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この国の未来を考える

日本人の枠に収まらない日本人

気の利いた日本人は、すでにこの国を見限っている

 園子温という映画監督はもちろん知っています。ただ、描かれている内容や予告編の映像、そしてセリフやカメラアングル等、正直どれを取っても私の趣向とは合わないのです。ですから評価を受けている監督でありながら彼の作品を観ることはありませんでした。
 けれども下記に表示してある記事を読んだ時、あまりに同意する部分が多く、さらにはその指摘も鋭いにことに驚嘆したのです。よって、とりあえず一本は観てみようと思い「愛のむきだし」を鑑賞しました。
 結論から言うと予想通りというか、やはり私の趣向には合いませんでした。しかしだからと言って駄作かと問われれば、こう答えます。
「従来の映画手法に捉われない、もしくは意識的に、その枠からはみ出そうとしている」

 

 私は、基本的にオーソドックスな描き方を好みます。ですから斬新的な映画やドラマにはどうしてもついてゆけない部分があります。けれどもそれは、あくまでも私の趣向や評価ですから、私とは違う感想を持つ人がいるのも当然です。まさしくそれが多様性なのですから。でも「愛のむきだし」のラストシーンは、今までの映画が積み上げてきた典型的な手法でした。ですから少し拍子抜けしたというか安心したというか・・・・。
 いずれにしても商業映画のメッカであるハリウッドで、しかも資本の論理で冷徹に判断されるわけですから、園子温監督がどんな映画を作るのか楽しみになってきました。

 

園子温監督、ハリウッド「日本のプロセスに飽き飽きした」
(NEWSポストセブンより 722日付け)

 

 できれば全文を読んでください。実に示唆に富んだ指摘をしています。以下は、特に私が気になった部分を選びました。(読みやすいように一部句読点を入れています)

 

●今、中国の仕事も増えてきていると。活動の場が広がっているのでしょうか?

 

園監督:さまざまな国にさまざまな価値観があって、その中では確実に日本での立場とは変わるので、それを面白がるのは非常にいいなと思いますよね。

 

●日本での映画は、しばらくは?

 

園監督日本人に向けて、日本で撮るべきものがある時だけやりますけど、予算も少ないのにエンタメをわざわざ日本で撮る必要がない。日本なんか製作費2億とか、大きくても15億ぐらいが精一杯っていうのが、今の日本の製作費の状況。15億っていったら、ニコラス・ケイジのギャラなんで(笑)。そういう意味で、ハリウッドで勝負するのは面白いです。
 最初はいわゆるハリウッド的なアクション映画を撮るんですが、ゆくゆくはオリジナルの自分の映画を中心に活躍したいなと思ってるんですけどね。

 

●それは心配ですね。日本でいい作品を作りたくても予算が…

 

園監督やっぱりこの先、日中合作とかいろいろやって視野を広げないと。日本だけでやってると厳しいですね。

 

●おそらく中国と日本では俳優のギャラが全然違うと思うのですが?

 

園監督全然違うどころか天文学的に違うよ。

 

一部を抜粋しました。

・・・・日本で映画を作ると映画祭に行って、映画祭で評価されて、その反響でヒットを狙う。そんなサイクルを一生やり続けるなんて疲れるし嫌だなって。アメリカ行っちゃえば映画祭になんて出さなくていいから(笑)・・・・

 

・・・・彼らの社会ではヨーロッパの映画祭なんて価値がないので何の武器にもならないですよ。たとえば『シェイプ・オブ・ウォーター』って映画はベネチアでグランプリ獲りましたけど、アメリカでそれは売りにならないからポスターに全然載せてない。それより、まだ賞を獲る前だったので、ゴールデングローブとかアカデミー賞とか、国内でノミネートされたことをポスターに出してる。
 彼らはヨーロッパの映画祭とかコンペでの評価に全く興味がないんですよね。逆にいうとわざわざ出さなくてもプレスの力があるということでもある。世界映画祭ってプレス力のない小国のためのものなんですよ・・・・


●手厳しい意見、お願いします(笑)

 

園監督う~ん、まぁ、日本社会はまだまだ甘いと思う、実力主義にならないから。たとえば海外の番組でアメリカンアイドルとか、歌番組のコンテストって、日本と違って外見の良さとかではなく、めちゃくちゃうまい才能のある人しか、のし上がれないじゃないですか。そういう実力主義なところがはっきりスポーツ以外でも出ないと、もう文化は育たないと思う。
 こんなにスポーツ番組が多い国もなかなかないなというか、日本って珍しい国で、テレビつけると料理かスポーツばかり。文化への関心が低すぎるんで、とにかく文化度を上げていかないと。オリンピックも近いけど、オープニングの催しも、恥ずかしくなく出せる水準のものが作れるんだろうか。だから演技が良ければ顔は関係ないとか、歌もそうだし、実力主義的なところをもっと芸能にも取り入れていくべきだと思っています。

