには、それぞれの番組を証拠として提出する必要性が出てきます。そうなれば裁判所は嫌でも番組を検証しなければなりません。それこそ最高裁が掲げたNHKの目的と存在意義が問われることになるのです。

 

さらに付け加えます。
放送法による二本立て体制の下での公共放送を担う原告の財政的基盤を安定的に確保するためには、基本的には、原告が、受信設備設置者に対し、同法に定められた原告の目的、業務内容等を説明するなどして、受信契約の締結に理解が得られるように努め、これに応じて受信契約を締結する受信設備設置者に支えられて運営されていくことが望ましい

 

上記したものは判決文の一部ですが太字部分を読んでください。原告とはNHKのことですが、NHKが目的を果たしていないと判断した場合や、業務内容(もちろん番組内容も含まれる)に納得できない時は、いったいどうすればいいのでしょうか?
 少なくとも今のNHKは視聴者の声を聞くだけであり、視聴者には何の権限を与えられていない。それにも係わらず放送法には、政府と国会が影響を及ぼすことができるように明記しているのです。これではあまりに不公平ではありませんか。NHKが放送法第一条の目的を果たしているかを検証する、または視聴者の不満や要望を受け付ける独立した機関が、なぜないのでしょうか。

 

最高裁は〝支えられて運営されていくことが望ましい〟と、ずいぶん遠慮がちに言っていますが、まぁ裁判官たちの苦しさが滲み出ているとも言えますね。ですからこんな矛盾を抱えた法律に従う理由を、私はどうしても〝見出せない〟のです。
 もっとも、このような理由で争ったとしても日本の裁判所では勝ち目はないでしょうけどね。それは今までの数多くの裁判をみればわかることです。ですから私は、よほどのことがない限り時間の無駄となる裁判などしません。なぜなら、それよりも効果的な方法があるからです。

 

 

 

テレビを視聴しないことが、この国を変える

NHKはネット同時配信をすることによって、PCや携帯・スマホやタブレット所有者まで契約対象者にしようと目論見ましたが、さすがに民放などの大反対で今のところ頓挫しています。しかし2019年度から実験的の配信を始めることは決まっているようです。
 現状ではインターネットに接続できる環境であったとしても、契約をしなければ受信料は徴収しないとしています。とりあえず実験配信の段階では無料となるのか、それとも有料で配信するのかは知りません。どちらにしても視聴するつもりはないので、はっきり言ってどうでもいいからです。

 

地上波と同じ内容のものを配信するのなら、さほどコストが上がることはないと思いますが、別コンテンツとするのなら製作コストは嵩んできます。基本的に地上波やBS契約している人は無料とするようですが、すでに放送されたものを配信するだけなら、ネットでわざわざ視聴する人などほとんどいないでしょう。とすれば、やはり別コンテンツにしないと配信料金?を取ることは難しいと思います。
 さてその場合、巷に溢れているコンテンツと競合することになりますが、はたしてNHKに勝ち目があるでしょうか? ある意味興味深い部分でもありますが、仮に惨敗した時、NHKの考えることが手に取るようにわかるのです。それは、やはりネット配信も放送法に括ってしまおう、そうすれば自動的に徴収できるから簡単だ、と。
 もちろん今のところは否定していますが、ネットでの視聴が伸びなければ、またまた放送法を盾にして徴収しようとするのは間違いありません。

 

 若者のテレビ離れが進んでいることからNHKはだいぶ焦っていると伝えられていますが、それは自業自得としか言いようがありません。それなのに放送法を遵守しようともせず、視聴者の支持を得られるような番組作りの努力もしないで、放送法の拡大解釈によって穴埋めしようとしたら決して許してはいけません。
 もし、インターネットに接続できる環境さえあれば、配信番組を観ようが観まいが受信契約義務が発生する、などという〝妄言〟を実現しようとしたら、それこそ国民的大運動を起こして阻止しましょう。

 

ただ、そう簡単ではないことも事実ですけれど。まずインターネットを放送と規定できるのかという根本的な問題があり、もう一つは、ネット環境整備にNHKの受信料が使われたことは一度もない、という現実もあります。それなのに同時配信を行うから受信料を払え、などとしたら、まさに「盗人に追い銭」の見本みたいになってしまいます。
 今のところワンセグについて高裁で争われていますが、正直どのような判断が出るのかわかりません。ちなみに一審ではNHKが敗訴していますが、結果次第では前述した件が加速する可能性も否定できません。

 

今現在NHKの受信料を払っている方々に、これだけは言っておきたいのです。このままNHKの横暴を許せば、あらゆる屁理屈をつけて金をむしり取ろうとする、ということを。不払いをしている人たちに対して不満なのはわかります。ですが、強制的に受信料を徴収しろと言ってNHKの本質から目を逸らしていたら、受信料を支払っている人たちの負担は確実に増えてゆきますよ。税金がいい例ではありませんか。この国は〝取りやすい人〟から徴収するのです。NHKも、まさしくそうではありませんか?

 

安倍政権のメディアコントロールが露骨なことを否定できる人はいないでしょう。ならば報道されたくない不利な事柄を抑えるために、その交換条件としてNHKの要望を法制化する危険が現政権には限りなくあります。もちろん自民党自体がそうですが。みなさん、その時では遅いのですよ、それはもう「独裁国家」の成立を意味するのですから。

 

 この国の未来を考えるのなら、テレビを積極的に視聴しないことをお薦めします。NHKに限らず民放も。なぜかと言えばそれが、一番効果があるからです。視聴率が落ちれば落ちるほど広告は減るから、民放は嫌でも有料制(スクランブル放送)へとシフトせざるを得ない。NHKも、テレビを所有していない人が増えれば経営基盤が揺らいでくる。そうならないためには民放もNHKも、視聴者の声をより反映させないといけないからです。

 

 しかしそれでは放送の公共性とか中立性が損なわれると懸念する人がいますが、まぁ確かに今の日本人では、民主主義とか人権を理解していない人が多いので心許ないのは事実です。けれども一見中立性を装いながら、実は政権に〝忖度〟し、さらには〝支配〟されているよりマシだと思いませんか? 少なくとも、いくら疎い日本人でも、弱者の側に立って権力を監視する「放送局」を支持すると私は信じているのですが・・・・幻想でしょうか?

 

 安倍政権を応援する連中に代表されるような「偏った人々」が、潤沢な資金を持ったスポンサーを得て好き勝手な番組を作るかもしれません。しかし、それを打ち破るのが本物の民主主義国家の市民だと私は思います。ですからその手始めとして、NHKの契約を拒否し、受信料の支払いもしない、そして、なるべく早くテレビそのものを視聴しないようにする。だから裁判などする必要ありません。ただ〝NHKなんていらない!〟と叫んで賛同者を増やしてゆけば良いのです。

 

 最後に、民主主義国家の放送局とはどうあるべきか、ぜひ下記の記事を読んでください。一言だけ付け加えますが、もう民主主義という点からいえば、我が日本は、韓国から遥か遠く引き離されてしまいました。悲しいことですが・・・・

 

政治介入に抗う韓国の公営放送…MBCは「勝利」もKBSはハンストに突入
   (YAHOOニュースより 1211日・徐台教)

NHKなんていらない! その3

受信機の設置時期を明確にしないと裁判ができない?       

