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この国の未来を考える

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平昌オリンピックから見える、この国の劣化

小平奈緒選手に思うこと

昨日で平昌オリンピックが終了しましたけれど、まだパラリンピックがありますから出場する方々の健闘を祈りたいと思います。

 

なんて、柄にもない書き出しですが、競技者やバックアップしている人たちには申し訳ないけれど、まったく観戦をしていませんので。そんな私ですが小平奈緒選手だけは目を引きました。なぜかと言うと、オリンピック前に下記の記事をたまたま読んだからです。

 

「私を雇ってください」 小平奈緒が記者に語った真意:朝日新聞デジタル

 

フィギュアほどの人気がないとはいえ少なくとも1980年代までは、スピードスケートでもトップクラスの選手であれば、実業団の所属となって競技活動に困ることはなかったと思います。
 ところが記事を読むと現在は様変わりしているようです。確かに「病院」の所属になっていたので、どうして? と思っていたのですが、ようやく理解しました。しかしこれは、ある意味深刻な問題でもあるのです。なぜなら、いくら人気のない競技でも、トップクラスの選手が十分に活動できないほど『国力』が落ちている証拠でもあるからです。もちろんその責任は、偏に私たちの世代にあります。ですから小平奈緒選手以外にも、申し訳ないと謝罪をしておきます。

こんな国に誰がしたんだ! はい、私たち50代・60代の人間です(^_^;)

 

 さらに小平奈緒選手に申し訳ないのは競技を見ていないことです。でもね、仕方がありません。まったく興味がないのですから。ただ今回だけは、金メダルを伝える記事に付随した写真に惹かれました。それは、李相花選手と抱き合っているシーンです。

 

 最初は何がなんだか理解できなかったのですが、HUFFPOSTなどの記事でようやくわかりました。これについて特に感想はありません。ただ、あの瞬間だけは、オリンピックは『個人のもの』だということを、小平奈緒選手が身を持って証明したのではないかと思っています。

 

正直、国旗を持ってぐるぐると回るシーンが大嫌いです。オリンピック憲章精神の欠片もない行為だからですが、それはひとまず置くとして私が感心したのは、小平奈緒選手が感情を押し殺して(のように見えた)、何があっても李相花選手を抱きしめる、という意志を示していたことです。

 

その後の記事で二人の関係が伝えられましたが、おそらく小平奈緒選手は結果がどうあれ、断固として抱きしめると決意していたのではないでしょうか。だから金メダルを取ったけれど、感情を押し殺して無表情になったのではと思います。
 実際の映像で見ると、李相花選手はすぐには気づかなかったのですが、小平奈緒選手が待ち構えているのがわかると一気に表情が崩れます。それは、たぶん二人にしかわからないものがあったのでしょう。そこには、国も人種も民族も、ましてや政治なども一切関係ない、個人としての時間と空間があった。まさに競技をする者だけが共有できる瞬間です。本来オリンピックとはそういうものでは、と私は思うのですが。

 

 

 

あまり考えたくはないけれど、もし立場が逆だったら・・・・

 小平奈緒選手と李相花選手のエピソードについては、日韓双方とも好意的に受け止められました。特に韓国の人々の反応は称賛に値すると思っています。
 私ぐらいの世代では、たとえスポーツであっても日韓戦は激しいものでした。特にボクシングなどは会場が殺気立つくらいでしたから。変われば変わるものだな、というのが素直な感想ですが、しかしこれは時代のせいではないと思います。それは民主主義や人権が、韓国では揺るぎないものとして根付いてきたからではないでしょうか。

 

 日本では、とかく韓国を罵倒したり誹謗するネット記事を見掛けます。けれども、どう考えても国民主権と民主主義を実践しているのは韓国の方でしょう。それは今の国会を見ればわかります。データーを捏造しても法律を作ろうとしている政権が五年も続いているのですから。
 リーダーもまったく違う。片や戦争回避のためにはプライドを捨てることも厭わない。片や、どこかの国の番犬よろしく、キャンキャンと吠えるだけ。どうも恥というものを知らないらしい。

 

 国民はどうでしょうか。小平奈緒選手を素直に称賛する人々が溢れる韓国。反撃されないとわかっているから銃を打ち放つ卑怯な連中と、それを義挙と言うバカなネトウヨどもが蔓延する日本。

 