 

 

 
園子温監督 吉高由里子と満島ひかりを見出せた理由を語る
(NEWSポストセブンより 721日付け)

 

●今の日本映画界では、見た目が若くかわいい女優ばかり起用する流れになっていて、映画監督は青春映画ばかり撮らざるを得なくなったということですが。

園監督かわいいけど、型がいつも同じで、同じ芝居の女優が多いんですよ。顔は多少違うけど演技が同じだから全然カラーが出てこない。そういうのは日本独特の現象だと思う。たまたま今朝『ファーゴ』っていうアメリカのドラマシリーズを観ていて、ユアン・マクレガーが主役をやってるんだけど、しばらくわからなかったの。あまりにも演技の質も全然違うから。一人二役で兄弟を演じていて、金持ちのイケイケのキャラと、バカで金がない弟のどちらもキャラクターの芝居をしていて、彼だと全然気づかなかった。すごいなと思ってね。日本は、役者が持っているイメージを映画の中に強引にぶちこんでいるだけで、その人が役を演じているのはほとんどないから。

 

●そうでしたか(笑)。アイドルへの違和感についても綴られていたように、確かに昭和時代のアイドルはかわいく幼く見せるよりも、背伸びして大人びていたと思うんですよね。今のアイドルについてどう思われますか?

園監督いやもうひどいですよ、それは(笑)。レディー・ガガと同世代がAKBって信じられないよね(レディー・ガガ=32才、AKB48の最年長記録は29才での卒業と比較して)。一方は、自分で作詞・作曲から演奏や演出までこなして、成熟した、完全に独立した女性というイメージがあるけど、方や、自分で何も考えられなくなった機械群に見えてしまうこともある(笑)。個としての表現力にそのぐらいの違いがある。

 

●日本では男目線のかわいいを求める中で、強さやかっこよさが女性の美しさだと、真逆のことを言われているのが新鮮でした。

園監督とにかく、いろんなものに国民性が表れているというか、見てると自分の頭もぼんやりしてくるよね。ハリウッドでは、まず中身が問われますが、日本は全く違っている。日本の映画のヒロインは、最初はちょっとかわいいなと思っても、だんだん退屈してきて最後はどうでもよくなることが多い。方や、海外の映画を観ていると、不細工な女優でも演技力によって次第に美しく見えてくるものだから。

●園監督は、女性は自分を客観視して、それぞれが持つ特殊性を武器にすべきだとおっしゃっています。その方が競争率も低くなると

園監督日本にいると気づかないことっていっぱいあって、たとえば小顔がかわいいっていうセンスは、日本でしか通用しないって言うと、みんな「世界中が小顔ブームだと思ってた」って驚く。実はアメリカだと、パーツのはっきりした大顔の方が好まれて、小顔はコンプレックスだから、日本人が「顔ちっちゃいね」なんて褒めると、あっちではけなされたって怒られちゃう。「尻がちっちゃい」なんて言おうものなら、「バカにしないで」みたいな感じだし。尻はでかい方がいいんだから(笑)。日本特有の、日本だけで通用する美の概念はいっぱいあるけど、ガラパゴス化してるなって思います。みんな一生懸命、日本人に好まれるための体形作りをしているけど、そんなのは海外に出てしまえば、今のままの方が断然良かったりすることも多い。

 在米の日本人の役者にはよく言ってるの。お前らハリウッドで売れるなんて、そんなの絶対無理なんだから、逆に日本人が少ない国に行けと。そこでは日本人というだけでスターになれる可能性があるから。僕の知り合いに全然オーラのないおっさんがいるんだけど、その人はギリシャで、日本人というだけでテレビに出まくってるの。日本人が少ない国に行けばジローラモ現象が起きる。その国の人は日本人の美醜なんてわからないから、「かっこいい」ってジローラモ的にモテるなんてことが起きうるんで、ちょっと目線を変えて他の国でビッグになったら? ってみんなに言ってるんです(笑)。

 

 少しだけ補足しておきます。園子温監督が「尻が小さい」とか「大きい」とか表現していますが、これはあくまでも個性としての意味合いを強調しているに過ぎません。もちろん、どのような場面で使うか、もしくは相手との関係性では「セクハラ」に該当してしまう場合もあります。けれども文章を読めば園子温監督にそのような意志がないことは明白です。どうかな? セクハラとは何かを理解していないおじさんたちよ、理解できましたか?