 「NHKから国民を守る党」の立花孝志氏は、受信料の支払いリスクを軽減したいのなら、とりあえず契約だけして支払いをしなければいいと言っています。ただしこれは最高裁判決当日の「You Tube」での発言ですから、その後は観ていないので、まだ同じ考えなのかどうかは知りません。

 

立花氏のこの提起は、契約年月日(申込日)とテレビ設置日を記入する欄が契約書にあることから、設置日を「不明」としてしまえば過去に遡って請求されることはないというものです。事実NHKの契約書は、申し込みをした日を契約日とし、特に申告がない限り設置日は契約日と同じにすると明記しています。

 

「TV20年前設置なら、さかのぼって受信料」
 (朝日新聞デジタル 127日付け)

 

上記の記事では「お客様の確認の上」とNHKは明言していますので、不明でも昨日でも、さらには覚えていないでもOKなのです。であれば、20年や30年や50年も遡って請求すると記事にすること自体が、NHKに加担した「脅かし」以外の何物でもありません。
 本来のメディアの役割を果たすのなら、設置時期を明確に認めない限り、過去に遡って請求されることはないと伝えるべきなのですが、それをしないということは、やはり新聞や他の放送局もNHK側に立っていると言うべきでしょう。そもそも、そんな長期間の設置を認めて受信料を支払う〝お人好し〟がいるとは思えませんが。

 

このような前提(というかNHKも認めている)ですから、単純に言って、設置を認めるか否かが重要になってきます。テレビ(受信機)がありますと認めたら契約義務が発生し、認めなければ契約義務は発生しません。
 では設置しているのに、していないと「ウソ」をついたらどうなるのか? 結論から言えば罰則規定がないので何もできません。訴えられてしまう、と心配するかもしれませんが、そもそも設置されていることを証明できない限り、本人が否定している以上は契約義務があるとは言えないのです。ですからNHKとしては、設置されているという客観的な証拠があった場合のみ訴訟を起こすことができるのです。
 もっと簡潔に言うと、テレビの設置を認めたけれど契約しない人、または契約をしたのに支払いしない人、だけが裁判を起こされる可能性があることになるのです。だからこそ「設置している」と認めさせることがNHKには重要になってくるのです。

 

最高裁判決は、受信機設置者に対して契約を義務付けているとしていますが、放送法には、強制を実現する具体的な手続きが規定されていないことにも言及し、その代替え措置として民法の規定を持ち込んで、裁判をもって債務者の意思表示にするとしたのです。
 かいつまんで言えば、説得できなければ裁判以外に契約をさせる方法はない、と最高裁が認めたのです。しかしその一方で、双方の合意の上でなければ契約は成立しないとしている以上、NHKは受信機の設置確認が大前提となるのです。けれどもそれには信頼関係が必要となり、最高裁判決は、その努力をしなさいとNHKに求めているのです。
 要するに契約を強制する規定がない以上、設置確認も法的強制力はないことを認めているのも同然です。ですから、あくまでも合意の上で確認をし、それでも契約しない人は判決を出しますよ、と言っているに過ぎません。

 

 どうですか? みなさん、これって大変ですよね。簡単に言えば、「玄関を開けない」「インターフォンの応答をしない」「居留守を使う」などをされても文句は言えない。だって、設置を申告しろとはしていないし、設置確認を義務付けている法律もありませんから。NHKはあくまでも「お願い」するしかなく、ですから「状来通りで、より丁寧に説明をする」と新聞にも答えているのです。

 

 

 

テレビ設置確認を何とかしたいNHK

 まず今回の裁判ですが、不払いを続けた人は2006年から設置していたと明確に認めています。というよりB-CAS番号をNHKに申告していたようなので、これでは客観的な証拠になりますから私が指摘していることでは争いようがありません。このようなケースでは100%敗訴するでしょう。

 

 では、ケーブルテレビやCS放送に加入しているけれどNHKと契約したくない場合はどうするか。まず基本としては-CAS番号は申告しないことです。要するに左画面だか右画面だかに出てくる「鬱陶しい文字」はガマンする。そうすれば、少なくとも客観的なデーターがNHKに行くことはありません。

 

ただし私は、自身の経験から言って、ケーブルテレビやCS放送の契約者情報がNHKに流れているのでは、と考えています。もちろん確認のしようはありませんが、もし事実なら個人情報保護法違反になるのですが。
 個人情報保護法では犯罪の可能性がある場合の警察の要請、もしくは裁判所の命令以外は、本人の承諾がない限りは個人情報を漏らしてはいけないとなっています。ですからNHKとしては「あなたはケーブルテレビに加入していますよね」とか「CS放送と契約していますよね」とは、それが事実だとしても言うことはできません。なぜなら、その情報はどこで確認したのですか? と問われたら答えようがないからです。
 そもそもケーブルテレビに加入しているかどうか、もしくはCS放送と契約しているかどうかについて答える義務などありません。当然ですよね、プライバシーを話す必要などない。もしウソを言ったとしても、いったい何の罪になるのでしょうか? また、仮に裁判になったとしても本人の承諾を得てないのなら、その時点で違法ですから証拠能力はありません。

 

 戸建でBSやCSのアンテナが装着されている場合ですが、アンテナがあったとしてもチューナーやディスプレイがなければNHKを視聴できる環境とは言えませんから、これも基本は同じです。認めない・答えない・または無視すれば、NHKが設置確認をすることはできなくなります。

 

 なぜこのようなことが可能なのか、それは罰則規定がないからです。契約義務を履行しないことは、いわゆる不法行為もしくは不法状態ですが、例えば道交法のように罰金を規定している刑法であれば、支払いしない人を逮捕するとか、裁判所が支払い命令を出すなどの強制力を持たせることができます。しかし放送法は刑法ではありませんし、受信契約は民法で規定されたもので実現すると最高裁は明言しました。ということは、仮に不法状態であることが明らかだったとしても、取り締まるための根拠となる法律がない以上は強制力を持たせる行為は何一つできません。つまり、契約しなくても設置を認めなくても、またはNHKを一切無視しても、罰金を科すことも逮捕することもできないのです。できることは訴訟を起こして、設置を認めた日から確定判決の日までの受信料を払え、とすることだけです。

 