テレビを見ないので平昌オリンピックなどが、どう扱われているのか知らなかったけれどリテラさんが記事を掲載してくれました。タイミングの良さに、いつも感心しています。

 

「嫌韓」と「日本スゴい」まみれだった平昌五輪報道! こんなヘイトと愛国ポルノの国で東京五輪など開催していいのか  (リテラより 2018/2/25

 

 もし小平奈緒選手と李相花選手が入れ替わっていたら、日本の人々が韓国のような反応をできたのか、私にはそう言える自信がありません。おそらくネットでは、不正だとか、邪魔されたなどのイチャモンが溢れるのではないでしょうか。

 

 でも仕方がありません。なぜなら韓国は、間違いなく成熟しつつありますから。日本にはバカがたくさんいるので、それを気がつかない。でも、気づいた時には手遅れと言われる時代が、実はすぐそこに来ているのですけれど。

 

 ところで東京オリンピックですが、今からでも遅くありません。返上した方が「国益」になると思います。しかし、たぶん開催するでしょうから、期間中は東京からなるべく離れようと思っています。みなさんも巻き込まれない方がいいですよ。ボランティアなどをやっても寿命を縮めるだけですから。
 それともう一つの心配は、差別主義者というゴミみたいな連中が、来日した選手たちにヘイトを仕掛けないだろうか、ということです。もっとも戦争の可能性は少し減っただけだから、今から2020年の心配をしても意味がないけれど・・・・。

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三浦瑠麗さんが滑稽で哀れなのですが・・・・

南北対話に焦る安倍政権

国際政治学者と言われている三浦瑠麗さんの言ったことが物議を呼んでいますが、もう一週間を過ぎるというのに未だネットを騒がしています。

 

三浦瑠麗さんという人物については後述するとして、まず見誤っていけないのは、なぜこんなことを、このタイミングで言ったのか、ということを考えることが必要です。それは、安倍応援団による「北朝鮮の微笑み外交に韓国は騙されている」という類いの記事との関連をみれば理解できます。

 

平昌オリンピックを機に南北の融和ムードが一気に進みました。もちろん、まだ安心するには程遠い状況ですが、親分であるアメリカが容認する意向を見せ始めていることは歓迎すべきでしょう。
 ところが、こんな動きに一番困っているというか動揺しているのが、安倍首相とその一派です。なにしろ「改悪のための改憲」をやるためには、北朝鮮は「憎き敵」でなければいけません。安保法制や秘密保護法や共謀罪も、すべて北朝鮮の脅威を理由にしてきた政権にとって、この流れに相当焦っているのが見えています。

 

 と言ってもアメリカの下僕ですから意向に逆らうことはできません。であれば、とりあえずは当面の敵に対する「憎悪と危険性」を助長するように仕向けなければならない。だから長谷川幸洋氏や高橋洋一氏などが、北朝鮮と対話をしようとする韓国を罵倒し、あくまでも圧力を掛け続けるべきだと息巻いて、さらにはアメリカが攻撃することを容認するような発言までしています。要するに北朝鮮が敵でなくなると困るので、融和ムードに水を差して、北朝鮮は敵なのだと再認識させるための言動・妄言を仕掛けているのです。

 

その流れでみれば三浦瑠麗さんの発言も納得できるのです。おそらく、誰かから言ってくれと依頼されているのではないでしょうか。事実など、どうでもいいのです。恐怖と憎悪を煽って、北朝鮮を日本の敵、そして対話をしようとする韓国も敵だ、感じさせることが目的なのです。その底流に在日の人々に対する〝差別意識〟があることは言うまでもありません。

 

 

 

工作員とテロリスト

どなたかが「工作員妄想」と揶揄していましたが、そもそも工作員とテロリストを同列に並べていること自体が〝無知〟だということを証明しています。三浦瑠麗さんは、わかっていて言ったのか、それとも理解できる能力がないのか、そのどちらなのか私にはわかりませんけれど。

 

簡単に言っておきますが欧州で起きているテロは、いわゆる国家組織の一部としての人間がやっていることではありません。基本的には、その国に移民した人々の不満や怒りから発生し、それをイスラムのテロ組織が利用しているに過ぎないのです。ですから、俗にローンウルフと呼ばれて事前に防ぐことが難しいのです。

 