 

 

 

園子温監督の、あまりに鋭い指摘に驚いていたら、東京新聞でこんな記事を見つけました。
東京新聞「あの人に迫る」より・728日付け、桃井かおりさんにインタビューした記事です。冒頭の紹介ではこう書かれていました。

 

・・・・54歳でハリウッドに挑み、拠点を移した。いまや世界各国の映画に主演するだけでなく、自ら脚本を書き、監督してメガホンを取る。国際的な評価がうなぎのぼり・・・・

 

 テレビを観ないせいもあり、しばらく桃井さんを拝見することがなかったのですが、いやはや恐れ入りました。ハリウッドに行っていたとは・・・・。基本的には好みの女優さんではないのですが、その個性的な演技は若い頃から際立ったものがあると感じていたけれど、やはり只者ではなかったようです。しかし行動以上に感心したのは以下の言葉です。

 

「世界で戦うにはひとりの強さを」
・・・・自分のことは自分で決める。人がどう思うかとか人の色眼鏡で自分を見ない。日本ではみんな同じような服を着て、人のかんに障らないようなことを言うでしょう。忖度? やめてくださいって。人のためにやってあげた方がいいことをやる? とんでもないよ。やった方がいいことはやりますけど、相手がどう思うかは勝手ですから。自分がしたいことをする勇気を持つことです。

さらに、

・・・・もう六十七才なので、ある意味、定年じゃないですか。だからたったひとりで〝働き方改革〟やっているようなものです。自分の年齢と、年齢に合った働き方にいかに満足できるか。年齢以上のことはやれない。自分のペースで、どうしてもやりたいと思う仕事をターゲットに、それをめがけてチャレンジしていきたいです。

 

 残念なのは、この記事は東京新聞を購読していない(電子版も含めて)と読めないことです。今のところweb版では掲載されていません。できれば全文を掲載したいくらいですが、それは無理ですので、ごくごく一部だけにしました。

 

 桃井さんは私より年上ですが、ひたすら脱帽です。私ごときがとやかく言うのもヤボなので、なるべく彼女を見習いたいと心から思いました。しかしこれだけは言っておきます。園子温監督も桃井かおりさんも、同調を嫌う珍しい日本人だということを。

 

一匹が方向を変えると、他もそれに倣って方向を変える習性がメダカにはあるそうです。あるジャーナリストは、日本人の習性もそれと同じだと言いました。そして日本人を〝メダカ民族〟と評したのです。
 このような論評を読んだのは1980年代の前半だったと思いますが、昨今の出来事や〝忖度〟という言葉が氾濫する状況を見ていると、確かにその通りだと思います。しかも何も変わっていない、いや、むしろ酷くなっているとすら思える。けれども園子温監督や桃井かおりさんのような人を知ると、少しですが絶望的な気分が癒されます。

 

 ですが「愚かなネトウヨ」たちや、権力者に忖度する人間にとっては、園子温監督や桃井かおりさんのような存在は疎ましくて仕方がないでしょう。なぜなら、これらの連中には間違ってもできない生き方だからです。だから「潰そう」とする。
 昔から日本という社会はそうでした。でも、それに抗う人間も絶えずいるのです。同調圧力に負けて権力者に媚び、〝奴隷のように〟生きたくなかったら、日本を捨てて世界に飛び出しましょう。アホなネトウヨさんたちも、やってみたらどうですか?

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これであなたの「ネトウヨ度」がわかります

ネトウヨ指数判定表

 

①嫌韓・嫌中である

はい   いいえ

②リベラルとか左翼とか呼ばれる人物は大嫌い

はい   いいえ

③でも本当は、言っていることを理解する能力がない

はい   いいえ

④正直言うと保守の思想も、本当はよく知らない

はい   いいえ

⑤安倍首相が大好きだ

はい   いいえ

 

⑥日本そして日本人はスゴイ! と本気で思っている

はい   いいえ

⑦日本や日本人を批判する奴は「反日」だ

はい   いいえ

⑧アジアへは侵略したのではない、解放しようとしたのだ

はい   いいえ

⑨従軍慰安婦は売春婦だったと思っている

はい   いいえ

⑩旧日本軍は虐殺やレイプなどしていない。全部フェイクだ

はい   いいえ

 