 上記のような状態であることを憂いた?一人の判事は、契約義務を履行しないこと自体が不法行為なのだから、損害賠償請求によって支払いを命じるべきだとの少数意見を付けています。しかしこれもハードルが高いのです。この場合は、不払いによって実際にどれだけの損害を与えたのかを証明するのはNHKの方になるからです。
 むしろこちらの方が難しいでしょう。だって地上波の受信料は一ヶ月1380円? それとも1280円ですか?(私は知らないので)この程度の金額を支払わない場合の損害を算出することなど実質的には不可能と考えるのが自然です。ですから十四人の裁判官は民法上の債権債務としたと私は推測しています。

 

さら別の裁判官は、受信契約の規定を法律によって詳細に決めるべきだと付言しています。簡単に言えば、強制力を持たせる手続きと罰則規定を想定しているのでしょうが、おそらくNHKの狙いもここでしょう。
 事実NHKは電気やガス業者と提携して居住者情報を得ることを模索しています。なぜかと言うと、集合住宅の多い都会では居住者を特定することが難しく、さらには生活時間帯が多様化しているため、なかなか面談等ができないからです。仮に在宅であっても、特に都会の若い人たちは居留守を使うことが多いのも理由の一つでしょう。
 厳密に言えばこれらも個人情報保護法に抵触するのですが、特例として、そう「国民の知る権利」とやらを盾にして、法改正を目論んでいることは間違いありません。そうなれば設置申告の義務付けは無論のこと、下手すれば確認の権限すら要求しかねず、プライバシーや良心の自由をも奪われてしまうのです。とりあえず今のところは大丈夫ですけどね。

 

NHK会長、居住情報の利活用「検討加えて判断したい」
 (朝日新聞デジタル・127日付け)

 

 

 

私は〝NHKさん〟とは以下の通りに対応します。

 私はNHKと契約することはありません。もし契約したとしたら、それは肉体的精神的拷問を加えられた時でしょう。ちなみにテレビを所有しているかどうかについて明言するつもりもありません。ただし今現在の私は、民放も含めてテレビをまったく観ていないことは間違いないですが。このブログで何度も書いています。

 

ただし断わっておきますが、以下のことはあくまでも私の意志で行うことですので、こうすれば大丈夫とか、支払いを免れることができると保証するものではありません。もし同意して同じ行動を取るなら、少なくとも「不法状態」であるという認識に立った上で行ってください。と言っても決して犯罪ではありませんから安心して構いませんが。
 私自身は〝明確な意思〟を持った「確信犯」です。けれども裁判所によってその〝意思〟を曲げるつもりはない、ただそれだけです。

 

NHKを名乗る人が訪ねてきた場合
決して玄関を開けない
インターフォンに応答しない
居留守を使う
ケーブルやCS加入を聞かれても答えない

 

これでは少し失礼だから、応答ぐらいはしてあげようという優しい人は、
「はい、何でしょうか?」
「テレビを設置していると思いますが、契約のお願いです」
「設置しているかどうか答えたくありません」
「いや、テレビを観ていらっしゃるんでしょ?」
「それも答えたくありません」
「いやいや、契約は義務になっていますよ」
「義務を果たすつもりはありませんし、そもそもNHKと話し合うつもりはないですから、迷惑ですのでお帰りください」
「そんなことを言わずに、話だけでも・・・・」
「聞きたくありません、お帰りください」
「でも最高裁で判決も出ていますから」
「帰らないのなら通報しますよ!」

 

外出するのを待ち伏せていた場合は一切無視して何も答えない。
それでも付きまとう場合は「ストーカー行為」で通報する。その際はスマホで録音や映像も撮る
文書にて話し合い等の依頼があっても内容証明でない限り、その文書は破棄してかまわない。

 

何らかの方法で(合法的に)居住者情報や受信機設置状況が露見した場合は訴訟を起こされる可能性が高くなります。例えば、SNSなどの投稿の際に受信機が写っていたとか、ブログやツィッターなどで視聴していることを記載するなどですが、それらが客観的な証拠になる可能性もありますから十分に注意しましょう。

 

内容証明郵便が来た場合は念のため受信機を廃棄した方がよいでしょう。そうすればNHKは訴訟を起こすことができなくなります。

 

素朴な疑問ですが、裁判になったとしても、受信機のないことが確認された場合はどうするのでしょうかね。とりあえず設置された日から廃棄した日の分まで払え、とするのかなぁ。でも受信機がなければ契約を命じることはできないと思うし、廃棄した日を忘れたとか、不明としたら計算なんてできませんよね。それとも法廷侮辱罪を適用すると脅かして、事実を言えと命令するのかな。非常に興味深いですね。

 

上記したような行為がなぜ可能なのでしょうか。それは放送法という法律に不備があるからです。私の行為は、その不備を逆手に取っているに過ぎません。しかし法の不備の責任は私にない。原因と責任は立法府であり、同時に、その不備を指摘して改正を勧告できない司法です。立法府と司法が怠慢なだけなのに、どうしてその責任を国民に押しつけるのか。みなさん、腹が立ちません?

 

受信料を払っている人からすれば、こんなの不公平だと思うでしょう。でも私が悪いわけではありませんよ。こんな不備を放置している方が問題ではありませんか?
 でも、規定を新たに作って罰則も設けたら国営放送になってしまうと心配している人もいるでしょう。そんな人たちには敢えて言います。もうNHKは実質的に国営ではありませんか? しかも安倍政権の広報みたいになっていますよ、と。

 

とにかくNHKと対峙した時は「相手にしない」「受信機設置を認めない」が基本となります。そして、もし理由を問われて答えたくなったら『思想・良心の自由に従って、放送法・第六十四条の義務は履行しません』とすればいい。他に余計なことを言う必要は一切ありません。ただ本当はもう一つ理由があるのですが、それは次回にします。そうそう忘れていました。NHK受信料を払っていない団体?それとも人々?が他にいますよぉ!


在日米軍基地がNHKの受信料30億円を不払い!“裏の思いやり予算”が存在していた!
   (リテラより 2015.6.13

NHKなんていらない! その2

国民の知る権利と、放送法・第七十条との矛盾          

最高裁判決の概略を、前回と同様にYAHOOニュースから引用させてもらいます。
・こうした財源についての仕組みは、特定の個人、団体又は国家機関等から財政面での支配や影響がNHKに及ぶことのないようにし、現実にNHKの放送を受信するか否かを問わず、受信設備を設置することによりNHKの放送を受信することのできる環境にある者に広く公平に負担を求めることによって、NHKが全体により支えられる事業体であるべきことを示すものにほかならない。
NHK存立の意義及び事業運営の財源を受信料によって賄うこととしている趣旨は、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与することを究極的な目的とし、そのために必要かつ合理的な仕組みを形作ろうとするものである。

 