しかし工作員は違います。本来なら工作員とは何かを定義しなければいけないけれど、とりあえずは置いておくとして、まずは韓国と北朝鮮が戦争状態であること、ついでに言えばアメリカもそうであり、現在の状態はあくまでも休戦であることを忘れてはいけません。
 そのような、動かし難い前提がある以上は、少なくとも情報収集としての要員、さらには再び開戦した時に、敵国を攪乱するための人員を派遣することは軍事的に見れば常識なのです。ですから敵対国であるアメリカに軍事基地を提供している以上、いざ戦争状態になれば工作員が日本で活動することは当り前なのです。それには破壊活動などが入るのも当然でしょう。

 

かつての大日本帝国だって、いわゆる特務機関による謀略行為を中国大陸などで散々やってきました。それを見れば、何を今さら善人ぶってと、特に侵略されたアジアの国々から言われるでしょう。
 かつての日本がやってきたことではないか、しかも休戦しているとはいえ戦争状態である国に基地を提供しているではないか。工作員による破壊活動が嫌だったら、なぜ対話をしないのか、と言われるだけではありませんか?

 

でも現在の日本に、そのような類いの工作員なるものは存在していないと私は思っています。だってミサイルの時代ですよ。そんな手間暇かけて、しかもどの程度まで成果を上げられるか不確かなことをやるとは思えない。そんなことをするよりもミサイルを撃ち込んだ方がより確実ではありませんか? むしろあるとしたら、ミサイル攻撃が十分に成果を上げなかった時に、特に「原発」を狙った破壊活動はあるかもしれないけれどね。

 

そうそう、みなさんは、全部ではないけれど各国の日本大使館に自衛隊の武官が派遣されていることを知っていますか? さらには警察庁の人間が行くこともありますよ。彼らはいったい何をしているのでしょうか?
 名目上は大使館員の警護と、邦人保護のための情報収集になっているけれど、他国から見れば彼ら彼女らは、やはり諜報員もしくは工作員と認識すると私は思いますけれど。

 

 

 

新たな「不貞鮮人」という虚言を21世紀に創り出そうとしている

ヘイトTVで野間氏が、三浦瑠麗さんの言説は21世紀の「不貞鮮人」妄想だと指摘をしていました。私は知らなかったのですが、関東大震災で発生した朝鮮人虐殺の四年前に、初めて新聞に「不貞鮮人」という言葉が登場したようなのです。内容は、暴動を起こしたとか日本人に危害を加えた、または騒ぎを起こす予兆があるなどです。すべてデマだったことは証明されているけれど、未だにアホなネトウヨどもが言いふらしています。しかし問題は、なぜそんな妄言が流布されたのか、でしょう。

 

時期を見ると朝鮮半島での独立運動が活発化してきた頃に符号します。しかし当時の日本は、その動きを恐れて苛烈な弾圧を加えました。一応、亡命政府を上海に置いた記録があるようですが各国には認められていなかったようです。とすれば工作活動をする組織もなかったことが推察されます。さらには朝鮮半島の人々が日本で独立運動をした形跡も私の知る限りではありません。要するに当時の日本に於いて破壊活動や、独立運動を扇動する者などいなかったにもかかわらず、「不貞鮮人」という、今で言えばヘイトスピーチを日本という国家が拡散して憎悪を煽ったのです。その目的は植民地支配の正当化、および朝鮮民族の根絶を意図していたと思いますが、今回の「北朝鮮の工作員がテロを起こす」という妄言も、根底では当時と同じ意識が流れていると私は考えています。



 

ニセモノの見分け方

テレビ番組などで、アメリカではこう言われていると、ドヤ顔で知ったかぶりをする〝評論家〟や〝学者〟と呼ばれる人たちがいます。しかし彼ら彼女らに共通していることは、アメリカの誰が・いつ・どこで・どのような媒体を使って言及したのか、ということを明言しないことが多いのです。しかしこれは実に卑怯なやり方で、もし他人の言説を引用するのなら、それを第三者が検証できるように明らかにすることは基本だと言えるでしょう。

 