⑪朝日新聞が大嫌い

はい   いいえ

⑫ついでに東京新聞の望月衣塑子記者も嫌いだ

はい   いいえ

⑬反論できなくなると、つい「反日」「売国奴」と言ってしまう

はい   いいえ

⑭知性の意味がわからない

はい   いいえ

⑮ネットでしか歴史の勉強をしていない

はい   いいえ

 

⑯米軍基地は日本に存在した方が良いと思っている

はい   いいえ

⑰白人には、つい条件反射でペコペコしてしまう

はい   いいえ

⑱自衛隊が大好きだ。けれども志願したいとは思っていない

はい   いいえ

⑲日本の安全のために沖縄はガマンすべきだ

はい   いいえ

⑳北朝鮮には武力攻撃をするべきだ

はい   いいえ

 

㉑女は男より劣っている

はい   いいえ

㉒レイプはいけないけれど女性にも責任がある

はい   いいえ

㉓何事も自己責任だ

はい   いいえ

㉔自分さえ良ければ、どんな世の中でもかまわない

はい   いいえ

㉕人権とか反原発とか言う奴はみんな逮捕しろ!

はい   いいえ

 

㉖在日朝鮮人の存在は決して認めない

はい   いいえ

㉗でも、在日アメリカ人とか欧州の人は認めるけど

はい   いいえ

㉘差別をされるのは嫌だけど自分がするのはいい

はい   いいえ

㉙差別とは何かを聞かれても答えられない

はい   いいえ

㉚本当は、知識のないことを知られるのが怖い

はい   いいえ


※ネトウヨ指数の目安 

●はい、が24以上 
 もう〝筋金入り〟のネトウヨです。今さら何を言っても、その硬直した考えは変わらないでしょう。どうぞ、そのまま生きていってください。ただし、あなたの人生が輝かしいものとなるのか、それとも「鼻つまみ者」として人生を終えるのか、それは誰にもわかりませんが。

 

●はい、が1523
 最強ではないけれど、リベラルや左翼の人たちを苛立たせるには十分と言えるでしょう。これから昇格してゆくのか、それとも留まってしまうのか。それはあなたの努力次第でしょうね。まぁ頑張ってください。でも、陰で笑われていることに気づいた方がいいのにね。

 

●はい、が515
 まだまだ修行が足りないようです。これでは〝真のネトウヨ〟たちから認定してもらえませんよ。ただし後戻りできる可能性を残しているので、その後の人生はあなた次第です。さぁ、どうします?

 

●はい、が4以下
 ネトウヨとは言えないレベルですが、おそらく「はい」に○をしてしまったのは、あなたの勘違いか知識不足だと思います。きちんと勉強すれば愚かな間違いはなくなるでしょう。

 

●はい、が一つもない
 「真っ当な」な人間の証明ですから自信を持ちましょう。もちろん、これから「脳ミソの足りないネトウヨ」たちとの戦いが待っていますが、どちらに正義があるのか、そんなことは考えてみるまでもないことです。諦めずに駆逐してゆきましょう!

責任を取らない・取らせない民族

日本人の本質は変わっていない

 新聞などの社会時評や論壇時評で秀逸な言説に出会うことは少ないのですが、東京新聞・713日付け夕刊の、ノンフィクション作家である保阪正康氏の「現代の歪みの構図」は、まさにその少ない中の一つになるものでした。副題は「BC級戦犯裁判を想起させる」となっています。

 

 全文を掲載するわけにもいかないので要点だけ整理すると、まずは加計学園や森友学園問題、さらには自衛隊中堅幹部が国会議員を罵倒した件、そして防衛省のイラク日報隠蔽事件と日大アメフト部問題など、これらの事象から感じることは、この社会は虚言や誤魔化し・言い逃れ、果ては責任転嫁を当然としているようだ。そしてこの構図の特徴は、責任をより下位の者に押しつけられること。もう一つは、自衛隊中堅幹部のように「言った」「言わない」に持ち込んで、うやむやにしてしまおうという計算があるという内容です。

 

そして保阪氏は核心を突きます。(記事から引用)
「この二つの特徴を最もよく重ね合わせることができるのが、太平洋戦争後に、連合国によって裁かれた日本人将校・下士官・兵士のBC級戦犯裁判である」

 

裁判記録では、上官は「殺害しろとは言っていない、始末しろとは言ったけれど」と強弁して責任を兵士に押しつけたケースが多く、その結果死刑になったケースが少なくないようで、さらにトラック島における捕虜に対する人体実験を疑われた件では、警備責任者の海軍中将と軍医長の中佐らの間で、捕虜の処分について「言った」「言わない」の対立記録もあるようです。