上記の内容を読んだ時、これはほとんど〝ジョーク〟だと思いました、それもかなり質の悪い。けれども最高裁としては、こう言及するしかなかったのでしょうね。だって現状をみたら上記の立法精神がまったく実現していないからです。しかし無理やりだろうが何だろうが、とにかくNHKは「国民の知る権利」を守って、民主主義の健全な発展に寄与しているとしないわけにはいかなかった。これも、ある意味〝忖度〟かもしれませんが、だとすれば十五人の裁判官は実に哀れとしか言いようがありません。なぜなら大半の国民は、NHKが「国民の知る権利」を追求し、擁護しているなどとは思っていないからです。三つだけ例を挙げますしょう。

 

1前川氏喜平氏のインタビューを、未だ放送していない
2東日本大震災時の福島原発の爆発を、二ヶ月近くも隠蔽していた。
32001年「問われる戦時性暴力」というドキュメンタリー番組が自民党議員の介入によって内容が大きく改変させられた。
 さらにもう一つ付け加えます。
420171211日のNHK「ニュース7」と「ニュースウォッチ9」で、ICANノーベル賞受賞式でのサーロー節子さんのスピーチを伝えなかった。

 

ICANノーベル賞授賞式でサーロー節子さん感動のスピーチも日本マスコミは無視! 普段は“日本スゴイ”が好物なのに(リテラより)

 

 これらだけでもNHKが「国民の知る権利」を守っていないことが明白ですが、まぁ、最高裁判事さんたちは〝知らない〟のか〝知らない振り〟をしているのか、私にはわかりませんけれど・・・・

 

 しかし本質的な問題は別のところにあります。それは第七十条の存在がある限り、上記の〝崇高な目的〟を遂げることが実際は不可能だという問題です。ですから放送内容をいくら問うても意味がない。なぜならこの法律は立法時点から「欠陥」「ガラクタ」なのですから。

 

放送法・第七十条の全文を掲載します(第七節 財務及び会計)
一、協会は、毎事業年度の収支予算、事業計画及び資金計画を作成し、総務大臣に提出しなければならない。これを変更するときも、同様とする。
二、総務大臣が前項の収支予算、事業計画及び資金計画を受理したときは、これを検討して意見を付し、内閣を経て国会に提出し、その承認を受けなければならない。
三、前項の収支予算、事業計画及び資金計画に同項の規定によりこれを変更すべき旨の意見が付してあるときは、国会の委員会は、協会の意見を徴するものとする。
四、第六十四条第一項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料の月額は、国会が、第一項の収支予算を承認することによって、定める。

 

みなさんはどう思いますか? このように規定されているのに「国家機関等からの財政面での支配や影響が及ばないようにする」ことを、いったいどうやって実現するというのでしょう。まさか実現されていると言う人はいませんよね?
 絵に描いた餅とはこのようなことを言うのです。政府が影響や支配を実際に及ぼしているからこそ、内容にも介入しているではありませんか。自民党政権だけではない、民主党政権だって同じでした。それは原発事故報道が証明しています。

 

このような指摘は今に始まったことではありません。私の若い時からずっと言われてきたことでした。しかし放送法は1950年の成立から70年近く経っても一言一句変わっていないのです。それ自体おかしいと思いませんか? いったい誰の責任なのでしょう?
 言うまでもなくそれは与野党の国会議員です。私は国会の不作為に該当すると考えていますが、どう思いますか? 要するに議員たちが考えることは同じなのです。自分たちが政権を取ったとき都合よく使いたい、だから法を変えようとはしないのです。

 

それにしても驚いたのは、最高裁が「放送をめぐる環境の変化が生じつつあるとしても、なおその合理性が今日までに失われたとする事情も見いだせないのであるから・・・・」と言及したことです。
 十五人の裁判官たちには常識も見識もないのかな? 見いだせないとしたら、それはあなた方の目が「ふしあな」だからですよ、とツッコミを入れたい心境です。あぁ、そうか、もしかしたら現実を分析する能力がないのかな。だったら確かに、現状に合っていないのだから改正するべきだと、立法府に勧告すらできないのも理解できますがね。
 みなさん、これでも、こんな欠陥だらけでガラクタな法律に従いますか? 私は、従うべき義務など最初から存在していないと思っています。

NHKなんていらない! その1

憲法第十九条に基づけば契約拒否は可能である            

 仮にですが有名無名を問わず、ある出版社から書物なり雑誌が送られてきたとします。注文も、送られることも承諾していないのに勝手に送ってきたのです。ですから何もせずに放っておいたら、送ったのだから代金を払え、と後日になって言ってきました。読んでいませんよと答えても、送ったのは間違いない、読んだ・読まないも関係ない、とにかく払えと言われたら、みなさんはどうしますか? 払いますか? それとも断固として支払いを拒否しますか?

 

 上記の言い分は、ある著名な元新聞記者の受信料拒否の論理です。1980年代にこの論理を知った私は、言い分はもっともだと思い、以来30年以上受信料を払っていません。ちなみに当時の私の断り方は、この著名な記者と理由は同じなので、この記者が支払いをしたら私も払うけれど、その場合は領収書のコピーを必ず持参するように言いました。この著名な記者もだいぶ御高齢になられたようですが今でも御健在のようです。ただし、この方がNHKに支払いをしたという話は聞いておりません。

 

 平成29126日に最高裁判決が出ました。基本的には受信料制度は合憲、契約および支払いを拒否する者は、裁判さえすればNHKの訴えを認める判決を出しますよ、というものでした。
 各メディアの解説記事では「NHKの勝訴」としています。あの東京新聞でさえも。けれども私の感想は、えっ? なんで? というものでした。なぜなら今までと何も変わっておらず、最高裁は今までのNHKのやり方を追認しただけだからです。しかし最高裁は、概略として下記のことも述べています。

 

・放送法は、受信料の支払義務を、受信設備を設置することのみによって発生させたり、NHKから受信設備設置者への一方的な申込みによって発生させたりするのではなく、受信契約の締結、すなわちNHKと受信設備設置者との間の合意によって発生させることとしたもの。

最高裁がNHK受信契約の義務規定を初めて「合憲」と判断 その理由と今後の受信料徴収に与える影響
   (YAHOOニュースより・127日)

元検事さんのようですが、法律家らしく要点を整理し、さらにはわかりやすく解説してあったので引用しました。今後も使わせてもらいます。

 

 要するに、NHKの一方的な言い分だけではダメですよ、受信者とよく話し合って納得させてから合意してくださいね。それでも契約しない人や、契約しても支払いをしない人は、裁判をすればNHKが請求した金額分だけは支払いを命じますよ、というものです。

 

 判決の概略を知った時の私は、これではNHKさんも大変だろうと思いました。普通に読めばわかりますよね、テレビを設置しているという理由のみで契約はできない、あくまでも合意が必要だ、としか読めません。しかし・・・・素朴な疑問が残ります。
1、テレビを設置しているかどうか告げなかったら、どうするの?
2、そもそも、設置している、もしくは所有していることを告げなければいけないの?