しかし1980年代まではこの手法がけっこう通用しました。なぜなら大半の日本人は英文を理解できないし、アメリカに行くこともほとんどなく、仮に行ったところで聞き取りなどできませんから討論番組など見てもまったく理解できない。当然、新聞や雑誌なども同じです。
 ですからアメリカに留学した人々は、これを逆手に取って嘘八百とまでは言わないけれど、アメリカでは主流でもない怪しい言説を、如何にも主流的な意見と吹聴することが多かったのです。その目的は大半がリベラル潰しでした。
 私の若い頃はよく聞かされたものです。だから日本はダメなのだ、だから日本は遅れている、などと。でも、そのような人間は次第に化けの皮が剥がされてしまいます。なぜなら同じ留学経験者でも「まともな人」がいるからで、まずは誤訳を指摘されたり、引用した人物が相手にされていない人だったりなどです。化けの皮が剥がされてしまう連中は100%対米従属一辺倒でした。

 

三浦瑠麗さんを初めてテレビで拝見した時は、また同じタイプの人間が出てきたと思いました。なにしろ「アメリカでは」という言葉を多用するのですが、具体的な名前や論文等が掲載された雑誌名を言わないのです。テレビだから時間がないというのもあるけれど、インタビューなどでも基本的には同じでした。その姿を見て私が感じたのは「第二の猪口邦子」が出現したな、というものでした。

 

三浦さんと猪口邦子氏に共通していることは、いわゆる両論併記をすることです。一見、保守に対して厳しい意見を言いつつも、リベラルにも苦言を呈する。しかし次第に攻撃する割合はリベラルの方が断然多くなってくることです。
 ところが日本のメディアはこのようなタイプを重宝する傾向があります。猪口邦子氏も最初の頃はリベラルに近いと思われていましたからね。ですから朝日新聞などにも頻繁に登場していました。でも決して騙されているわけではないのです。なぜなら正体はわかっているけれど、両論併記をしてくれる人は無難で使いやすいからなのです。三浦瑠麗さんも朝日新聞に使われていると聞きましたから、やはり同じ理由でしょう。

 

しかしネット時代では賞味期限が切れるのも早いようです。最近の言説は確かに酷い、というかほとんどコメディですけれど。
 野間氏によると論文が一本もないらしいですね。事実かどうか私は知りませんが(興味ない)、推測ですけれど学者仲間(いるのかな?)からは相手にされていないのでは? なんて他人事ですが心配しています(^^;)
 本来なら三十代は学者として一番大事な時ですから、研究を重ねて論文を多数発表するのが「まともな学者」の王道ですけれど、なんかテレビに引っ張りだことか。きっと学者としてヒマなのでしょうね。

 

ここで予測をしておきます。三浦さんは、次の参議院選に自民党から立候補するのではないでしょうか。第二の猪口邦子、いや高市早苗かな。レベル的には稲田ですけれど。
 今の行動と言説はそのための準備だと思えてなりません。とにかく事実はどうでもいい、今は名前を覚えてもらうことが重要なのだ、と。
 確かにこのままでは、大学教授とか、どこかのシンクタンクに誘われるとかもなさそうです。ですから生計を立てるためには〝国会議員〟という〝就職〟をしたいのかも。ただしプライドだけは高そうなので地方議員は嫌なのでしょうけれど。
 

もし彼女が選挙に出たら選挙妨害をしてはいけませんが、街頭演説の時はカウンターとして思いっ切り笑ってあげましょう。
 ちなみに、なぜ三浦さんと「さん」付けにしたのか。猪口邦子氏は、あれでも教授の肩書がありましたから一応敬意を表して「氏」を付けましたけれど、基本的に私は女性を敬愛していますので、呼び捨てでは失礼ですし、氏を付けるにはちょっと、と思ったので〝愛情〟を込めて「さん」付けにしたのです。ただし、もし妄言がさらに続くようなら「ちゃん」付けにした方がいいのかな、とも考えていますけれど・・・・・(#^.^#)

だから「天皇制」はいらない!

平昌オリンピックという場のおかげで韓国と北朝鮮の対話が急展開しています。私にとってオリンピックはどうでもいいことですが、戦争を回避する可能性が少しでも高まるのなら、オリンピックの存在価値も少しはあるかもしれないと今回の件で思いました。

 

 それにしても、この歓迎すべき動きに冷水を浴びせる安倍政権とトランプ政権には、○○に付ける薬はないと言うけれど呆れて言葉が見つからないですね。アメリカはともかくとしても、少なくとも日本は甚大な被害を受ける当事者なのに、安倍首相は煽っているのですから開いた口が塞がりません。早くこの政権を退場させないと大変なことになりますよ。戦禍を受けてからでは、いくら後悔しても始まらないことを日本人はもっと自覚すべきです。

 

 