 

さらに保阪氏は指摘します(原文のまま)
▲BC級戦犯裁判の残された記録(意図的に焼却されたものも多い)は、末端の兵士に責任を押しつけられていくケースが多いと語っている。この構図は、「言った」「言わない」や「会った」「会っていない」の社会事象と全く同じなのである。

 

▲日大アメフト部の監督とコーチの記者会見で語った弁解と孤立する学生、そして柳瀬唯夫・元首相秘書官や佐川宣寿・元財務相理財局長の国会答弁などは、まさにBC級戦犯裁判そのものだとの感がしてならない。責任を押しつけられる末端の官僚が資料の改ざん、隠蔽を行い、あるいは自死を選ぶ悲劇は、近代日本の歪みの構図と思えてならないのだ。

 

 

旧日本軍の実態については知っていますが、改めてこのようなことに触れると言葉を失ってしまいます。これは以前に聞いた話ですが、ガダルカナルでの戦いだったか、それとも別の地域だったかは忘れましたが、あまりの大敗の責任から逃れるために、その作戦を指揮した参謀将校は台湾の温泉に逃げ、しばらく身を隠していたというのです。しかし大本営は、参謀将校に責任を取らせると作戦の失敗を認めることになるので不問に付したのです。ちなみにこの将校は、何の責任も取らずに戦後もぬくぬくと生き抜いたとか・・・・。
 これはある番組で、軍事ジャーナリストである田岡俊次氏が話していたことです。もっとも不問に付したわけですから、資料として残っている話ではないでしょう。おそらく田岡氏が若い頃に旧軍人から聞いた話だと推察していますが、まぁ、紛れもない事実であろうと私は考えています。なぜなら、この手の話は腐るほど転がっているからです。

 

 ところでみなさんは第二次大戦時の、旧日本軍戦死者で最も多いのは何だと思いますか? 驚くことなかれ、なんと「餓死」なのです。しかもその数は全兵士の半数にも及んでいるとか。戦って死んだのではない、餓死ですよ! もちろん末端の兵士ばかり。これでは死んでも死にきれなかったでしょうね。
 けれどもこの責任を取った幹部将校は一人もいないのです。旧日本軍は明治の時代から食料などの兵站は現地調達主義でした。ですから最初は現地で強奪できたけれど、戦闘が激しくなれば強奪できなくなるのも当然で、しかも反日ゲリラが日を追うごとに拡大しているのです。補給路など最初から計画すらしていない。であれば戦況が不利になるほど「餓死」の可能性は高まってゆくのです。このような状況ならさっさと撤退すればいいのですが、兵士の生命など一ミリも考えない幹部たちは、補給ができないのに戦うことを命じたのでした。

 

 敗戦から70年以上が経った今でも、責任を取らない幹部という事象があることを保阪氏が指摘しました。要するに何も変わっていない。もうこれは民族としての本質でなかろうかと、正直、絶望してしまいます。
 さらに最悪なのは責任を取らせない国民の存在です。おそらくどの民族でも責任を取ろうとしない人物はいるでしょう。けれどもそれは国民・市民が決して許さない。隣の韓国でもアメリカや欧州でも、それは実現されています。国民・市民が黙らされているのは一部の独裁国家だけなのです。

 

あれだけの苦役を与えられても日本人は戦争責任の追及を行いませんでした。なんと従順な民族なのでしょう。権力者たちが舐めるのも当然です。それは今でも継続しているのです。なにしろ、これだけ安倍政権や自民党や公明党が酷いことをやっても、まだ三割以上の国民が支持するというのですから。もしかしたら奴隷根性というか植民地根性は、日本人のDNAに宿っているのかもしれません。私は違うけど・・・・。

 

 ところで「脳ミソの足りないネトウヨ」たちは、BC級戦犯裁判そのものが〝デッチ上げ〟なんだ、と言うでしょう。バカにつける薬はないので、こういう連中は無視するに限りますが、結局こういう輩の存在を許してきた民族と社会だからこそ、こんな「恥ずべき事象」が起きると思えてなりません。

 

保阪氏の論説で愕然としていたのですが、そんな時にこんな記事を発見しました。

 

日本での司法取引、増えるか 初適用となったのは企業
(朝日新聞デジタルより 715日付け)

 