 

放送法六十四条第一項は、
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない
とありますが、文面では契約の前段階での申告を義務付けてはいません。まぁ解釈上はそれも含んでいるとするでしょうが、では、テレビがないと申告することは、はたして義務付けているでしょうか? この文面からそう解釈するのは無理があると考えます。さらに根本的な疑問として、設置をした者に契約を義務付けているのに、合意がなければ契約は成立しない、としていることです。

 

みなさん、合意には何が必要ですか? たぶん99%の人が〝話し合い〟とか〝協議〟という言葉を連想すると思います。しかし条文には、話し合いや協議をしなさいとは書いていないし、最高裁判決も設置者の義務とはしていない。なぜでしょうか?
 当然なのです。話し合いや協議を強制することができないからです。例えばNHKが訴訟を起こして裁判所から召喚状が来たとしても、そこで話し合え、などと命令はできないのです。もっとも、受信機の設置時期が明確になってなければ訴訟自体を起こすことができないのですが、これについては後述します。

 

 ただ、こう言えば良いのです。
「憲法十九条・思想および良心の自由を侵してはならない、に基づいて、私はNHKとの話し合いや協議を拒否する」

 

ベトナム戦争時のアメリカには徴兵制がありましたが、この時だったと思います、いわゆる「良心的兵役拒否」という言葉が生まれたのは。理由は様々で、宗教に基づいたものや、人を殺すことはできないという〝良心〟を否定できない、というものなどがありました。
 確かにこれらとは意味合いが違うでしょう。けれども「考え方」や「思想」や「良心」は誰にも強制されないという意味では同じなのです。日本国憲法は第十九条でそれを保障しているのですから、たとえ法律で義務付けていても、思想・良心の自由を侵してはならないと憲法で保障している以上、どちらが優先されるのか言うまでもないことです。

 

 

最高裁の判事さんたちは、たぶんこの事を理解していると私は思っています。だからこそNHKが訴訟を起こしても、出せる判決は民法上の債権債務という形なのではありませんか? 間違っても設置者や受信者に対して、契約をしなさいとか、合意をしなさい、またはテレビの設置時期を明確にしなさい、などとは決して命令できないのです。なぜなら、それこそ第十九条違反にならからです。

 

なにしろ最高裁は、テレビを観ない、テレビを設置しない自由まで奪っていないのだから、契約の自由を一定程度制限したとしても侵害とは言えず合憲だ、としたのです。ならば、NHKと話し合いをしない自由、NHKと協議をしない自由、さらにはNHKとは合意をしない自由も、当然擁護されなければならないはずです。繰り返しますが、法律より憲法が優位なのは法治国家としては当り前のことですよね。

 

先日、熊本市議が我が子を連れて議会に出席しました。その件についてブログで言及しましたが、この時にも言及したように「悪法でも法は法だ」という〝愚かな規範〟に従っていたら、いつもでたっても悪法はなくならないのです。それは歴史が証明しているではありませんか。先人たちが〝抵抗〟してきたからこそ悪法は一つ一つ消滅していったのです。
 結論を言えば、放送法第六十四条および第七十条、そしてNHKの存在を許す他の法律自体が「天下の悪法」なのですから、それをなくすための〝抵抗する権利〟が国民・市民にはあるのです。


ルールを守れ! やり方が悪い! と叫ぶ家畜人たち
   (当ブログより・2017/11/30

 

ここに宣言します。私は、憲法第十九条で保障された〝良心の自由〟を行使して、放送法第六十四条の義務には従いません。
 もし私を罰するなら、どうぞご自由に。ただし、現行法では無理なので新たな立法措置が必要ですけどね。

 

抵抗とか宣言とか堅苦しい言葉が並びましたが、べつにこんなに構えなくても、NHKやその存続を許す法には〝ツッコミどころが〟満載ですので、私のようにする必要もないですからね。次回は、NHKを取り巻く法そのものが矛盾に満ちている点について言及します。


 

意味不明な上杉隆氏の「言い分」

論ずる前に少しだけ

126日にNHK受信料裁判の最高裁判決が出ました。各メディアで報じられているので御存知だと思います。
 各メディアとも「NHKの勝訴」という書き方が多いのですが、私の考えでは「引き分け」です。ですので、特に未契約で受信料を払っていない方、決して慌てて契約などしないでくださいね。結論から言えば今までと何も変わっていない。むしろNHKの方が大変になったと思っています。
 この件については近いうちに書きますので、もしそれまでにNHKの集金人が来たら決して玄関ドアを開けず、これだけ言ってください。
「NHKの方とは誰とも話したくありません」
「お帰りください」
 もしこう言ってなかなか帰らないようなら110番通報しても構いません。不退去罪の可能性が出てくるからです。これで何ら問題なく、あなたが罪に問われることもない。むしろ被害者の可能性すら出てくるのです。いずれにしても詳しいことは近いうちに。

 

さて、もう一つ。
もしかしたら「安倍政権崩壊・第三幕の始まり・・・」かも?

 

スパコン詐欺 ベンチャー社長の華麗人脈と特捜部長の評判
  (日刊ゲンダイデジタル・127日)

 

詳細は、まだ何もわかっていませんが一つだけ指摘しておきます。この事件は国税庁との合同捜査のようですから、逮捕して家宅捜索も行ったのなら、いわゆる金の流れに関するものは全て押収したはずです。国税庁はこの手のプロであり、東京地検特捜部と組めば日本における最強の捜査機関と言えるでしょう。
 国税庁が追うのは脱税になりますが、これは特捜部にとって実に心強い。あらゆる金の流れを調べるので、もしそこに使途不明金があれば、限りなく犯罪に近いものが出てくるからです。それはズバリ「贈収賄」です。
 この年齢まで生きていると、今までの特捜部が扱った事件を多少なりとも覚えていますが、基本的にマスコミが先行した事件は動きが鈍くなる傾向があります。けれどもマスコミが嗅ぎつけなかった事件で一気に逮捕まで持っていった場合は、間違いなく本気で、しかも相当な自信を持っていることが通例です。なにしろ「詐欺」での逮捕ですからね。

 

 だいたい脱税は「タレコミ」か「内部告発」が主流です。今回も、おそらく内部告発でしょう。ということは昨日今日ではなく、この手の事件は内偵に半年や一年かけるので、もしかしたら森友・加計事件より前に着手した可能性すらあります。もしかしたらこれがあったから「モリカケ」には腰が重かったのかな? なんて勝手な邪推をしています。しばらくは静観しますが、みなさん、注目しましょう! 面白いものが見られるかも、ですよ。
 この件から比べたら上杉隆氏の件は正直どうでもいいのですが、ちょっと長くなってしまっているので、もしヒマだったら読んでください。

 

 

 

上杉隆氏の意図は何なのか?

