この国の未来を考える

サッカーというスポーツでも民族性は隠せない

 この国の政府はワールドカップのどさくさに紛れて〝過労死法案〟を成立させました。ところが予想に反して代表チームが、いい意味でも悪い意味でもやらかしてくれるので、その報道にメディアが一色になっています。まぁ国民の多くがサッカーに夢中になっている面もありますから仕方がないですけれど。しかしこの法案が多くの人々を苦しめるのは間違いありませんから、サッカーに魅入っていたことを後悔する日がやってくるのは確かなのです。

 

 

消極的選択と他力本願、そして従順な日本人

ポーランド戦に於ける日本の戦術というか選択が物議を醸しています。結論から言えば「戦いの放棄」ですから、プロとして、またはワールドカップという舞台としてもあり得ないことでした。
 これがクラブチームなら、報酬と評価が結果に直結する以上あり得ないことではないと思います。けれども一国を代表するチームは、その国のサッカーを体現するものとして見られるのですから、決勝トーナメントに進出するために〝試合放棄〟も辞さない、しかも他国のチームの結果に頼ることなどは、評価を下げるだけでなく侮蔑と嘲笑の対象にもなっても仕方がないのです。

 

でも、こんな選択をするのも当然かもしれないという気持ちもあります。なぜなら日本人は、追い込まれた時ほど他力本願という性質を発揮して消極的な選択をする傾向があるかです。要するに自らの力で局面を打開する能力が乏しいために、相手に対しては、こうであってほしいとい願望が強くなる。簡単に表現すれば「ご都合主義」と言うべきでしょうか。

 

その一例としてあるのが旧日本軍です。戦力も国力でも勝てないことをわかっていながら、一年間有利な戦局が続けばアメリカから講和を持ちかけてくるだろうという、なんの根拠もない「ご都合主義」を発揮して淡い期待をしていたのでした。
 そして状況が変化すると他力本願になる、もう一つの例が安倍首相です。トランプ大統領の心変わりによって蚊帳の外に置かれたのですが、政権浮揚のために拉致問題を利用し、北朝鮮に対する敵視政策を取り続けたために、小泉政権時のパイプをすべて失ってしまいました。その結果、拉致問題は日本と北朝鮮の事象でありながら、仲介を第三者のアメリカと韓国に依頼するという〝みっともない〟羽目に陥ったのでした。

 

消極的選択と他力本願という人間は私の周囲でも珍しくありません。もしかしたら日本人の遺伝子として組み込まれているのかもしれないけれど、であれば西野監督の決断?と、それに従う選手たちに驚くことはないのかもしれないですね。
 でも、もし中田英寿氏があの場に選手としていたらどうだったでしょうか。おそらく激しく抗議をしたのではないでしょうか。まぁ、それでも孤立してまで抗うかと問われたら、それはないだろうとは思いますけれど。
 しかし本当に選手たちは従順ですね、海外でプレーする選手があんなにいるのに誰一人として抗議をしませんでした。もちろん戸惑っている選手や不満そうな顔をしていたけれど、もっと自己主張すべきだったと思います。プレーをするのは選手なのですから。

 

 

論理的整合性のない戦略は批判される

 今回の件について肯定しているのは日本人だけのようですね。オシムさんは日本に気を使ったのか、その議論はすべきではないと言及していますが。しかし問題は、擁護する理由を「結果がすべて」にしていることです。
 確かに決勝トーナメントに進出できなければ意味がない、という言い分は理解できないわけではありません。しかし結果がすべてと言うのなら、なぜ1-0で勝つゲームをやろうとしなかったのか。最悪引き分けで、できれば1-0で勝つという戦術です。できるかできないは別にして。
 ところがポーランド戦のメンバーと戦術は攻撃的でもなければ守備的でもない中途半端なものでした。攻撃的な布陣でゆくと西野監督はインタビューで答えていたにもかかわらず、まったく機能しないまま後半になっても変えようとしませんでした。これは明らかな采配ミスと言えるでしょう。ところが後半三十分過ぎからの指示が彼を「名監督」にしてしまうとは・・・・

 

 なぜ欧州を中心に非難の声が上がっているのか、その理由を日本人は理解しているのかと思うと心許ないのです。もし今回の件を「結果がすべて」と言い張るのなら、最初から守備的布陣を引き、最低条件として「引き分け」を狙うべきだったのです。しかし西野監督はそんな戦術を取っていなかったし、フォーメーションもメンバーも目的や根拠がはっきりしていなかった。進出できたのは、コロンビアが点を入れてくれたという運に恵まれただけであって、そこには結果を導くための戦術も戦略もなかったのです。

 

ポーランド戦は引き分けを絶対条件として、守備的陣形からカウンターで1点を取るという戦法を実施したけれど、それでも点を取られてしまった。サッカーではよくあることですから仕方のないことです。それでも終盤まで攻めて、残り5分ぐらいの時間帯での選択だったら、おそらく非難されることはなかったでしょう。なぜなら引き分けを絶対条件として戦略を実行し、それでも目的を果たせないままゲームが進行した。けれども残り時間が僅かのところで、負けても決勝トーナメント進出の可能性が出てきたとしたら、それは決して偶然ではありません。根拠ある戦術と戦略そしてメンバー選出があったからこそ、その状況を活かすことができたと考えるべきなのです。
 しかし日本代表チームの戦術や戦略は違っていました。守備的にゆくのか、それとも攻撃的にゆくのか、誰が見ても曖昧だったと感じているでしょう。そこには結果がすべてと言いながら、その結果を出すための〝ベストを尽くす姿〟があったとは到底思えない。あくまでも結果オーライでしかなかった。決勝トーナメントに進出するための〝ご都合主義〟と言われても仕方ありません。だから非難されたのです。このような論理的整合性もなければ根拠も明確になっていない戦い方は、欧州だけでなく南米でも批判されるのは当然のことなのです。
 まぁ、でも、日本サッカー協会の人間でも擁護しているぐらいですからね。これも日本人という民族の特性なのでしょうね、残念ながら・・・・・。

 

ラモス氏は、次のベルギー戦に勝てば〝チャラ〟になると言っていたけれど、きっとはらわたが煮えくり返っていたのでしょう、だいぶ抑え気味に言っていました。確かにそういう部分はあるのは間違いありませんが、普通に考えれば、あの場面で攻撃に行かなかったチームが負けたら終わりというトーナメントで勝てるとは思えません。もちろん日本の選手たちのモチベーションは嫌でも上がるでしょう。しかしそれはベルギーも同じなのです。たぶん日本にだけは、あんなチームにだけは負けたくないと、強烈に自覚してくると思えてなりません。

 

 それよりも心配なのは大敗した時です。その場合はポーランド戦の行為が、次の世代のトラウマとして引き継がれてしまうからです。これからは、どの大会でも日本代表は・・・・と囁かれる。それは相当な重圧となって若い選手にのしかかってくるでしょう。それだけ今回の行為は重いのです。ですから次の代表監督は、
「醜い勝利をするぐらいなら、美しい敗北を目指せ!」
という精神の持ち主であってほしいのです。だってサッカーはスポーツであって、命を取り合う戦争ではないからです。

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Author:カイトアキラ
2017年の衆院選は歴史の転換期の一つに数えられるかもしれません。それは良い意味なのか悪い意味なのか、まだ誰にもわかりません。ただ私の感覚では悪い方向へと向かっているという気持ちが強くあります。しかし決して諦めるつもりもありません。私個人のできることなどたかがしれていますが、やらないよりやった方が良いことは間違いありません。そんな気持ちで今後もブログを続けます。

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