 事件の詳細と司法取引については省略します。ただ興味を引いたのは、もしかするとこれで「滅私奉公」という、日本独自の愚かな企業文化が変わるかもしれないと感じたからです。

 

今回の件は海外の公務員に対する贈賄容疑ですが、なんと企業(法人)側が罪を軽減するために社員の捜査に協力するそうです。もちろん社員が私腹を肥やすためだったら当然でしょうが、そうではなくて会社の利益のためだったならば、果たして成立するのかという疑問が出てきます。
 これは前述した問題と絡んでくるのです。要するに会社の上層部は「法令違反までしろとは指示していない」と責任逃れをするのは間違いないからです。けれども一方では利益至上主義を強要している。社員のみなさん、これでは堪りませんよね、司法取引されて責任を押しつけられたら・・・・。
 ですから今、上層部や幹部から無理難題を押しつけられ、場合によっては法を犯すことを余儀なくされていたら、遠慮なく検察に出向いて司法取引をしましょう。そして上層部や幹部たちを刑務所にぶち込んでやりましょう。何でも末端に責任を押しつける連中に対抗するにはこれしかない。自分自身や家族を守るためなのです。決して恥ずべきことではありません。もちろん官僚のみなさんも。

 

司法取引制度の問題点は承知しています。他人を罪に陥れることが容易になるのは事実ですから。しかし使い方次第では「滅私奉公」という唾棄すべき文化を葬り去る武器になるかもしれないのです。もう変わらなければいけないとは思いませんか? 責任を取らせる民族になるために。

「美しい顔」盗用騒動について

他者の視点を自分のものとすることは許されない

例えば、日本のどこにでもあるような交差点で交通事故があったとします。記者たちは警察発表によって事故の記事を書きました。この場合は警察の発表に基づく〝公共〟の情報なので、いわゆる「事実の共有」となります。ですからどの記事であっても、特に引用とは記す必要はありません(もともと記事自体に大差がない)。それは小説であってもルポであっても同じです。
 

ところがある記者が事故現場に行って目撃者を発見したとします。そしてその人の視点で記事を書いた。すると事故の様相が、警察発表に基づいたものとはだいぶ異なってきたのです。この手の話はよくあることで、そこには事実の共有の他に、目撃者と記者の視点が加わったからです。もちろん客観性が重視されるのは当然ですが、この視点とは、あくまでも二人の主観と言っていいでしょう。
 しかし別の人が、この記事の内容を小説の主人公の視点としてしまったら・・・・。目撃者と記者からすれば、おいおい、それはないだろう、と反発するのは当然です。なぜなら表現を借用したのではなく、視点を自分のものにしてしまったからです。これは、ある意味〝詐術〟ではないでしょうか。というのは、この記事を知らない人が小説を読んだら、この視点は小説の作者独自のものと信じてしまうからです。
 けれども他者の視点を借用、もしくは作者の視点とすることをやっていけないわけではありません。仮にそのようなことをするとしたら、他者の視点を自分のものとしたことがわかるようにすること、そしてその了解を当事者からもらうことが前提になるのです。ですから参考文献の提示だけで解決する問題ではない、という新潮社とライターの指摘はまったく正当なのです。

 

 

昔から繰り返される「盗用」「剽窃」疑惑

今回の件について当初は言及するつもりはなかったのです。なぜなら日本の小説界が著作権に甘いことは今に始まったことではないからですが、「美しい顔」の文章と、類似しているとされたルポの文章を読んだ時、私が思い浮かべたのは山崎豊子でした。盗用の女王と呼ばれ、瀬戸内寂聴氏によれば『彼女の盗用は、ほとんど病気だから』と言わしめた人です。
 しかし「大地の子」についての最高裁の判断は、物語としての筋がほとんど同じだとしても、歴史は事実の積み重ねである以上、それを共有することは著作権の侵害には当たらないとしたのです。この判決文を読んだ時の私の頭は「?」マークで埋め尽くされたことを今でも覚えています。

 

今回の件を知った時「またか」と思いました。いったい、いつまで繰り返すのか。ところが講談社の報道各社に対するコメント文を読んで、私は愕然としたのです。
『・・・・今回の問題は参考文献の未表示、および本作中の被災地の描写における一部の記述 の類似に限定されると考えております。その類似は作品の根幹にかかわるものではな く、著作権法にかかわる盗用や剽窃などには一切あたりません・・・・』
 まず基本的に「盗用」か「剽窃」に該当するか、その判断するのは講談社だけではないことです。当然多くの人々によって委ねられるものだと考えます。一番の問題は、類似は作品の根幹にかかわるのものではなく、という部分です。