少し前に「IRONA」にて掲載されていた記事、およびIWJの動画を見た私の感想は、典型的な「すり替え」をしているというものでした。
 正直、今さらどうでもいいことですし、希望の党もジリ貧状態ですから取り上げる必要などない、とも思うのですが、中には信じる人が少しはいるかと考えて一応指摘しておきます。
 ちなみIWJの動画は一部しか見ていません。本来なら全部見るべきでしょうが、論証の立て方があれでは時間の無駄だと考えやめました。

 

 立憲民主の思わぬ躍進に対しては予想通り、枝野氏を筆頭に否定的な記事や論評が増えてきました。自民党はもとより、今回の大失態の中心になった勢力からもあります。今回の上杉氏の言動も、その一環なのかと邪推していますが、とにかく小池百合子氏の復権を実現したいのは間違いなさそうです。
 まぁ悔しいのはわかりますよ。けれども自業自得だし、自ら墓穴を掘ってしまったのですから、今さら〝言い訳〟を言われてもね。ただ、政党支持率が未だ14%を維持しているのが相当脅威なのかもしれません。ですから、とにかく悪い印象を持たせようとしているのかな?
 それと、排除を進言したのは自分だ、としていますが、だから何? と言いたいです。今さらどうでもよくありませんか? 小池氏の代わりに弁解しているようにしか見えませんよ。

 



上杉氏の指摘は客観的根拠が乏しい

枝野幸男氏について上杉氏はこう言っています。
「彼をヒーローにするのはおかしい」
「一度は賛成したのに、別の党を立ち上げるのは反党行為だ」
「誠実だったのは前原氏の方で、枝野氏はウソをついている」
 特にIWJの動画では、例の排除リストを「官邸が流したニセ情報」と断言し、それに騙されて党を立ち上げたのだ、と明言しました。しかも官邸や自民党は小池旋風になったら政権交代は必至だと考え、枝野氏たちが勝つように仕組んだのだ、と御丁寧に解説までしています。
 さらには民進党からの候補者は全員公認する予定だった、そもそも枝野氏は公認申請さえしなかった、勝手に排除されると思っただけだ、無所属では勝てないから本当は希望の党の公認を望んでいた、などと言及しています。

 

 上杉隆氏の〝枝野嫌い〟は知っています。東日本大震災時の官房長官ですから福島原発事故の実態を隠した責任は確かに大きいし、そういう意味でも枝野氏は重い十字架を背負っていると私も考えています。それを批判するのは一向に構わないし、早い段階から事故の深刻さを指摘していた上杉氏には枝野氏を批判する資格があるでしょう。
 けれども今回の件と連動させるには無理があります。枝野氏は官房長官の時と何も変わっていない、またウソをついている、と言っていますが、それはあくまでも上杉氏の言い分が事実なら、という前提付きなのです。

 

一度は賛成したのに、とか、前原氏が誠実かどうかについては、当事者ではない人間には判断できません。なぜなら、誰が何を言ったのかの真偽を判断する術は、現場にいる、もしくは当事者が認めない限りできないのです。できることは〝事実の推測〟だけで、この場合は二人(枝野氏と前原氏)のその後の行動がどうだったかで判断するしかありません。

 

上杉氏は、政治家に簡単には近づけない私たちのような〝一般市民〟とは違うようのなで、確かに色々な情報が入ってくるのでしょう。ただし二人と同席していたか、もしくは枝野氏が直接認めない限り、やはり伝聞に過ぎません。
 自分の情報源を喧伝するのは自由ですが、私たち一般市民に対してそれを〝客観的〟とするのは、ただの強要でしかない。あくまでも上杉氏個人の私見だと言うべきではないでしょうか。

                              

 一つだけ確かなことは、全員が希望の党の公認を受けられると、議員総会で前原氏が公言したと複数の民進党議員が証言していることです。枝野氏は、全員が行けるのなら「邪魔はしない」と言ったと伝えられていますが、この点が上杉氏と食い違っています。どうやらこれを〝ウソ〟としているようですが、その場に上杉氏はいたのでしょうか? それとも前原氏の証言なのでしょうか? 直接枝野氏に取材して本人がウソだと認めたのでしょうか? 
 そんなのウソだと認めるわけがないじゃないか、と上杉氏は言うでしょう。ですが片方の証言だけで言及しているとしたら説得力は半減します。たとえ官房長官時代がどうであれ、今回もそうだという根拠にはなりません。

 

 

 

前原氏が誠実だという〝摩訶不思議さ〟

 前原氏は、政権交代のためのプラットフォームだと言いました。私もインタビューで見ています。であれば、希望の党に対して全員の公認要請をしたとしても、それが受け入れられなかった時点で立ち止まるべきでした。なぜなら党代表として、解党まで覚悟して臨んだ決断が描いた通りにならないのなら、撤回も含めて検討をするのが、それこそ前原氏の責任だと考えるからです。時間がなかったというのは言い訳にならない。そもそも、それを利用したのは前原氏のはずです。

 

議員総会という公式な場所での約束を果たせなかった以上、撤回するか別の方法を取ることが〝誠実な行動〟だと考えますが、前原氏はどうしましたか? 排除の流れも止めずに静観していただけで、しかも枝野氏が新党を立ち上げようとした時には、市民連合の山口二郎氏に「なんとか止めてくれ」と懇願したようです。これは当事者である山口氏がデモクラシータイムスで証言していますが、これも〝ウソ〟だと言うのでしょうか? 話を元に戻しますが、この行動のどこが〝誠実〟なのでしょう。

 

枝野氏だって人の子ですから自らの選挙を心配するのは当り前です。迷ったとしても何ら不思議ではない。少なくとも前原氏の行動と、希望の党の実情があのようなものでなかったら、新しい政党の立ち上げなど必要なかったはずです。
 よろしいですか? 今回の騒動を引き起こしたのは枝野氏ではありませんよ、彼はあくまでも受け身の立場だったのですよ。だから多少のブレが、もしあったとしても責めることなどできません。もっとも〝ブレて〟いるようには見えなかったけれど。もちろんこれは、私の感想ですが。

 

 だいたい順序がおかしいのです。合流だか吸収だか知りませんが、最初にそれを決めて、後から、やれ政策が違うとか理念が違うとか、安保法制や改憲に賛成しない人はいらないとか、まるで後出しジャンケンみたいなやり方が間違っているのです。その責任はどちらにあるのですか?

 

 

 

ニセ情報を利用したのは誰? 政権交代なんて本気だったの?