天皇制は「身分制度の残滓」

 今回のタイトルについてですが、その前段として簡単に説明をしておくことがあります。私は生粋?の憲法改正論者ですが、ただしそれは九条ではなくて、第一章「天皇」の第一条から第八条までを削除すべきというものです。理由は極めて明快で、現在の天皇制は「身分制度の残滓」だからです。

 

 天皇制擁護論者たちは、日本古来よりあるもの、日本だけの特殊な存在、または守るべき伝統であり慣習などと言ってきました。私が十代の頃から、特に右翼によって語られてきたものです。
 これらに反論するのはさほど難しくありません。なぜなら「だから何?」「要するに身分制度でしょ?」の一言で終わるからです。

 

世界中のどの地域・どの民族・どの人種でも、天皇制と似たような制度が存在しているのは知っていますよね。そんなことは当り前なのです。だって人類の歴史は、基本的に身分制度との戦いなのですから。その結果として現存している王制の大半は政治的実権を失って形式的なものになったのです。もしかしたら地球のどこかに、まだ残っているのかもしれませんが私は知りません。

 

よく身分制と階級制を混同する人がいますが、階級制の説明はマルクス主義の専門家に任せるとして、身分制とは何かを簡単に言えば、法(古代なら律令)によって身分に格差を付けること、そしてその振分けを基本的に「出自」で決めたことです。
 この場合の出自とは職業であったり地域であったり、または階層(例えば武士や貴族など)などでした。そしてこの身分制の最大の特徴は自らの意志では変えられないことです。基本的には「法を司る王」による命令以外には方法がありませんでした。

 

ということは何を意味するのでしょうか? 要するに農民の子供として生まれれば死ぬまで農民であり、商人の子供であれば同じように商人しかなれない。これらは職業ですが、もっと広く括り上げたのが、いわゆる「良民」と「賤民」というものです。この選別には宗教的概念も入っているのですが説明すると長くなるので省略します。ただ、もちろん何の根拠もないことは言うまでもありません。そしてこの身分階層もまた、本人の意志で変更することはできませんでした。

 

 結論は極めて単純です。身分制度は中世の遺物であり、近代においては完全に否定されたものなのです。

 

では天皇制を見てみましょう。まずは法(憲法)によって規定されています。次に本人の意志では変更できません(皇籍離脱は本人の意志だけでは不可能)。そして天皇家に生まれれば、たとえ皇籍離脱しても「出自」は皇族と称されます。逆に、天皇家の男子と結婚した一般人女性は(元皇族・元華族以外)皇族となっても「出自」は民間人または一般人と言われるのです。さらに驚くべきことは結婚した女性が「名字」を失うことです。というか、天皇家だけ「名字」がないという〝特殊〟な存在になのです。そう、天皇家以外の日本人にはあり得ないことです。

 

 どうですか? 確かに現在の天皇には政治的実権はありません。しかしどう考えても、身分制の根幹をそのまま残していると言えませんか? だから私は「身分制度の残滓」と呼んでいるのです。

 

みなさんにも考えてほしいのは〝特殊〟な存在を認めるということは、別の〝特殊〟な存在をも容認する根拠になってしまうことです。
 天皇家という〝高貴〟な人々が、日本国または日本国民のために日夜努力をしているのだから、他の平民?庶民または一般人は、多少の不利益があっても我慢をしろと言わせてしまう理由になってしまう。それを突き詰めれば「差別」になることは、被差別部落という作られた身分差別を見れば理解できるでしょう。そして今でも根強く残っている理由は、被差別部落を特殊な存在としてきたからなのです。他にはアイヌ民族や在日朝鮮人さらには沖縄の人々も、同様に特殊な存在として天皇制という身分制度の中に組み込まれてきたのです。

 

 現在の日本国憲法は身分による差別を禁止しています(第十四条)。ですから身分制度は事実上廃絶されたと言っても良いのですが、では天皇家はどうなるのでしょうか。
 実は、九条の二項と自衛隊の存在という問題よりも遥かに矛盾しているのが、第一条から八条までと第十四条なのです。片方で天皇家という特別な存在を認め、片方では特別な存在を禁止している。いったいどちらを優先すべきなのか。いや、考えるまでもなく答えは明白です。

 

基本的人権は憲法の大きな柱ですから、今この瞬間でも、基本的人権を侵されている人たちとして天皇家がいることを忘れてはいけないのです。私は、ある意味これは「逆差別」であると思っています。本来なら一刻も早く、第十四条の法の下の平等を享受させてあげるべきではないでしょうか。もっと簡単に言いましょう。天皇家を「解放」してあげませんか?

