FC2ブログ

この国の未来を考える

佐川氏は、なぜ前川氏のようになれなかったのか?

私の予測より酷い証人喚問でした。

 316日付けのブログで、おそらく佐川氏は99%まともな証言をしないだろうと指摘しましたが、ここまで最悪の証言をするとは思っていませんでした。

 

国はったど・・・・ の1
316日ブログより)

 

 上記の記事中で真相を証言しない理由を五つ提示しました。結果としては134が当たったけれど(少しも嬉しくない)25は外れました。悪い方にですけれど。
 書き換えの指示を認めると思っていたのですが、これは証言拒否で、取引の適正については、担当者ではないという理由で証言をしないと予想していたけれど、なんと、今でも適正だと考えているとは。さらには国会答弁も、丁寧さに欠けていたが間違ってはいないと言い切りました( ゚Д゚)

 

 

 正直、怒りも呆れも通り越しています。私の素直な感想は、ここまで人間性を破壊されてしまったのかという驚きだけです。ですから、特に十代の人たちに言っておきます。まっとうな人生を歩みたいのなら、エリート官僚になることだけはやめなさい、少なくとも自民党政権が続いているうちは!

 

 証人喚問に関しては多くの人が言及していますので省きますが、今後は検察がどう動くかがポイントだと思うので、しばらくはそれを見守りたいと思います。しかし二点だけ、少し気にかかった記事を目にしたので簡単に触れておきます。

 

古賀茂明氏が見た佐川喚問 「証言が本当なら独裁の証し」
  (日刊ゲンダイDIGTAL328日付け)

 

 私も同感です。もし佐川氏の証言が本当なら、すでに独裁国家になってしまっている。そう言えば私の若い頃には韓国もフィリピンも独裁国家でした。だからどんな疑惑があろうとも解明されることはなく、独裁者の〝お友達〟だけが優遇されていました。ただ韓国の朴大統領だけは親族を優遇はしなかったようです。したのは、同じ思想を持った軍人と政治家でした。

 

 もしかしたら私は貴重な体験をしているのかもしれません。ヒットラーもナチスも選挙によって出現したけれど、民主主義を標榜していても、なるほど独裁とは、このような形で進んでゆくことを安倍政権と官僚たちから学んだからです。本来なら経験などしたくはなかったのですが・・・・

 

無駄な証人喚問をやるくらいなら、国政調査権の下、敷地の掘り返しをやるべき - 3月28日のツイート (BLOGOSより 橋下徹)

もしくは、橋下徹氏のツィート 

 

 橋下徹氏の指摘は正しい。しかしこれは、いつものパターンなのです。橋本氏は時々、耳障りのいいことを言うけれど、それは決して実現できない、または制度上不可能だったりすることが多いからです。

 

国政調査権は証人喚問の権限を持っていますが、尋問するための調査は議員が個々で行っています。もし、より調査を精密にするのなら、第三者委員会を設置し、その下にそれぞれの専門家を配置してはじめて可能になるのです。もちろん、そのための予算も確保しなければなりません。

 

ごみの有無を調査するのなら上記のような方式を取らねば不可能です。だって掘り返すと言ったって、いったいどこがやるの? 財務省? それとも国土交通省? それとも国会が業者を雇うのですか?
 そもそも敷地を掘り返す法的根拠とは、いったい何なのでしょうか。証拠を得るために検察が裁判所に許可を求めるというのなら理解できますが、例えば遺棄された死体を掘り起こすためとか、などです。けれども国政調査権はそのようなことを想定していません。やれることは証人喚問と資料の提出ぐらいで、仮に国会の議決があったとしても私有地なら、おそらく裁判所の許可が必要になるのではないでしょうか。

 

法律家である橋本氏であれば、こんなこと先刻承知しているはずです。しかしなぜか彼は、こんなことを平気で言う。その理由は極めて明瞭です。それは、強力な権限を持った調査委員会を設けることなど自民党が決して了承しないことを知っているからです。

 

橋本さんに進言しておきます。もし世の中から注目を浴びたいのなら、昭恵夫人や迫田氏の証人喚問をするべきと言った方が、よほど説得力があると思いますよ。

 

 

 

「モノサシ」を1本しか持てない人間の哀しさ

 証人喚問を決定した時に前川氏が「役人を辞めた以上は何でも言える。むしろその方が今後の佐川さんのためでもある」と、私の要約ですが、こんなようなことを言っていました。

 

 確かにその通りだと私も思います。そしてもしかしたら佐川氏が、すべてを話すのではないかと期待する声も一部にはありました。けれども、そんなことはあり得ないと私は確信していたのです。なぜなら佐川氏は、
「高級官僚という1本のモノサシしか持っていない」または「官僚の論理しか持ち合わせていない」からです。

 

そもそも論になってしまって恐縮ですが、以下の通りです。

 

