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この国の未来を考える

たとえ歩みは遅くとも歴史は正しい方向に進んでゆく

変えようという意志が物事を動かす

私のような年代の人間からすれば、板門店の境界線を韓国と北朝鮮の指導者が手を携えて越える姿など、かつては夢にも思いませんでした。しかし考えてみれば、この光景の反対は戦争による滅亡しかないわけですから、それを拒否するのなら当然の帰結でもあると言えるでしょう。

 

今回の光景から感じたことは、1980年代半ばに始まったペレストロイカの影響で、共産圏国家が次々と崩壊していった過程に似ていると思ったことです。そしてその結果として1989年にベルリンの壁が壊され、翌年には西ドイツが東ドイツを吸収しました。まさか、こんなにも早くに、と誰もが思ったのです。

 

正直、私も驚いた一人です。多くの人間は、十代後半ぐらいから政治や世界の出来事に関心を持ち始めると思いますけれど、私も例外ではなく、ちょうどその時期は1970年代後半でした。しかし当時は冷戦構造の真っ只中です。しかも旧ソ連はアメリカと並ぶ大国ですから、十代の少年からすればソ連の崩壊など想像できるはずもありません。ですから当然、東西ドイツの統一など夢にも思わない。けれどもそれから十年と少し後に、あり得ないと考えていたことが起きたのです。

 

この期に及んでも「北朝鮮は信用できない」という声が日本に溢れています。けれども「平壌宣言」後は、むしろ約束を破ってきたのは日本であることが明らかになってきました。それはアメリカも同じようです。つい最近ですが韓国の政府関係者が証言しています。
 もちろん金正恩という指導者の意図を現時点で把握することが難しいのは理解しています。けれども文大統領の意志が堅いのは間違いありませんから、多少の紆余曲折はあっても前に進むでしょう。ですから自信を持って言えます。後戻りすることは決してない、と。安倍政権や応援団にとっては〝残念〟なことでしょうけどね。

 

もう一つ私が感じたのは(もちろん勝手な想像だけど)、もうこれ以上大国や周辺国の思惑には惑わされないと、二人の指導者は決意しているのではないかということです。要するに〝自分たちのことは自分たちで決める〟という民族自決です。
 朝鮮半島の歴史を少しでも学べば、この地域が如何に大国に翻弄されてきたのかが理解できます。ただし、この地域の指導者たちが権力維持のために外国勢力を利用した側面も否定できませんから、そういう部分では自業自得でもありますが、少なくとも今回は平和についてだけは譲らないと決意しているように思えます。

 

日本では文大統領の評価が低いようですが今回の主役は間違いなく彼でしょう。経歴から察すると苦労人ですし、民主化運動では逮捕されているのですが、驚くのは軍隊時代に特殊工作員だったことです。
 詳しいことは知らないのですが、板門店で事件があった時に文氏は、特殊工作員として38度線を越えたことがあるそうです。なんかどこかの国の首相とはだいぶ違いますね。おそらく数々の修羅場をくぐってきた人なのは間違いありません。誰かさんとは〝器〟が違うというか、比較すること自体が文大統領に失礼かもしれません。

 

歴史の転換は始まったばかりです。確かにトランプという理解不能な人間がアメリカの大統領ですから心配は尽きないけれど、文大統領がいる限り最悪の事態は免れそうです。すっかり蚊帳の外に置かれている日本ですけれど、早いうちに文大統領と仲良くした方が、それこそ〝国益〟になると思うのは私だけですか? どうですか、保守系のみなさん。

 

それと順調に行けば統一は意外と早いと思います。その理由は、交流が進めば進むほど北朝鮮の人々は韓国の実情を目にするからです。言論の自由があり、指導者を選挙で選ぶ。何よりも、どこに行くにも国家の許可などいらないで自由がある。経済格差を埋めるために北朝鮮指導部は躍起になるでしょうが、この自由を目にした人間の心まで縛ることはできません。

 

 旧ソ連のアフガニスタン侵攻に反対した西欧諸国は1980年のモスクワオリンピックをボイコットしました。日本もアメリカの属国ですから当然参加しなかった。その時、故・筑紫哲也氏は言いました
「なぜボイコットするのか。こんな時こそアメリカの文化である、コカコーラやハンバーガーやジーパンを見せつけてやればいい」
この言葉は今でも鮮明に覚えています。文化に自信があるのなら負けることは決してないのです。

 

 北朝鮮の主導で統一されれば朝鮮半島は社会主義国家になってしまうと、こんなバカらしいことを平然と言う日本人がいますが、そんなことは決してないと断言しておきます。韓国がここまで築き上げてきた〝文化〟は、政治面でも経済面でも日本を凌ぐ強固なものだからです。

 

 

 

日本はセクハラから始めなければいけない

 小林よしのり氏のブログを読むことはやめることにしました。なぜなら時間の無駄であることがはっきりしたからです。相変わらずセクハラとは何かを理解できていない。たぶん、永遠に無理かもしれませんね。だから彼の周囲にいる女性たちには同情してしまいます。余計なお世話だけれど。

 

 隣国では歴史の転換が行われようとしているのに、私の住む日本という国では、セクハラが人権問題であることすら理解できない人間で溢れかえっています。正直、この現状に絶望しています。でも諦めたらそこで終わりですから、男性主義にまみれていることに気づかない哀れな男どもに、もう一度だけ要点を解説しておきます。

 