 

以上のような考えの持ち主ですから、基本的に天皇家の出来事とか人物には1ミリたりとも興味がありません。なにしろ昭和天皇が亡くなった際の「大喪の礼」の時には、雀荘で徹夜マージャンをやっていたぐらいですからね。
 話は飛びますが「大喪の礼」当日は休日になりましたが、いわゆる自粛という名目で営業しない店が大半でした。しかし一種の都市伝説でしょうけれど、営業していると右翼の殴り込みがあると、まことしやかに言われていたのを思い出しました。ネットのない時代なのにそんな噂が流れたのですよ。ちなみに私が打っていた雀荘は電飾看板を消して、なおかつ黒いカーテンで閉め切って営業をしていたけれど・・・・(笑)

 

 

 

眞子さま「婚約延期」の気持ち悪さ

 こんな私ですから、眞子さまと小室さんの婚約報道にもまったく関心はありませんでした。ちなみに皇太子が結婚した時も同様です。
ここで断わっておきますが、皇族に対して敬語を使うのが一般的になっているけれど、私には未だにその理由がわからないし、敬語を使わねばならない論理的な根拠もないと思っています。ですから基本的には使いませんが、ただし女性全般を敬愛していますので、さらに眞子さまは愛くるしい女性なので、今回は使用しました(どうでもいいことですけどね)

 

 皇室にまったく関心のない私ですが下記のリテラの記事を読んで、いったいこれは何だ、と感じました。とてつもなくグロテスクなことが進行しつつあるのでは、と。そう思っていたら「延期」の報道です。この私が、いわゆる皇室記事をこれほど読むことになるとは。

 

眞子内親王の婚約者・小室圭氏の母親の男性問題を週刊誌が報道! 背後に安倍政権や極右勢力の結婚ツブシが  (リテラ・2018/1/27

 

秋篠宮家・眞子さま婚約相手の小室家バッシングの背後に何があるのか
   (Yahoo!ニュース 篠田博之・2018/1/31

 

子さま結婚2020年に延期 小室さんの金銭問題報道が影響か 〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース  2018/2/7

 

眞子さまの結婚延期 新聞各紙は「週刊誌報道」にどう触れたのか
  (BuzzFeedNEWSより 2018/2/7

 

眞子さまはなぜ自由に結婚できないのか? 「非戸籍の日本人」の苦悩(井戸 まさえ)
  (現代ビジネスより 2018/2/8

 

眞子さま結婚の突然の延期の背後にいったい何があったのか
  (Yahoo!ニュース 篠田博之・2018/2/7

 

 

 正直、延期の理由とか原因とか、ましてや小室さんの家の問題?について言及するつもりはありません。ただ、これが一般人同士であれば婚約延期などあり得ないでしょう。なぜなら、伝えられている金銭問題?は世間ではどこにでも転がっている話だからです。法的な解決を目指すのなら弁護士に依頼すればいいことで、結婚の障害になど決してなりません。

 

しかし、幸か不幸か眞子さまは皇族です。だから問題らしい? というより、皇族だから何ですか? と聞きたくなりますけれど。
 憲法にも保障されている通り、成人した男女は当人の合意のみで婚姻できるのです。仮に家族がどうであれ当人が納得していれば良いはずなのです。ところが・・・・


リテラの記事から気になった部分を一部引用します。

●「幼少から眞子さまの成長を見てきた宮中関係者の中には、端から小室さんを結婚相手とは認めないという強硬な姿勢をもっている人も少なくありませんでした」

●「小室さんについてのネガティブな情報が流されるのは、抵抗勢力が水面下で動いているからかはわかりませんが、何かしらの思惑が蠢いているのを感じます」
実際、一連の母親の報道を利用するかたちで、官邸や旧宮家関係者が一斉に宮内庁に対して、「結婚を止めさせろ」「婚約を解消させろ」と圧力をかけ始めているという。

 