官邸サイドから「排除リスト」というニセ情報が流された、それに騙され戦略に乗っかってしまった、という話も本末転倒です。
 ならば、どうしてすぐに「これは自民党か官邸サイドから流れたニセ情報だ」と、小池氏や希望の党の幹部が明言しなかったのですか? 確かに、そんなリストはないと否定をしていた記憶はありますが。けれども疑心暗鬼になっていた民進党系議員たちを安心させる言動など一つもなかったではありませんか。
 むしろ私には、これ幸いにと、リベラル系議員の排除に利用したと思えてなりません。これは私の邪推かな? でも本当にニセ情報なら、それを潰すことすらできない政党に、そもそも政権が担えるわけがないと思いますけれど・・・・。
 だって簡単なことです。小池氏が記者会見で「排除はしません、そのリストは妨害のためのニセ情報です」と言えば、間違いなく収束したと思いませんか? と言うより、それをしなかったからこそ混乱が深まって、このような結果になったと考えるのが自然だと思いますが。

 

前原氏・小池百合子氏・連合会長の三人は安倍政権を倒すという目的だけは一致していた、と明言しています。しかしこれも、はたして本気だったのか極めて疑わしいと考えます。なぜなら、保守的野党から共産党まで結集しなければ安倍政権を倒せないことは誰でもわかっていたことなのに、それを推進しないこと自体がおかしいからです。
 確かに、政策や理念の違うもの同士が同じ党で活動するのは難しいと言うことは理解できます。けれども、せめて協力関係だけでも築こうとしなかったのか。それは立憲民主党が結成されてからでも可能だったはずです。しかし希望の党は立憲民主党候補に対抗馬を擁立したではありませんか。どうして「すみ分け」の提案ができなかったのですか? まさに今、枝野氏が提案していることですよ。

 

私たち有権者は、何も一つの政党にまとまってくれ、などと望んでいないのです。政策を協議し、譲るところは譲り、さらに話し合って、安倍政権とは違った政治をやってくれと言っているに過ぎません。安保法制や改憲で折り合えなくても、例えば原発廃止で合意できるなら、そこは協力してやってほしい。私たちは、そういう大人の付き合いを要望しているのであり、子供のような争いなど望んでいないことを理解していますか?

 

 

 

安倍政権が最も恐れたのは・・・・

官邸と自民党が小池新党を恐れ、それを妨害しようとしたというのは部分的には正しいでしょう。けれども立憲民主党結成まで見越していたはずがありませんから、枝野氏たちが野党第一党になったことを官邸筋は喜んでいるという見解は、飛躍し過ぎで説得力がありません。確かに脅威とは思ってはいないでしょうが、主張がより鮮明になったので、むしろ対立軸がはっきりした分、必ずしも安倍政権にとっては好ましくないのではありませんか?

 

自民党と官邸が最も恐れたのは民進党を中心とした野党連合で、その中に共産党が入ることです。これは自民党にとっての公明党の役割になり、ここ数回の国政選挙の票数を見れば、投票率がさほど上がらなくても互角に近い数字になることがはっきりしていたからです。もし民進党のまま小選挙区で一本化が実現していたら、政権交代までは行かなくても、自公の三分の二を確実に阻止していたでしょう。それは今回の得票数を見てもはっきりしています。
 むしろ官邸の策略に乗っかってしまったのは小池氏側と見るのが本筋ではありませんか? 慌てて始めたのを見透かされ、さらには民進党を離党した議員と小池氏の政治姿勢からすれば、リベラル派はもとより、共産党と提携しないことは火を見るよりも明らかだった。だから、あのような謀略を仕掛けてくるのは当然と言えば当然です。もちろん官邸筋の謀略と断言するわけではありませんが。

 
 おそらく小池氏とその周辺は、共産党の入った共闘が成立したら出る幕はないと考えていたはずです。ところが安倍首相が解散に打って出た。時間がないのなら、むしろそれを利用しようとした。だから何の理念も政策も戦略もなかった。けれども最初はメディアが飛びつき、もしかしたらと思ってしまった。そうだ、このまま勢いで行ってしまえ、と。 
 ところが自民党と官邸に謀略を仕掛けられ、現状分析する視点や考え方が少しずつ違う小池氏と周辺の人々は、統一された行動が取れず対処もできなかった。しかも小池氏にはリーダーとしての資質や能力もなかった。ゆえに有効な方策も方針も見いだせないまま、ずるずると時間だけが過ぎ、大敗という結果を招いた。要するに組織としての態も為さず、それを作り上げる力量もなかった。
 真相は、こんなところじゃありませんか? 

 

 

 

上杉氏の言い分は〝筋が通らない〟

これまで指摘したことは、あくまでも表面化したことからの推察です。それでも〝筋が通らない〟としたのは、彼の言い分が事実かどうかよりも、言説通りの過程ならば結果が違ってくるのでは、というのを根拠にしているからです。同時に、上杉氏の言い分を裏付ける行動を小池氏や周辺の人々が誰一人取っていない、と見受けられることもあります。

 

もう一つ加えるなら、枝野氏はヒーローになったのではありません。あまりに強引な、あまりに民意に反した行為がリベラル層を落胆させたけれど、その反動として、一つの象徴として、枝野氏を祭り上げたに過ぎないのです。しかしこのリベラル層は、名もない市民であり国民一人一人なのです。自公支持者でもなければ共産党支持者でもない。安倍政権が嫌で、権力に驕る人間を嫌う人々です。そのような人たちが、それこそ手弁当で駆け付けたからこそ立憲民主党がここまで躍進したのです。
 ヒーローに仕立て上げたのは既成メディアですが、枝野氏に限らず他の議員たちも、そのことをよく理解しているようです。そのことは選挙後の言動からも推察できますが、どうやら上杉氏はそれが理解できていないようです。
 枝野氏をヒーローなどと思っている人間は立憲民主党支持者には誰もいませんよ。もし枝野氏がそのような振舞いをしたら、市民たちは容赦なく彼を引きずり下すでしょう。ですから心配御無用です。
 そもそも今回の茶番劇を市民たちが見抜けないとでも思っているのかな。あぁ、そうか、そう思っているから「枝野氏をヒーローにするのはおかしい」と言うのかもしれないね。支持した市民たちは、誰一人として彼をヒーローなんて思っていないのに。

 

上杉隆氏については、東日本大震災時の福島原発事故の状態と危険性について、いち早く伝えた人として私の記憶に残っています。ネットなどでは「不安を煽って」とか「ウソつき」とか言われていましたが、既存メディアが政府の言いなりになる中で、たとえCS放送(注:朝日ニュースターだが現在は存在していない)であっても、その功績は大きいと思います。その評価は現在でも変わっていません。
 しかし最近の彼は、どうも政治に近づきたがる、正確に言えば政治家に近づきたがる傾向があるようです。それも、けっこう特定の人たちに。そんな様子を見ていると、若い人たちは知らないと思いますが、「政治フィクサー」という言葉を思い出してしまうのです。簡単に言えば、裏で政治を仕切るとか、仕掛ける人というイメージですが、まぁ彼は表舞台に出ているので少し違うかもしれませんが。ただ間違いないのは〝リベラルな政治家〟は嫌いなようですね。

 

 

 

こんな国に住みたいと思う外国人はいない

「後退」してゆく日本人

 東京新聞・1126日付け朝刊・こちら特報部で、国連人権理事会(UPR)に関する記事が掲載されていました。この理事会は加盟各国の人権状況を審査することになっており、193の加盟国が45年ごとに審査されるそうです。そもそもの理念は、
「人権問題の解決は内政不干渉の原則よりも優先され、国境を超えて議論されるべき」とされており、審査という方法を採用したのも、この理念が基になっているようです。