ます男性は、女性との関係に於いて基本的に優越的立場であることを理解しなければいけません。具体的には身体が大きいことや、相対的に腕力が優っていることなどです。そしてこの関係性は、女性からすれば〝肉体的な力〟によって、男性に服従もしくは制圧させられる可能性が絶えずあるということを意味します。

 

上記のような観点からすれば女性にとって男性と一対一になることは、それ自体が恐怖になり得るということがわかるはずです。そこには相手の意志など関係ありません。二人きりになることは信頼があってこそ初めて成立すると理解すべきです。

 

 取材や営業などの仕事として会うことはプライベートな関係ではありませんから、本来なら性的な言動が出てくる場ではない。ですから如何なる理由があろうとも許されるはずがないのです。
 ではプライベートな関係なら許されるのか? これも違います。よく、自分の部屋に男を入れたのだから性的行為を要求されても仕方がないと、21世紀になっても言っている愚かな男たちがいますが、前述したように「信頼」したからというのは、決してそのような行為はしないだろうというのも含まれているのです。当然セクハラも同じで、たとえ恋人関係であっても嫌がっているのなら、それはセクハラなのです。

 

レイプの加害者として一番多いのが、恋人や友人または身内であることが統計で示されています。これは何を意味するかというと、信頼を裏切られた、もしくは信頼関係を利用されたということでもあります。ですから本来なら女性は、取引先や職場の男性と二人きりになることを望まないのが普通です。もし二人きりになるとしたら、そこには、性的な言動などしないだろうという信頼がなければ決してできないのです。

 

今回のテレ朝女性記者に対するセクハラは、事務次官と記者という、どちらが優越的な立場であるかは明らかであり、なおかつ「信頼関係」を利用したことも疑いようがない。実に罪深いと言わざるを得ません。

 

もう一つ驚いたのは、セクハラを内部告発と称しているジャーナリストがいることでした。内部告発なのだから録音テープを加工することは信憑性を欠く、と言うのです。
 何をアホなことを、としか言いようがありません。くれぐれも言っておきますが、セクハラという行為を告発しているのであって、なぜ不正や不法行為の隠蔽を告発するのと同列できるのか理解に苦しみます。だって被害者は誰ですか? 告発した本人でしょ?

 

さらにもう一つ。記者が名乗り出ないことを批判するために、その引き合いとして伊藤詩織さんを上げていますが、これには怒りすら覚えてしまいます。なぜなら詩織さんはレイプをされたにもかかわらず、相手は逮捕直前で見逃され、なおかつ不起訴になったのです。その現状を容認できないからこそ、数々のリスクを承知の上で顔を出したのではありませんか。けれどもその後はどうなりました? 相手は逮捕されましたか? 検察審査会は不起訴相当になりましたよね。
 こんな現状をみたら躊躇するのは当り前です。しかも数々の誹謗や中傷に晒された彼女は活動拠点を海外に移した。日本という社会は詩織さんを見殺しにしたのです。それを都合の良い時だけ「勇気がある」と褒めて、彼女を見習えと無責任なことを言う。そんな連中に腹が立って仕方がない。お前らに彼女を語る資格などない、恥を知れ!

 

日本に於けるセクハラ問題をどう考えるべきか、その参考になる記事を二つ紹介しておきます。

 

日本の #MeToo:沈黙を破り始めた女性たち
 (BBC NEWSJAPANより 425日付け)

 

福田前次官を減給処分でも「♯MeToo」の声が続々 「警官から胸を触られた」 〈週刊朝日〉
 (AERAdot.より 427日付け)

 

 タイトルの通り、日本での〝進化〟は確かに遅いかもしれません。けれども〝正しい〟方向へ進んでいることだけは信じて良いようです。

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セクハラとは何かをわかっていない男たち

セクハラを容認する小林よしのり氏

 どうやら小林よしのり氏はセクハラとは何かを理解していないようです。そうでなければ下記のような言説などできないはずですから。最初から最後までツッコミどころ満載なのですが、その前にセクハラの定義を記しておきます。愚かな男たちよ、いい加減わからないと本当に取り残されますよ!

 

1、その関係性において優越的な立場である者が、相手が不快に感じているにもかかわらず、性的な言葉を発すること、または性的な行為をしようとすること

2、関係性において優越的ではなくても自らの意志で環境を変えることが困難な場合、例えば職場や会合などで性的な言動をすること。

 

 以上の二点をわかりやすく表現すると、1のケースでは発注権限を持った担当者が、営業に出向いた女性に対して発注を匂わせながら性的なことを言う、または飲食に誘って性的な関係を要望したりすることです。今回のテレ朝記者はこのケースに該当します。

 

 2のケースは、会社の女性社員に対して服装や体型について性的なことを言う、または性的な雑誌や画像などを見せようとすることです。これを具体的に表現すると、例えば「今日の服装はずいぶん大胆だね」とか「あれ、昨日と服が同じだけどホテルにでも泊まったの?」などです。
 私も男ですが、このような言葉に性的な意図が薄くて、しかも軽い冗談であることもわかっています。けれども言われた側にとっては、性的に強調するつもりがなければ(大半はそうです)傷つくのは当然です。よく、そんな短いスカートだからとか、あんなに胸元を開ける方が悪いなどですね。女性の側からすれば、他人の服装や身体を見ているヒマがあったら仕事をしろよと言いたくなるでしょう。さらにはプライベートな時間をどう過ごそうが〝大きなお世話〟です。

 

 職場であろうがどこであろうが、相手の合意もなしに性的な言動は許されません。これは男も女も同じです。要するにプライベートな空間以外で、「性」もしくは「性差」を意識させられなければいけない理由などまったくないのです。これを理解していない男どもが多過ぎます、この国は。

 

羽鳥モーニングショーから見えた欺瞞
(小林よしのり氏ブログより 420日)

 

ブログから抜粋しました。

・痴漢は違法行為であり、犯罪であるが、セクハラは違法行為ではない。

 まずは最初から腰が抜けそうになりました。確かに法律に規定があるわけではないけれど悪質性という意味では同じではありませんか。それとも違法ではないから許される、とでも思っているのかな。だったら法制化すべきでしょうね。

 

・福田事務次官は、謝罪し、反省し、そして仕事を続けるべきだった。

 目眩がしてきそうです。どうやら謝って反省する態度さえ示せば、セクハラは容認されると考えているようですね。けれども「謝ってすむなら警察はいらない」という言い方がありますが、どう思います?