●眞子内親王と小室さんの交発覚直後から、ネットでは、「#眞子様婚約反対」なるハッシュタグまで作られ、「あんな素性のわからない人間が女性皇族と結婚しようなんておこがましい」「内親王の降嫁先としては胡散臭すぎる」などといった時代錯誤丸出しのバッシングが展開された。ちなみにこのハッシュタグには「#がんばれ安倍ちゃん」「#安倍総理支持」というハッシュタグが一緒に並んでいたり、アイコンに日の丸が使われていることも多く、安倍応援団やネトウヨがこうしたバッシングを煽動していたのは明らかだった。

 

●・・・(略)・・そのため対策が断続的に議論されているが、代表的なのが、「女性宮家の創設」という案と、「旧宮家男系男子を皇籍復帰させる」という案だ。男女平等の観点からも「女性宮家の創設」には国民の支持も高いが、ミソジニーな日本会議や安倍首相をはじめとする極右勢力は男系の伝統にこだわりこれに強く反対し、「旧宮家男系男子の皇籍復帰」を主張している。安倍首相のブレーン・八木秀次氏などは、その変形バージョンとして「旧宮家男系男子と女性皇族を結婚させる」などという、個人の意志を完全に無視したトンデモ案を提案しているが、安倍首相も「旧宮家の男系男子孫と結婚する女性皇族がいたら女性宮家を創設してもいい」と同種の考えをもらした。

 

嫁ぎ先に相応しくないとか、素性がわからないなど、記事でも指摘している通り時代錯誤も甚だしい。大きなお世話だろうが、と言いたくなります。しかも「降嫁先」という表現は身分制度そのものですね。21世紀だと言うのに・・・・

 

さらに極めつけは「旧宮家男系男子と女性皇族を結婚させる」という、ただただグロテスクで野蛮な発想です。悪態をつく気力も失せ、吐き気を感じるくらい気持ち悪くなる。でも大日本帝国を復活させたい〝ろくでもない連中〟は本気で考えているのでしょう。これを見れば、実は天皇家も被害者だということが理解できます。みなさん、これでも天皇制という牢獄に閉じ込めておきますか?

 

 眞子さまに限らず他の皇族たちも、皇族教育なるものを幼少期から受けさせられて自由に生きる権利を奪われています。もしかしたら、とてつもない才能を持っているのかもしれないのに、天皇家に生まれたという理由だけでその芽が摘み取られてしまう。これほど「野蛮な制度」はないと私は考えます。
 改めて繰り返します。そもそも天皇制がなければ、眞子さまと小室さんの問題も発生しません。二人が無事結婚できるか私にはわかりませんが、こんな制度がある限り、このような〝不幸〟は永遠に続くのではないでしょうか。だから「天皇制」はいらないのです。

名護市長選に思うこと

『民意』は明確だが・・・・

今回の結果はとても残念だけでなく、それなりにショックの大きいものでした。接戦が伝えられていても「民意」は動かないだろうと思っていたからですが、しかし、この「民意」とはいったい何なのでしょうか。もし辺野古移設を争点として住民投票をやれば、間違いなく反対派が勝つのです。けれども、それをわかっているから自民党や容認派は絶対にやらない。他にも色々と言いたいことはあるのですが、下記の二つの記事が概ね代弁してくれていますので、私ごときが論評めいたことを書くのは控えます。

 

名護市長選で菅官房長官が仕掛けた「なりふり構わぬ選挙戦術」
  (現代ビジネスより  野中大樹・2018/2/5

 

「記者の視点」名護市長選 敗者は日本の民主主義
  (沖縄タイムス+プラス 201825日付け)

 

今回の選挙は創価学会票の動向が注目されていましたが、やはり大きく影響したようです。ただ、面白かったと言ったら不謹慎かもしれませんが、いわゆる「沖縄ネトウヨ」と呼ばれている人たちが自民党候補を非難していたましたね。動画がいくつかアップされていたのですが、目が腐ってはいけないと思って鑑賞は遠慮しましたけれど。
 公明党支持層(創価学会)がフル回転したのは間違いないようなので、おそらくですが、かなりの数の「約束手形」が乱発されたと思います。だとすると「沖縄ネトウヨ」たちが気に食わないのも理解できますが。なにしろ「沖縄ネトウヨ」の中心になっている宗教的?団体は、創価学会が相当お嫌いなようですので・・・・。

 

 

 すみません、どうでも良いことを書いてしまいました。話を戻すとして今回の選挙結果から考えたことがあります。それはもし私が、名護市を基盤とする自営業者や零細企業の経営者だったとしたら、どうしただろうかというものです。10年後や20年後のことよりこれからの数年間を優先するのか。それとも未来を考えて米軍基地との共生をやめるように意志表示を続けるのか。