 

 さて、わが日本は、どのように審査されたのでしょうか。まず2008年では26項目が勧告され、4年後の2012年では174項目、そして今年においては、なんと218項目にも及んでいます。ちなみに2012年は第二次安倍政権が発足した年でした。

 

 218項目もあるので、とてもじゃないですが全てを書き込むのはシンドイので、主だったものを列記しました。
●女性の権利保障
●移住労働の保障
●マイノリティ女性への暴力に関する適切な措置
●慰安婦被害者への謝罪と賠償
●アイヌ/琉球の人々の権利保障
●オンライン上のヘイトスピーチ解消
●包括的差別禁止の制定
●朝鮮学校への高校無償化適用
 

 正直、タメ息しか出ません。今は、確か21世紀ですよね、しかも日本は開発途上国でもないはず。それなのに勧告内容はとても先進国とは思えない。日本人の一人として、ただただ〝恥ずかしい〟限りです。

 

私は、どんな民族であれ、多少の紆余曲折があったとしても〝進歩〟してゆくものだと考えていました。しかしそれは間違い、とまではいかなくても楽観的過ぎないかと最近では思うようになりました。なぜなら日本人は、間違いなく〝退歩〟もしくは〝退化〟していると感じるからです。もっとも日本人は、言われているほど優秀でも進歩的でもないのでは、という疑念は消えませんがね。

 

このような現状で今の若い日本人は、はたして自国を誇れるのでしょうか。ユーチューブでは何の根拠もなく、フェイク要素満載な動画が溢れています。それはブログ記事やサイト記事でも同様で、しかもテレビ番組でも「日本人はこんなにスゴイ!」を放送すると視聴率が良いとか。どうやら世界からは誰も褒めてくれないので〝自画自賛〟に陥っているようです。もっともこの国の首相がそうなのですから、国民の多くも同じだという〝笑えない〟結果になっているようです。けれども、本当にこれで大丈夫?

 

 

 

選ばれない日本という国

 前述したようなことを思っていたら、たまたまある記事を発見しました。毎日新聞・1127日付け夕刊での福本容子論説委員のコラムです。要点だけ書きますが、スイスの国際開発研究所(IMD)というビジネススクールが、有能な人材を確保する要件を30項目選び、それぞれ評価したものを総合して世界63ヶ国をランキングにしたそうです。

 

 2017年版で日本は31位と全体の真ん中ぐらいだったそうですが、海外の頭脳を引き付けるビジネス環境があるか、という項目ではアジアで最下位だったそうです。ちなみに中国が34位・インドが36位・韓国が48位だそうですから、もっと下ということになります。この項目を平たく言えば、優秀な頭脳を持った人間が働きたい国か、という意味でもありますが、どうやら日本では働きたくない外国人が圧倒的に多いという、実に悲しい結果になったようです。

 

 さらに63ヶ国中で最下位の項目があったそうです。それは国内の上級管理職の国際経験だそうで、もう、ほとんど致命的ですね。なぜなら、いくら優秀な外国人が入ってきても、その上司が海外で働いた経験が乏しいのでは、外国の方の能力を伸ばしたり引出したりすることなど、まぁ普通に考えれば不可能でしょう。むしろ〝バカにされる〟だけだと思います。福本論説委員は、一応対処法を書いていますので興味があったら読んでみてください。

 

ウラから目線:選ばれない国(毎日新聞・1127日夕刊コラム)

 

 

 

君たちは日本という国を誇れますか?

 ビジネス環境だけが優れていても、人間としての住む環境が悪ければ、よほどの変人でもない限り移住をしてこないのは当然です。
 先に述べた通り、日本の人権環境は国際的にも懸念されています。そんな状況では、日本にとって都合の良い優秀な外国人だけに、ぜひ来てくださいなどと言っても、特に先進国の人々は人権に対する意識が高いですから、ないものねだりでしかありません。

 

 さらに付け加えると、123日の東京新聞で伝えられていることですが、内閣府が「人権擁護に関する世論調査」を発表したそうですが、今回初めて、ヘイトスピーチを伴うデモなどを実際に見聞した人に複数回答で受け止めを訊ねたところ、なんと17.0%の人が「表現の自由」の範囲内と答えたそうです。この結果に対して法務省の担当者は「あってはならないことだという認識を広める努力を続けていかなければならない」と危機感を強めているそうです。
 18歳以上の男女3000人を対象に個別面接方式で行い、有効回収率は58.6%だったそうですが、この数字をどう受け止めるべきなのでしょうか。深刻と受け止めるべきか、いや、思ったより少ないと思うべきか。しかし人権先進国の人からすれば、この数字は多いと受け止めるのは間違いないでしょう。

 

 もう一つ付け加えます。これも東京新聞からですが、1130日付けの共同電で、性的少数者への抑圧をカナダの首相が公式に謝罪したことを伝えています。
 記事によるとカナダでは、1950年代から90年代にかけて多くのLGBTが公職を追われたらしく、そのことに対してトルドー首相は、国家による組織的な抑圧と排斥を認めて謝罪し、演説の中でこう言いました。
「われわれがしたことを恥じ入り、悲しみ、誠に遺憾に思う。謝罪したい」
その時の議場は与野党議員が総立ちになり、数分間大きな拍手を送ったそうです。さらにトルドー首相は、「ソーリー(申し訳ない)」という言葉を10回以上使い、目を潤ませて涙を拭うしぐさを見せて、
「カナダでは世界中でLGBTの平等の権利を堂々と擁護していく」と宣言したそうです。

 

 みなさん、どこかの国の首相とはだいぶ違いますね。でも聞いてみたい、特に若い人たちに。あなたは、自分の国の首相がトルドー氏のような人だったら、それを誇りに思いますか? それとも、対話よりも圧力だ、お友達のためなら行政も平気で歪めてしまう首相を、外国に行っても〝誇りに思う〟と言えますか?

 

 いつの日か、日本の首相が「従軍慰安婦」の女性たちに向かって、恥入り、悲しみ、涙ぐみながら謝罪するのを願ってやみません。もしそんな日が来れば、君たちは日本という国を誇ることが出来ると思います。そして多くの外国人が、日本に住みたいと、きっと言ってくれるでしょう。
 しかし残念ながら今の日本では、こんな国には住まない方がいいですよ、と外国の方に私は忠告します。だって差別されるのが目に見えているからですが、もっとも白人の方には住みやすいかも、と言うかもしれません。なぜなら日本人は未だに白人だけにはペコペコしているからです。その極めつけは米軍人とその家族です。なにしろこの人たちは日本においては〝治外法権〟ですので。何でもアリですから、きっと住みやすいに違いありません。

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カイトアキラ

Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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