 

・テレ朝の方が悪い

 いったいどういう感覚なのでしょうか。そもそも福田氏の行為がなければ、この問題は発生しなかったはずです。それをテレ朝の方が悪いとは・・・典型的な〝すり替え〟です。

 

・セクハラが嫌なら行くべきではない

 セクハラを喜ぶ女性などいるわけがないでしょう。それに仕事をするのに、なぜセクハラされるかどうか気にしなければいけないのですか。そういう環境だから問題なのですよ。さらには今までは、セクハラを理由にすると仕事放棄として捉えられたから女性たちは苦しんできたのです。こんなことも理解できないのかなぁ。おそらく小林よしのり氏は優越的な立場でしか仕事をしてこなかったのでしょう。だから気持ちがわからない。 

 

・組織人として行かざるを得ないというのなら、それはパワハラだ。

 この指摘には同意します。ただし政府と報道機関の関係性として捉えないと本質を見誤ります。諸悪の根源は記者クラブ制度と、報道機関の役割は監視であるという自覚が薄いことにあるのです。

 

・美人を差し向けて、情報を取ろうとしているのは間違いない

 このような言説が巷に溢れ出しているので詳細は後述します。ただ一点だけ。「美人を差し向けて」という言い方自体が、すでに女性に対する蔑視であることに気づいていないようです。

 

・テーブルに堂々と録音機材を置くべきだ。その瞬間にセクハラ発言を封じることができる。

 もう笑ってしまいますね。これだけでも「セクハラとは何か」を理解していない証拠です。一つだけ指摘しておきます。録音機材を見せたら大半は取材拒否するでしょう。ならばセクハラも起きようがない・・・・。

 

・こっそり録音して、他のメディアに渡すのは卑怯である。

 では、犯罪の疑いがあるからといって盗聴が許されていますけれど、これも卑怯な行為なのですね? そもそも今回のケースは自社で報道してくれなかったからでしょ? その前提を無視して言うのは〝卑怯〟です。

 

・「公的」な付き合いなのか、「私的」な付き合いなのかを曖昧にして取材しようという姿勢が、セクハラ発言を誘発しているのだ。

 公的な立場にいる人間に取材することは、すべて「公式」なものであるはずです。それを実現するための付き合いに「公的」とか「私的」とかがあるのでしょうか。もちろん個人的に親しくなることはあるでしょう。だからといって直ちにそれが私的な関係になるわけではありません。この言い方は取材する側に責任を押しつけています。

 

・「公私混同」させて男の油断を突き、情報を引き出すという「くノ一戦法」をやるのなら、男が「私的」な感情をむき出しにするのを適当にあしらうべきなのだ。

いったい何が言いたいのかなぁ・・・まぁこれもすり替えだけど。まるでテレ朝の記者が「公私混同」をしていたみたいに聞こえてきます。けれども呼び出したのはどっちですか? しかも「私的」な感情をむき出すこと自体を拒否しているのですよ。
 だいたい「くノ一戦法」なる言葉が女性に対する蔑視と侮蔑になるのにね。21世紀だというのに、まだこんなことを言っているとは。もしかしたら小林氏は一般論と言うかもしれないので、これも詳細は後述します。

 

 しかしセクハラをなくす立場からとは、よく言ったものです。セクハラを理解していないのにね。もしかしたらブラックジョークですか? 今回の、小林よしのり氏に対する私の意見のタイトルは下記の通りです。 

「小林よしのり氏のブログから見えた欺瞞」

 

 

 

もう一人の「セクハラを理解していない男」

とりあえず下記のブログを読んでもらえたらと思います。

 

まっとうな審議を尽くし、疑惑を闇に葬らないために
 (辻元清美 活動ブログより 420日)

 

これもブログからの抜粋です。

・麻生財務大臣の懇親会での発言が週刊誌によって伝えられたそうです。
「だったらすぐに男の番記者に変えればいいだけじゃないか。被害を受けたという女性記者は、ネタをもらえるかもってついていったのだろ。触られてもいないんじゃないの」
と言ったところ、その発言もセクハラになると記者から指摘されると、
「だから次官の番記者をみんな男にすれば解決する話だ」


 開いた口が塞がらないとはこのことです。間違いなく麻生大臣はセクハラを理解していない。ちなみにだけど男の記者に変えたところで、現状ならば今度はパワハラが発生するでしょう。だってパワハラとセクハラの起きる構造は同じなのですから。
 それと男の記者に変えろと言うのなら、欧米の記者が取材に来ても同じことは言うのでしょうかね? それとも欧米の女性記者にはセクハラしないとか? ということは日本人の女性記者にだけはセクハラをするかも、ってこと?
 さすがは選挙演説で「下々のみなさま」と言った人だけのことはある。その期待を決して裏切らない人物です。でも実に悲しいのは、この男がこの国の財務大臣だという現実です。