 

「美しい顔」について最初に知ったのは、東京新聞の夕刊に連載されている『大波小波』という文芸コラムでした。基本的にこのコラムは辛口で、特に新人に対しては厳しいのですが「美しい顔」については、被災者ではない作者が体験もなしに、想像力だけで小説を書き上げたことを褒めていたのです。しかも並々ならぬ才能だとも。けれども私は違和感を憶えたのです。体験もしていないのに、あんな未曾有な震災の被災者を描くことが可能なのだろうか、と。

 

確かに被災者ではなくても、被災者を主人公にした小説を書くことが無理だとは思いません。ただしその場合は新聞記事や映像、さらには被災者を取材した文献などを読み込んで、まさしく作者の想像力と創造力で主人公の視点と生き様を描く。それこそが小説の醍醐味であることは間違いないでしょう。しかし北条氏は、他者の視点と被災者の心情を自分のものとしてしまったのです。これは想像力でも創造力でもなんでもない。ただのコピーです。

 

 しかし受賞した最大の要因は何だったのでしょう。被災者ではない作者が、あたかもそこにいたかのように被災者の心情や視点を描いた、というのが理由だったはずです。けれどもその前提が崩れた。被災者とされている主人公の視点と心情が実は借り物だった。であれば、たとえそれが一部であったとしても、主人公と作者が一体ではあることは紛れもない事実である以上、それは作品の根幹にかかわる部分と言えるはずです。
 要するに、作品の大半が作者の独自性だったとしても、それを導き出すための〝借用〟ならば、その行為によって作品の価値は失われてしまうのです。本来著作権というものは、それだけ厳しいものなのです。これが欧米なら間違いなく「盗用」「剽窃」と評価されるでしょう。
 

正直、北条氏の将来性とか私にはどうでもいいことです。しかし出版不況とか、小説が読まれないと言われる昨今、編集者の劣化が著しいことを奇しくも証明してしまいました。それは選考委員も含めてなのですが、だって普通なら疑いませんかね? リアリティがあるからこそ、もしかしたら真似ていないかと・・・・。
 でもこれは決して悪い意味ではありません。作者の将来を本当に考えるのなら、それを指摘することも編集者の役目でもあるからです。それは、すでに小説家と呼ばれている人でも同じことなのですが。

 

 まさか芥川賞まで取らないとは思いますけれど、これだけ話題になったから売るためには何でもアリで受賞させたりして・・・・。もしそんなことをやったら日本の文壇は終わりですけどね。
 今回の経緯を一覧できる記事があったので表記しておきます。この方の考え方には必ずしも同意できない部分もありますが、かなり公平に扱っていますので参考にはなると思います。

 

「美しい顔」の「剽窃」問題から私たちが考えてみるべきこと
 (HUFFPOSTより 日比嘉高氏ブログ 711日付け)

日本人が「出稼ぎ」で海外に行く日がやってくる?

サッカーの日本代表が負けたこともあり、ようやく落ち着いたのかなと思っていたら昨日のニュースには驚きました。あまりに事が大きいので私にはコメントできませんが、日本だけでなく世界をも震撼させた事件は一つの区切りを迎えたのかもしれません。
 でも死刑制度については色々と考えさせられます。被害者の遺族にとっては、その罪を償うには死をもって臨むしかないと考えるのは当然ですし、そう言っても冤罪の可能性や、事件の真相解明ができなくなる面もあるからです。ただ世界の流れは死刑廃止に傾いていることを忘れてはいけないでしょう。

 

 

日本の没落がもたらすもの

 この記事に接した時、すでに始まっているとは思っていたけれど、この現実を見せられると気持ちが沈んできます。ついに逆転現象が始まったようです。

 

韓国の飲食店で接客 ワーホリの日本人女性、強制退去
(朝日新聞デジタルより 75日付け)

 

 ワーキングホリデーとは2国間の協定に基づいて、青年(18歳〜25歳または30歳)が異なった文化(相手国)の中で休暇を楽しみながら、その間の滞在資金を補うために一定の就労をすることを認める査証、および出入国管理上の特別な制度です(ウィキペディアより)

 

 記事によると、風俗営業に関する業種に従事することは韓国では禁止されており、強制退去になった日本人女性は、隣に座って接客をしたとあるので、これは日本でも風営法に該当する仕事になります。
 ワーキングホリデーの主旨から言えば、このような仕事は確かに相応しくないとは思います。どのような経緯で従事したのかまでは書かれていないので、予断を持ったことを言うつもりはありません。しかし、嫌韓の激しいネトウヨくんたちにとっては発狂しそうな出来事でしょうね。よりによって韓国とは、とか言って罵倒や中傷する声が聞こえてきそうです。

