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この国の未来を考える

ルールを守れ! やり方が悪い! と叫ぶ家畜人たち

また恥を晒した日本という国

しかし次から次へと、よくこれほど世界に恥を晒す出来事が起きるものですね、この国は。本来ならこのブログは一週間に一回のペースのつもりですが、熊本市議の一人が取った行動に対する反応に、正直あまりに呆れたので急遽書くことにしました。

 

大の男たちが女性議員を取り囲み、乳児と一緒に議場外へ連れ出す映像がそのまま世界に流されたそうです。国によっては議場で授乳さえを認めているところもあるというのに。
 しかし私が呆れ、情けなく思い、さらには怒りまで覚えたのは、市議の行動ではありません。それよりも〝ルールを守れ〟とか〝やり方が悪い〟とか〝周囲に迷惑を掛けて〟などという、事の本質ではなく行動を取ったこと自体を非難する声が多かったことです。まさしく「日本人のダメさ加減を」表した現象でした。

 

 私が、この情けない反応に接して最初に思い浮かんだのは「自動車絶望工場」というルポルタージュ本です。正確に言えば中身ではなく、この本が、あるノンフィクション賞の候補に挙がった際の選評のことでした。選考委員の一人が言いました。
「取材の仕方がフェアではない
「ルポを目的とする工場潜入とわかってみれば、少なからず興ざめする」

 

結果としては受賞をしませんでしたが、これはいったいどういうことなのでしょうか? 他のやり方でもベルトコンベヤー労働の過酷さを伝えることができた、と言いたのでしょうか?

 

潜入取材というものを最近ではほとんど見かけなくなりました。かつては朝日新聞の記者が日産の工場に潜入して記事を書き、他には患者を装って入院した記者が精神科病棟の実態を伝えて大きな反響を呼んだりしました。つい最近では、フリーライターがユニクロのパート社員となってブラックぶりを記事にしています。
 しかしこれらも選考委員の言説に従えば「フェアではない」「取材のための潜入では興ざめする」ということになるのです。けれども「フェア」とか「身分を隠さない」取材で、はたして実態を伝えることができるのでしょうか?

 

自動車絶望工場の作者である鎌田慧氏は、こう言っています。
(前略)・・・電機工場の女子労働者に会った時、かの女は、「ベルトコンベヤーは見ているのと、実際仕事をしているのではスピードが違う」と言った。(中略)実際労働している人の、精神的肉体的疲労感が、その絶望的な飢餓感がどれだけ含まれているのか、それは見聞きするだけでは〝理解〟できるものではなかった・・・(後略)
《講談社文庫・自動車絶望工場、あとがきより》

 

要は、会社の広報部を通じて工場見学をしたり、工場労働者と一対一で話をしたとしても、はたして過酷さを伝えることができるのか、それには自ら体験することがどうしても必要だった、ということです。しかし企業側からすれば、このような〝ルールに従わない取材〟は実に困るのです。なぜなら本当の姿を伝えてしまうからです。
 これと同じことが最近でも起きました。官房長官記者会見です。一躍有名になった望月記者ですが、もし彼女が〝ルールを守った質問〟していたら、あのような反響が起きたでしょうか?

 

 

 

家畜人根性とは、飼い慣らされた人間の精神である

 熊本市議の行動は確かにルールを守っていません。しかしこの市議がルール通りに交渉をしていたら、赤ちゃんはあっという間に成長してしまう。そして、こう言われてしまうのです。
「もう大きくなったのだから、大丈夫でしょ?」
これでは何の意味を為さないことは言うまでもありません。

 

市議の行動は明らかにパフォーマンスです。映像があるということは、事前にマスコミ関係に伝えていた「確信犯」なのも間違いないでしょう。けれども、それの、どこが悪いと言うのでしょうか? このような〝パフォーマンス〟をしたからこそ、大きく取り上げられたのではありませんか? もしこの市議が、記者会見などで訴えたとしてもマスコミは誰一人来なかったはずです。それはSNSやツィッターやブログでも同じでしょう。この市議からすれば現状を認識してもらうには、このような方法を取るしかなかったのです。ルールの是非、そして議会の対応の悪さを問うためには常識や慣習やルールに従っていたら何もできないのです。

 

ルールを守れとか、やり方が間違っている、などと叫ぶことは権力者や支配する側にとってこれほど都合の良いことはありません。悪法でも法は法だ、だから従うべきだ、などと言っていたら悪法は永遠に無くならないからです。

 

ルールを守れとか、周囲に迷惑を掛けない方法でやれ、という言説は、飼育人に従っている家畜が空腹の時だけ叫ぶのと同じに思えてなりません。自由が欲しければ柵を破らなければならない、番犬や飼育員に噛みついて倒さなければ自由は得られないのです。
 ですから、これができない人間は家畜と同じなのです。そして、そんな精神性を家畜人根性と呼んでいるのです。
 このような人間のもう一つの特徴は、自分が何もできないからこそ、何かを打ち破ろうとする人や現状を変えようとする人を、妬み、やっかむことです。そして〝自分には常識がある〟〝周囲に迷惑を掛けないで生きている〟と嘯くのです。実に哀しいというか、滑稽です。なぜなら飼い慣らされているという自覚がないからです。

 

遥か昔から「悪法でも法は法だ」とか「ルールは守るべきだ」などと言う人間は権力者に喜ばれてきました。その反対に「悪法には従わない」「間違ったルールや慣習を守らない」人間は、権力者から疎まれ、弾圧されてきました。しかしそのような人々がいたからこそ、人類は進化を遂げることができたのです。それは歴史が証明しています。

 

全国の議員さんたちよ、議会にどんどん子供を連れて行こう! そうすることが『この国』を変えることになるのは間違いありません。

 

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カイトアキラ

Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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