 

 

 

能力のない男ほど女性にケチをつける

〝オンナ〟を武器にしてとか、色香で迫るとか、ブラウスのボタンを一つ外せば男は饒舌になるとか、まったく呆れるばかりの女性蔑視、さらには女性に対する侮蔑。だいたい、こういうことを本当にやる女性を見たことがあるのですか? 私は一度もないけれど。
 しかしこれらのことは昔から言われているのです。それは決まって、男の分野で女性が能力を発揮した時に、です。けれどもこれは、ただの〝嫉妬〟以外の何ものでもありません。


記者の世界も同じです。そもそもオンナや色香を武器にしても長続きするわけがないし、仮にうまくいったとしても相手がそういうタイプの男なら、それ以上のことをする女が出現すれば奪われてしまうだけです。所詮、その程度の関係なのに、そんな方法を実践する女性が本当にいると思いますか?
 同時に、相手の男性に対しても失礼だと思います。なぜなら「色香に負けて情報を流した」と言われているのと同じですから。実に失礼な話ではありませんか? 私なら怒りますし、こんな話を信じるのなら、世の中の男はみんな「色香に負ける」と言っていることになるのですよ。

 

 私の経験では能力のある男性ほど、オンナや色香を武器にしそうな女性(実際は大したことはないのですが)を嫌います。その理由は〝信用できない〟から。当然ですよね、仕事の能力や知識または気遣いで勝負できず、さらには真っ当な人間関係を築くことができない人など信用できるわけがない。そして、そんな女性と仕事をしてもロクな結果にもならないことも。〝できる男〟ほど、そんなことは全部わかっているのです。

 

これは実際に私が知っていることですが、優秀な営業成績を上げた女性を一番評価したのはトップセールスの男性だったことがありました。ですが「あれは担当者と寝たから契約が取れたのだ」と陰口を叩いたのは成績が不良な男性社員ばかりでした。
 なぜトップセールスの男性は評価したのでしょうか。理由は簡単です。それは取引先の担当者が女性の色香に惑わされないことを知っていたからです。同時に、トップセールスだからこそ契約の難しさをわかっているからです。

 

今どき「くノ一戦法」とはね。バカか、って言いたくなるけれど、たぶん実社会を知らないのでしょう。そんな方法が通用するほど世の中は甘くありません。むしろ、もし本当に色香に惑わされる男ばかりなら、そんな組織は長くは持たないでしょう。あぁ、だから最近の日本はダメなのか・・・・。と言っても「くノ一戦法」なるものを行う女性などいないのに、それでもなぜ没落しているのかなぁ・・・・、もしかしたら男はもともとダメだから、その言い訳として「くノ一戦法」に惑わされたと言いたいのかな?


ただ小林よしのり氏に代表されるような、好むと好まざるとにかかわらず現実の社会は男性中心だから、セクハラがあっても戦わなければ認められない、だから頑張れと激励しているつもりなのはわかっています。けれどもこれは「典型的な勝者の論理」なのです。
 小林よしのり氏のような〝勝者〟には、戦う土俵に上がること自体が怖いという心理がわからない。そもそも、なぜセクハラという恐怖に女性は晒されなければいけないのですか? それ自体が差別となり、苦痛となっていることがどうして理解できないのですか?

 

セクハラが起きているのは記者の世界や上場企業だけではありません。社会の隅々で起きています。いや、むしろ末端の方が多い。けれどもそこで働く女性たちはエリート女性たちと違って、知識も不足していればサポートもありません。しかし働くことをやめたら生きてゆけないのです。そんな女性たちにも〝戦え〟と言うのですか? それはあまりに酷ではないですか?

 

「#MeeTooの意味とは、今までセクハラと戦い、それでも沈黙を強いられてきた女性たちが「黙ってはいない、社会を変えるのだ」という宣言なのです。その叫びは、もはや一部の女性たちのものではありません。すでに末端で生きる女性たちをも包み込んでいるのです。それが欧米や韓国の姿なのです。どうですか? 本当に理解していますか?

 

私の印象では能力のない男ほどセクハラをするような気がしています。そしてそんな奴ほど中間管理職になったり、最悪出世してしまうのが日本という社会の現実です。けれども女性のみなさん、諦めないでくださいね。こんなバカな言動を信じる男などごく一部ですから。それとセクハラ男は害虫と同じです。根気よく駆除してゆきましょう。そのためにはどうすべきか、それを考えていたら答えを提示してくれた記事に出会いました。

 

〈時代の正体〉記者の視点 黙認しない「#YouToo」と言う
 (カナコロ 神奈川新聞より 420日)    

 

この記事に100%賛成します。私も決して黙認しないで「#YouTooと言います。

微かではあるけれど、暗闇に一点の光が見えています

末期的症状という言葉があるけれど、今のこの国の行政・司法は、まさにこの言葉がピッタリと言えるでしょう。人間なら緩和ケアを施され、後は安らかに死を待つのみという状態です。
 でも国は人ではない。黙って滅亡してゆくのなら、これからの世代に対する責任放棄になってしまいます。けれども日本民族以外の全民族が、迷惑だから、頼むから消滅してくれと言ってきたら対処のしようがないけれど・・・・

 

ところで国会も末期症状ではないの? と思われる方もいるでしょう。確かに歯がゆいと感じていることは理解します。けれども与党が三分の二を占める状況では限界があるのです。むしろこの状況下にしては、よくやっている方だと私は考えています。特に自由党の森ゆう子議員は迫力があるので感心しているぐらいです。