 

 私は「あぁ、ついに」という感想と同時に、多くの東南アジア系の女性たちが、日本で風俗業に従事したバブル期を思い出しました。最も多かったのがタイとフィリピンでしたが、中には強制的に売春させられるケースもあったのです。確かフィリピン女性だったと思いましたが、暴力団から逃れる際に死んでしまったことがあり(殺された可能性もあったようです)、それがフィリピン国内で報道されて国際問題になったこともありました。

 

なぜ多くの女性たちが日本に来たのか。それは稼ぐためです。貧しい地域の人々が裕福な地域に流れるのは資本主義の原理ですから、バブル期の日本がそうなるのは自然なことでした。
 当時の私は二十代後半から三十代にかけての頃だったので、アジア系の人々を街で見かけることが驚きでもあり、ある意味新鮮でもあったことを覚えています。しかしその裏で深刻な経済格差があることを知ったのは、もう少し後になってからでした。

 

あれから三十年が経ちました。アベノミクスで経済は好調だというのは「真っ赤なウソ」です。バブルを経験した者からすれば、本当に景気が良ければ、その恩恵が社会の隅々まで行き渡ることを知っていますから。
 今は一部の者だけが富み、大半の人々の生活は苦しくなっているのです。それはキャバクラなどの風俗業を見ればわかります。バブル期のキャバ嬢さんたちは、高校出たての女の子でも月収が40万を超えるのも珍しくありませんでした。ですが今は、ほとんどの女の子たちが仕事を掛け持ちしているのが現状なのです。末端にこそ、社会の真の姿が表れるという見本がここにあります。

 

 日本経済の劣化はもう止められないでしょう。けれどもどんなに落ち込んだとしても、経済的に恵まれた家庭に生まれた人は、これまで貯えられてきた社会資本の恩恵を受けることができるのです。なぜなら費負担ができるからで、その最たるものが教育なのです。しかし経済的に乏しい家庭に生まれた人は負担ができない。であれば生きてゆくためには働くしかありません。
 ところが愚劣な政権はアホな経済政策によって、この国の産業を衰退に追いやっています。しかも大半の労働者を奴隷化するための法律まで作りました。ならば、こんな国で生きてゆきたくないと思っても不思議じゃないし、仮に生きてゆこうと思っても、衰退してゆく国にはロクな仕事もないのが常です。そうなると海外で働くしかなくなってくる。

 

 けれどもこれまでの日本は、特にアジアの人々には差別的な待遇をずっと行ってきました。その一例が「外国人実習生」です。最近ではだいぶ改善されたとはいえ、まだまだ多くの問題を有しています。そんな差別を行ってきた国の若者が、経済劣化によって逆の立場になる可能性が出てきたのです。その時にどんな待遇を受けるのか、それを想うと暗澹たる気持ちになってしまうのです。

 

今回の韓国での待遇がどうだったのか、それを知ることはできません。けれども16人が一斉にと考えると仲介した人間の存在を伺わせます。その様相は、バブル期に東南アジアの女性たちを連れてきたのとダブってしまうのです。もっとも最近の韓国は人権を大切にしますので、バブル期の日本のようなことはなかったでしょう。
 

資本主義の原理を考えれば、貧しい国から豊かな国へ人が流れるのは自然なことですから、それを止めるには法律で縛るか、もしくは経済を豊かにするしか方法はありません。いや、もう一つありました。それは人権を最も大切にする国になることです。なぜならどんなに金を得たとしても、人権を侵されるぐらいなら貧乏の方がいいと考えて海外で働こうとはしないからです。
 なぜかと言えば、日本で働こうとするアジア人の多くは、日本は先進国だから自分たちの人権が守られ、さらには労働条件も良いはずだと錯覚してやってきます。ところが実際は劣悪な労働条件で人種差別も受ける。ですから実態を知ると例外なく後悔するのです。これを日本の若者に当てはめれば理解できるでしょう。労働条件が劣悪で人権も守られないとしたら、そんな国に働きに行くと思いますか? たとえどんなに生活が苦しくても。

 

私の願いは、日本の若者たちが海外で虐待されたり搾取されたり、さらには人権を奪われたりしないことです。そんな光景は絶対に見たくないし、生活のために若者が海外で働くとしたら、そんな不幸なことはないと思います。

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Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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