証人喚問で洗いざらい話す人間なら、そもそも改竄などしない。

          ↓

改竄をしない人間なら、そもそもあんな国会答弁をしない。

          ↓

あんな国会答弁をしない人間なら、今回の国有地払下げを、そもそも適正だとは言わない。

          ↓

こんな取引は不当だと異議を挟む人間なら、そもそも理財局長にはなれない。

 

結論は、不正や不当なことに異論を唱える人間は、そもそも官僚になろうとは思わない。

 

 

私が20代の頃だったと思いますけれど、NHKでキャリア組の採用を特集したドキュメンタリー番組がありました。取材先は大蔵省(現財務省)だったのですが、ある場面がとても印象に残っています。
 東大生の面接場面でしたが、その若者は野球部に所属しておりポジションは捕手でした。ところが四年間で一度もレギュラーになれず、ずっとブルペンキャッチャーだったと答えていました。
 その時、面接担当官たちから少し声が上がったのです。それはとても好意的な声で、そして東大生が退席すると面接官たちから口々に評価する声が上がったのです。中でも、
「四年間補欠だった、というのがいいね。表舞台に出なくても、陰で支えることができる人間だね」
と言っていたのを今でもはっきりと覚えています。
 ちなみに野球部の彼は採用されたと記憶していますが、どこの省庁に行ったのか、または今どうしているかなどは、もちろん知る由もありません。

 

この場面から読み取れることは〝組織の論理に従うことができる人間〟さらには〝組織のルールから決してハミ出さない人間〟を求めていることが理解できます。
 確かに、それ自体が悪いとは必ずしも言えません。けれどもキャリアとして採用され、霞が関で出世の階段を昇ろうとしたら、この二点を貫徹せねばならないのは事実でしょう。そのためには人間性など邪魔だし、深く考察することや、これは国民や市民ために本当になるのか、などという疑問も挟んではいけないのです。すべては組織のために、なのです。

 

このような観点で見れば佐川氏の行動は、まさしく「官僚の論理」に従ったもので驚くことではありません。なぜなら官僚になって40年近くが経っているのです。このような精神が骨の髄まで染み込んでいるのは当然で、それ以外の選択肢など、そもそも思い浮かぶはずもないのです。
 いや、もっと正確に言いましょう。他の選択などしたら、この場合はすべてを話すことですが、それをやったら、これまでの官僚人生を自ら否定することになってしまう。それだけは絶対にできない。なぜなら官僚である自分、または官僚であった自分という表現以外、佐川氏は何も持っていないからです。ならば、自分自身を否定するぐらいなら被告人になった方がマシ、と考えても何ら不思議ではありません。

 

このように推察すると前川氏の特異性が際立ってきます。彼は自分の官僚人生を「面従腹背」と言いました。表面上は組織の論理に従っても、できる限り自らの考えを反映させるという生き方です。そこには官僚としての前川氏の他に、もう一人の人間性を失っていない前川氏の存在が伺われます。だからこそ「あったことをなかったことにはできない」と発言できたのです。それは官僚としての「モノサシ」ではなく、一人の市民として、一人の人間としての「モノサシ」を持っていたからこそ成し得た行動だと言えるでしょう。

 

霞が関の住人たちのことを、日本で最も優秀な人たちの集まりと表現することがあります。でも、本当にそうなのでしょうか?
 確かに限られた時間で暗記するとか、答えのあるものを素早く見出す能力は優れているのかもしれません。しかし、答えのないものに近づいてゆく能力や気力、または社会的弱者や少数者のために、時には慣例を破る気概や創造力などがあるとは私にはどうしても思えない。そもそも官僚組織というものは、そのような能力や精神を求めていない。
 ですから、もうそろそろ霞が関の人々は優秀だとか、だから彼ら彼女らは間違わない、などという〝幻想〟は終わりにしませんか? 彼ら彼女らも普通の人間です。ただ暗記や前例に倣うことが、ほんの少し優秀なだけで、権力者に逆らうことができるほど強くはないのです。

 

前川氏のインタビューを聞いていて、本来なら官僚になるべき人ではなかったと強く感じました。しかもさらに驚くのは、決して「官僚の論理」に染まらなかったことです。大半のキャリア官僚たちは浸蝕されているのに、これは極めて異例だと言うべきで、このような霞が関の住人はほんの一握りだと考えるのが自然でしょう。ですから、そもそも前川氏のようになって欲しいと願うことは〝ないものねだり〟と思った方が良さそうです。

スポンサーサイト

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gogo33726rr.blog.fc2.com/tb.php/150-5ed5ece7

 | HOME | 

 

カレンダー

12 | 2019/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

カイトアキラ

Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

電子書籍案内

お薦めです

このブログをリンクに追加する

最新記事

月別アーカイブ

できればプチっと


社会・経済ランキング

こちらも良かったら

カテゴリ

この国の未来 (164)
未分類 (0)

最新トラックバック

検索フォーム

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2Ad

Template by たけやん