 

国会にはテレビカメラが入らず、野党合同ヒヤリングには全放送局が入っているとか。どんどんやればいい。なぜなら、選挙で多数を取らない限り現状を変えることはできないわけですから、三分の一しか議席を持たない野党の役割は、とにかく疑惑を追求することが責務だと思うからです。ここまできたら国会の審議は全て拒否して、ヒヤリングのみに集中するのも一つの方法でしょう。

 

 

司法も病に侵されている

 さて、ブログの更新を怠っていたのは、しばらく様子を見てみようと思っていたからですが、本当は次から次へと〝事件〟が発覚するので、追いつくことができてないのが正直なところです。

 

一番の関心事は佐川氏に対する大阪地検の対応でした。しかし毎日新聞の報道では立件を見送るようだとありました。しかも背任容疑まで。もしこれが事実なら、やはり司法も末期的症状が出ていると言わざるを得ません。

 

立件の難しさは承知しています。けれども社会通念で考えても、一連のことが犯罪にならないのなら市民や国民は司法をもう信用しないでしょう。それでも、どうして検察は慎重なのでしょうか。最大の理由は有罪率が九割を超すという、起訴した以上は裁判に負けてはならないという〝縛り〟に捉われていると思えてなりません。

 

罪を犯す連中は、あの手この手で自らの利益を得ようとします。ですから前例にない案件が発生するのは、ある意味必然だと言えます。ですから、それに挑戦できない検察なら存在価値はないと言うしかありません。なんとかここは〝踏ん張って〟ほしいのですが・・・・

 

 

[me too]に火をつけた財務省

 この件に関しては相当数の報道がされているので簡単に触れておきます。報道関係者に知り合いはいないので私自身が直接聞いているわけではありませんが、女性記者に対する「セクハラ」のようなことがあるのは1980年代の雑誌にも書かれていました。ただし当時は「セクハラ」という言葉を使っていなかっただけです。

 

特に警察は酷いようです。確か、東京新聞の望月記者も告白していたと思いますけれど、ですから「やっと」と言うべきか、「とうとう」と言うべきか〝反撃〟に出た女性記者に私は喝采を上げました。
 ただ先に謝っておきます。御本人の苦しさを考えれば、このような表現は用いるべきではないからです。けれども、それでも、やはり褒めたいと思います。なぜならあなたの勇気が世界を変えるからです。

 

以前から私は、この国が本当に変わる、もしくは「まともな国」になるためには、女性の国会議員が半数になる必要があると思っています。もちろん国会だけではありません。あらゆる団体や企業そして職業という意味でも、です。

 

 なぜかと言うとそれは「景色が変わる」からです。よく、見た目や外見よりも中身が大切だと言いますが、男たちの持っている女性差別や女性蔑視の発想は、内心が変わるのを待っていたら永遠に実現しません。ですからそれを打ち破るためには、たとえ強制であっても女性の社会進出が必要になってくるのです。
 例えば官房長官の記者会見がテレビで報道されますが、もし女性だったらどうでしょうか。その姿を小学生や中学生たちが見るのです。その光景が当り前になれば、女性も政治家を目指していいのだと自然に思うはずではありませんか? ですから景色を変えることが一番有効だと思うのです。


 それにしても財務省の対応は〝0点どころかマイナス〟でしたね。この報道に接した時、いよいよ日本にも「me too」が拡大していくと私は感じました。これで怒らない女性はいないはずです。こんなことも理解できない財務省とは。女性職員だっているはずなのにね。でも私は「よくやってくれました」と財務省を褒めたい気分です。だって〝火を点けて〟くれたのですから。

 

昨日(418日)の段階で被害者がテレ朝の記者であることがわかりました。上司にセクハラであることを相談し、報道すべきだと意見したそうですが受け入れられず、仕方なく週刊誌に話したとありました。ある意味予想通りなのですが、この女性記者の勇気によって報道機関も後に引けなくなりました。
 大変だとは思いますが、どうか女性記者のみなさん、どんどん声を上げてください。おそらくというか間違いなく、経産省でも国土交通省でも警察庁でも、さらには都道府県庁や市町村でもあるはずですから、さぁ風景を変えましょう!

 


市民や国民を殺してきたのは「軍隊」だ!

 日本という国で、武力によってクーデターを起こせる能力を持っているのは自衛隊だけです。当然ですよね、圧倒的な武器を保持して〝攻撃〟するための訓練を日夜行っているのですから。
 もちろん実際にクーデターを起こすかどうかは別問題ですが、私が言いたいのは、10万人や20万人のデモを「鎮圧」する能力があるのは自衛隊だけだ、ということです。日本人は良いか悪いか別にして武力革命というのを経験していませんが、もし民衆が武力を用いて立ち上がれば相手となるのは軍隊(自衛隊)です。

 

戦前の日本でも弾圧は行われましたが基本的には警察でした。私の記憶の限りでは、旧日本軍が国民や市民相手に制圧行動に出たことは、少なくとも国内に於いてはなかったと思います。2.26事件は内乱に近いですし、そもそも警察の取り締りが厳しくて民衆が大きな勢力になることはありませんでした。けれども植民地での治安維持、または民衆に対する制圧の主役は旧日本軍であったことは紛れもない事実です。

 

 かつて自衛隊が創設された時、当時の総理大臣であった吉田茂は言いました。
「旧日本軍の悪弊もあって、おそらく諸君らは肩身の狭い思いをするだろう。けれども諸君らが活躍しないことが、この国にとっては最も良いことなのだ。諸君らが日陰の身である限り、日本は平和である証拠なのだ」
 