 

ですがもし私に、これから高校や大学に進学する子供がいるとしたらどうでしょうか。せめてその間だけでも潤いたい、と考えてしまうのが自然なような気がするのです。目先に囚われてと非難されても、やはり「今が大切」だと思うのが人情でしょう。
 50代・60代の人たちが、孫や未来の子供たちに基地のない沖縄を手渡したいと願うのは当然ですが、30代・40代の人たちは現実の生活があります。思いは同じでも「背に腹は代えられない」部分がある以上は、そちらを優先したとしても批判できるものではありません。

 

 さらに10代・20代の人たちにとっても切実です。新有権者になった18歳・19歳の若者は米軍基地のあることが当り前の中で育ってきました。正確に言えば、1945年に占領されてから米軍は存在しているので大半の沖縄の人は基地と共に生きてきたのです。しかしそれは「米軍基地のない世界」を知らないということも意味しています。ここが、早々と多くの米軍基地がなくなった本土との違いで、かく言う私も米軍基地ない地域で育ちましたから基地と共生するという現実を知りません。

 

しかし沖縄の人々は違います。生まれた時から米軍基地があったのです。特に18歳・19歳の若者からすれば、大人たちが「基地反対」と叫んで運動しても、まったく進展しない現実を思春期の頃から見せられてきたのです。だったら、どっちが市長になっても沖縄から米軍基地はなくならないし、辺野古の工事も止まらない。それなら就職先が増えそうだとか、街全体が活性化するかもしれない、と思える方に投票しても無理はありません。

 

 そうなのです。沖縄の人々は、どんなに嫌だと思っても、基地と共生しなければならない冷徹な現実があるのです。その現実が変わるとしたら、日米安保を見直して米軍撤退を要求する政権が誕生するか、日本から沖縄が『独立』するしかないでしょう。現状ではどう考えても前者にはなりようがない。むしろ独立の方が、私個人としては現実味があると考えています。

 

 

 

翁長知事に望むこと

 今秋に知事選が予定されていますが、早くも自民党機関誌である産経新聞などは「オール沖縄の崩壊か」と喧伝し始めています。しかし沖縄では、いわゆる「総論反対・各論賛成」という現実があるのです。
 それは辺野古移設についての「総論」は反対で、各市町村の「経済振興」はもちろん賛成というものです。そしてその「民意」の底には、できれば米軍基地はいらない、いや、本当は即刻撤退してほしい、というものがあるのは疑いの余地がありません。ですから、名護市長選での戦略がそのまま知事選で通用すると思ったら、とんでもないしっぺ返しを食らうでしょう。

 

 辺野古移設に限らず、住民投票の結果次第で米軍の撤退が決まるとしたら100%反対派が勝つと思います。安全保障問題など争点にはなりません。なぜなら、すぐ近くに殺人兵器があり、それを操る兵士がいるのですから、自分たちで意志決定ができるとしたら答えは一つしかないからです。

 

 翁長知事には『独立』という文字が存在していないことは知っています。けれども現状を見れば自民党政権が続く限り、米軍基地のない沖縄が実現するとは思えません。であれば、まずはもう一度だけ「基地はいらない」と意志を見せるべきです。それこそ「基地」を争点にして、これでも政府が受け入れないのなら、日本という国家が最も困る方法を取ればいいのです。

 
 シンプルに言えば良い。それは「もう一度だけ戦わせてほしい、しかし、この四年間で結果を出せなければ、一県民・一市民となって、たとえ一人になっても辺野古で座り込む」と。
 さらに「各市町村の長の方々、基地を争点にしないで、どうぞ、国から予算を勝ち取ってください。もらってしまえばこっちのものだから」と、面従腹背ではないけれど、そのくらいの〝したたかさ〟を発揮して、住民の幸福に努力してほしいと言えばいいのです。

 

 もし翁長知事が一人の県民に戻って辺野古に座り込みの抗議をしたら、役には立ちませんが、その傍らに座ろうかと思っています。でも、そう考えて実行する人はたくさんいると思いますよ。あなたは決して一人ではない。そして沖縄の人々も「あきらめる」必要などありません。正義はどちらにあるのか、それを思えば良いのです。あきらめたら、そこで終わりですから。

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カイトアキラ

Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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