 上記の文は私なりに割愛していますので、悪しからず。ただ主旨は理解できると思います。正直、吉田茂の本音がどうだったのかは疑問に残るところですが、彼の言ったことは現代でも通用することなのです。というか、まさに自衛隊はこうであるべきなのです。

 

だって考えてみてください。災害時の自衛隊の活躍が盛んに喧伝されますが、自衛隊が出動するレベルの災害とは、いったいどういうものでしょうか。言うまでもありません。多くの死者や負傷者が出ていることなのです。日本という国・日本人という民族そして日本に住む人々にとっては、できれば体験したくないことで、自衛隊が出動しない世の中の方が幸せなのです。それなのに・・・・

 

 私が呆れるのは、災害時の活躍があるから自衛隊は必要だとか、感謝しろとか、まるで鬼の首でも取ったかのような意見です。そんなことを言う連中は、本当は被災した人々のことなど眼中にないのです。テレビの映像を見て、他人事として好き勝手なことを言っているだけで、画面の向こう側にいる多くの不幸な人々に思いを馳せてはいないのです。

 

百歩譲って災害時に必要だと言うのなら、自衛隊である理由は何ですか? だって災害に戦闘行為はありませんよね? なのに〝軍隊〟である必要があるのですか? むしろ災害に特化した組織にすべきではありませんか?

 

自衛隊が活躍しない世の中の方が国民・市民にとって幸せなのに、こともあろうに国会議員に対して、あんな言葉を吐く自衛官がいるとは・・・・。
 はっきり言っておきます。こういう自衛官こそ、国民や市民に向かって武器を向けるのです。そして自分たちに従わない人間を殺そうとするのです。

 

おまえの方こそ、国民・市民の敵だ!

 

※参考記事
次はクーデター 幹部自衛官が国会議員に「お前は国民の敵だ」
 (田中龍作ジャーナルより 418日付け)

 

 ところでタイトルにした件を書き忘れそうになりました。もちろん簡単ではないことを承知はしていますが、さすがに自民党支持者も現政権のデタラメぶりに呆れてきたようです。下記の記事に接した時、私は一筋の光明のように思えてなりませんでした。諦めることはない!

 

市長選で自公が黒星ラッシュ 地方から“安倍降ろし”が爆発|日刊ゲンダイDIGITAL
  (日刊ゲンダイDIGITAL 417日付け)

今こそ、拉致被害者の人たちを取り戻すチャンスなのだが・・・・

安倍晋三さん、まだ首相の座にいるつもりですか?

公務員が民間人に「ウソ」をつくように要請するとは! しかも断ったら手の平を返すような仕打ちに出る・・・・。
 世も末だ、なんて使い古された言葉がしか出てきません。けれどもこれって犯罪にはならないのかな? だって「強要」でしょ? まぁ「恐喝」にならないのは理解できますけれど。なんか、お上に逆らったらとんでもない目に遭わせるぞ、という見本みたいな話ですね。確かに、籠池氏の教育観や払下げ交渉の下品さには呆れるけれど、だからといってここまで拘留される理由はないはずです。やはり言うことを聞かなかった〝仕返し〟だと考えるべきでしょう。

 

口裏合わせ拒否され手の平返し 財務省「籠池切り」の発端
 (日刊ゲンダイDIGTAL 46日付)

 

 

しかし、よくこれほど次か次へと出てくるものです。世の中では統治機構が壊れかけているとか、官僚の劣化などと言われていますが、むしろ安倍政権と自民党、そして行政機関の末端も含めて「制御の利かない」というレベルではないでしょうか。いい意味でも悪い意味でもですが。

 

 ただ、一番重要なことは全ての中心に安倍晋三氏がいることです。けれども防衛省の日報問題や厚労省の問題などの詳細な部分に安倍首相が関与しているとは思っていません。なぜなら安倍首相の能力では、記憶や理解することができないと考えるからです。大半は首相の「御側用人たち」が仕切っているのでしょう。ある意味安倍首相は操り人形かもしれませんが、気に入った人間だけを側に置くのが原因ですから〝自業自得〟ですけれど。

 

今の霞が関は、たぶん「ヤケ」になっていると思えてなりません。なぜかと言うと、前任者から引き継いだ際に〝問題〟も同じように任されます。しかし自分の在任中に公表されると責任を取らされますから、なるべく〝先送り〟する。同じポストにいるのは23年ですからね。
 今まではそれでよかった。けれども最近は、政府答弁次第では〝問題〟を隠すか、それとも書類を改竄しなければいけない。しかも運が悪ければ国会に証人として呼ばれ、もしかしたら訴追されるかもしれない。それじゃ堪らんということで、今のうちに出しておこうという結果なのでしょう。
 それはそれで良い部分もあるけれど、安倍さん、あなたが首相でいる限り、この流れは決して止まらないですよ。さっさと辞めてください。それが市民のために最も良いことですから。

 

 

 

これほど〝ブザマ〟な外交は見たことがない

 もう一つ辞めなければいけない理由は、これほど惨めな外交を行った政権は今までにないからです。「対話のための対話には意味がない」と言っていた政権が「南北対話は圧力の成果だ」などとは、いったいどの口が言うのでしょうか。恥知らずという言葉がピッタリです。

 

 ところでネトウヨ君たちや自称保守の方々、そして憲法改悪論者たちに聞きたいことがあります。耳にタコができるぐらい「国際情勢の変化」とか「緊迫した東アジア状況」などと言っていたけれど、現在の状況をどう思っているのかな? きっと慌てふためいているのでしょうね。

 

もちろん米朝会談が実現したとしても、それだけで危機が去るわけではありません。けれども北朝鮮や韓国は、休戦状態ではなく〝終戦状態〟にしたいことだけは間違いないのです。アメリカも本音ではそれを望んでいるという話もあるぐらいです。ですから戦争になれば国が消滅してしまう韓国と北朝鮮が対話をするのは、むしろ当然過ぎるぐらいでしょう。
 しかし日本政府は、それに対してずっと冷や水を浴びせてきました。その理由は唯一つ。政権維持と憲法改悪のためです。ですが、その前提が狂い始めてきたようなので、これからどうするのでしょうかね。楽しみと言えば楽しみですが・・・・。
 けれども一つだけ忠告しておきます。世界から〝恥知らず〟と非難されるような言説だけはしないでください。同じ日本人だと思われたくないので。

 

 

 

汚名を返上する方法がありますよ、自民党のみなさん!

現在の状況では韓国も北朝鮮も相手にしてくれないことは明白です。仕方がないですよね、そうされるようなことをしてきたのですから。ところが慌てて「日朝会談」を模索しているらしいですね。しかも、あの悪名高き「今井首相秘書官」が〝自分が北朝鮮に行く〟などと息巻いているとか・・・・。およしなさい、国難が増すだけだ、と言っておきます。

 

 それより自民党の方々、成功すれば永久政権も夢ではなくなる「秘策」を教えます。それは安倍首相を退陣させて、閣僚も補佐官も秘書官も、それから外務省の官僚たちも全て差し替えて、石破さんでも岸田さんでも野田さんでもいいから、首相となって北朝鮮に行くことです。何だったら小泉進次郎クンでもいい。

 

そこで「土下座外交」をやればいいのです。

 

安倍政権の言ってきたこと、やってきたことは間違いでした。責任は全部こちらにありますと、心の底から謝罪をするのです。そして、植民地政策や従軍慰安婦の補償もやります、経済援助も技術提供もします、すべて私が悪う御座いましたと頭を下げて、だから拉致被害者たちを返してください、と言ってください。

 

 中身はどうあれ現在の北朝鮮は国際社会への復帰を目指していることは間違いありません。ですから今が絶好の機会なのです。少なくとも対話を拒否する理由は北朝鮮にもない。ただ核の放棄は絶対しないでしょうから、隣国の日本としては、まずはできることから始めるしかない。それは〝敵対しない〟ことです。決して無理なことではない。だって「平壌宣言」の実績があるではないですか。それに戻ると考えればいいのです。

 

 もし日本が低姿勢に転じ、なおかつ真摯な対応をしようとしたら国際世論はどうなると思いますか? 仮に北朝鮮が無理難題を押しつけてきたら非難されるのはどちらでしょうか。少なくとも韓国との関係が改善されることは間違いないですし、アメリカも中国もロシアも文句を言う理由がないですよね。

 

国内ではどうか。もちろん発狂しそうな連中がいることは承知しています。けれども「バカに付ける薬」はないので適当に〝あしらえば〟いい。でも普通の市民にとっては〝良いこと〟ばかりです。
 一番は「拉致被害者の方々」が帰ってくること。これほど喜ばしいことはない。そして、私たち市民の安全が増すことです。
 もちろん「核の脅威」がなくなるわけではありません。しかし北朝鮮との関係がどうなろうともロシアも中国も保有している状態に変化はおきません。何よりも米軍が日本に駐留している限り「核の脅威」がなくなることは絶対にない。それでも敵対国が一つ減ることは良いことに違いないではありませんか。

 

自民党のみなさん。安倍政権では、もうどうにもならないことが明白なのです。もし本当にこの国の将来を憂いているなら、まずは一番の元凶を取り除いてください。そして誰でもいいから、国民・市民が望んでいる「拉致被害者の奪還」と、安全保障上の脅威を少しでも減らしてください。
 政治家が頭を下げるだけで実現できるのです。くだらないプライドは捨てませんか? それができれば、あなた方は歴史に名を残すことになるのです。それを考えれば〝頭を下げる〟ことぐらい〝安い〟とは思いませんか?

「ペンタゴン・ペーパーズ」という映画を観てきました

報道の自由を守るためには何を為すべきか

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』という映画を観てきました。劇場まで足を運んだのは十年振り、いや、それ以上のような気がします。

 

 この映画の存在を知った時、何があっても観たいと思っていました。その理由は、ジャーナリズムに興味を持つきっかけになったのが、この事件を扱った本を読んだからなのです。

 

記憶はかなり曖昧になっていますが、当時通っていた高校の図書室だったか、それとも公立の図書館で読んだのか、ついでに何年生だったのかも忘れました。けれども一気に読み上げてしまったこと、それから、とても興奮したことだけは鮮明に覚えています。

 

本のタイトルは『政府対新聞』という名で、事件当時の朝日新聞・アメリカ特派員だった記者が書いたものでした。ちなみに興奮したと言っても変な意味ではありませんよ(当然だけど)。ドキドキしたのは、報道の自由のためなら相手が大統領でも新聞は戦うということを知ったからです。

 

ペンタゴン・ペーパーズ事件について簡単に触れておきます。これは1971年にニューヨークタイムズが、最高機密文書とされていたベトナム戦争の報告書の一部を報道したことから始まりました。ペンタゴンとは国防総省の俗称ですので、国防総省の文書または報告書ということになります。要するに、現在話題になっている「公文書」と同じです。
 

内容は、ケネディ・ジョンソン政権時代の国防長官が、ベトナム戦争の実態を職員に命じて調査させたものです。7000ページ以上に及ぶ膨大なもので、そこには歴代政権のベトナムへの関わり方や選挙への介入、または幾多の不正行為なども記されていました。しかし最も重要なことは、ベトナム戦争には勝てないと認識していたことなのです。ならば撤退すればいいものを、歴代の大統領は〝戦争に負けた大統領〟という汚名を着るのが嫌でやめようとはしませんでした。劇中でも語られていますが、そのために死ななくてもよかったアメリカの若者がどれだけいたことか。

 

 1971年当時の大統領はニクソンですが、この調査に彼は関わっていないのですから報道されようが構わないはずです。けれども最高機密が漏れたという事実に激怒し、国の安全が脅かされた、さらにはスパイ行為に該当するとして、掲載の差止めを裁判所に訴えたのでした。
 前代未聞です。新聞記事の差止めを政府が司法に要請したことは、それまでのアメリカの歴史では一度もなかったからです。しかしどの国でもアホな裁判官はいるもので、当時の連邦地裁は掲載差止めの仮処分を命じたのでした。
 ニューヨークタイムズに先を越されたワシントンポストも、すぐに文書を手に入れます。しかしそこで議論が起きます。差止めの仮処分が出ているのに、はたして〝掲載すべきか否か〟


詳細はぜひ映画を観ていただくとして、当時の編集主幹だったブラッドリー氏の言葉を引用します。

「報道の自由を守るのは報道することだ」

 

 議論の末、当時の社主だったキャサリン=グラハム氏(女性)が掲載の決断をします(この辺りは、ぜひ映画で)。もちろん政府は同じように差止めを訴えました。しかし掲載翌日には、いくつかの有力紙がワシントンポストに倣って文書を掲載したのです。
 最終的に最高裁は63で差止めを無効にして、ニューヨークタイムズとワシントンポストの勝利で終わりました。この時の最高裁判事の一人が、こう言っています。

「報道機関は国民に仕えるのであって、統治機関に仕えるのではない」

 

 ちなみにですが、この映画の製作と脚本は女性です。キャサリン=グラハム氏は、当時では珍しかった女性経営者でアメリカでも先駆的な女性の一人だったようです。映画では、女性の自立という面もあるようですけれど、その点での描き方は不十分のような気がしますけれど。

 

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』予告編

 

 

 

内部告発者は不幸になるのか?

 ペンタゴンの機密文書を持ち出してコピーを取り、それを報道機関に持ち込んだのはダニエル=エルズバーグ夫妻で、後にスパイ罪で逮捕・起訴されますが捜査機関の違法行為もあって棄却されました。現在のエルズバーグ氏を伝える記事を記載しておきます。

 

内部告発者自身が語るジャーナリズムの危機~『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
   (Asahi Shimbun GLOBEより 藤えりか)

 

 その後のエルズバーグ氏には紆余曲折があったようですが、今でも信念に基づいて生きているようです。ただ驚くのは、当初はアメリカの戦争を「正義の戦争」と考えていたバリバリのタカ派だったことです。それが現地を実際に見たこと、そして歴史を学んだことからアメリカの間違いに気づいてゆくのです。そして、これ以上アメリカの若者を死なせるわけにはいかないと考え、ベトナム戦争を止めるべく文書を報道機関へと持ち込みました。もちろん犯罪であることを承知の上で。けれどもエルズバーグ氏の行いは「正義の行い」として多くの人の支持を得たのです。

 

 どうでしょうか? 首相夫婦を守るために不可解な証言をした〝元官僚〟とエルズバーグ氏の行動。確かに次元が違います。けれども私は深く考えてしまうのです。正義とは、生き方とは、そして幸福とは、を。

 

そうそう、上記の内容とは少し違っていますが、人間は変わりうるという例があったので記載しておきます。

 

「ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと
  (琉球新報Styleより 2018.4.2

 

なんか、ネトウヨくんたちが発狂しているようですよ。愉快ですねぇ~!(^^)!

 

 

 

民主主義を守るには、民主主義をやらねばならない

 安倍応援団やネトウヨたちは、政権を倒すために報道機関は動いていると、自らの無知を曝け出すような陰謀論を展開しています。けれども公文書改竄を報道しなかったら、それはもう報道機関ではありません。中国や北朝鮮やロシアと同じで、政権にとって都合の良いことしか伝えないのなら広報機関と名を変えるべきなのです。

 

映画の中で、報道は「歴史書の最初の草稿だ」というセリフがあります。実に意味深い言葉ですね。確かにそのような作業があってこそ「民主主義は守られてゆく」と私も思います。

 

公文書改竄の件では、後追い記事で毎日新聞が朝日の援護射撃をしました。この記事を知った時、ペンタゴン・ペーパーズでのワシントンポストのようだと私は感じました。スクープされたのは悔しい。けれども、公文書改竄などという前代未聞の事件を追わない新聞社は新聞ではない。ですが毎日新聞は見事にやってくれた。それは、民主主義を守るための仲間に加わったことを意味するのです。権力と戦うには仲間が必要です。ワシントンポストに続いた他紙のように。

 

民主主義を守るために報道を続ける新聞や雑誌や放送を、私たち市民は支援・応援をしなければいけません。購入するのもそうだし、励ますのもそうです。同時に私たちも、色々な手段を使って声を上げねばなりません。なぜなら民主主義の第一歩は、自らの意見を表明することから始まるからです。

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カイトアキラ

Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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