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この国の未来を考える

「美しい顔」盗用騒動について

他者の視点を自分のものとすることは許されない

例えば、日本のどこにでもあるような交差点で交通事故があったとします。記者たちは警察発表によって事故の記事を書きました。この場合は警察の発表に基づく〝公共〟の情報なので、いわゆる「事実の共有」となります。ですからどの記事であっても、特に引用とは記す必要はありません(もともと記事自体に大差がない)。それは小説であってもルポであっても同じです。
 

ところがある記者が事故現場に行って目撃者を発見したとします。そしてその人の視点で記事を書いた。すると事故の様相が、警察発表に基づいたものとはだいぶ異なってきたのです。この手の話はよくあることで、そこには事実の共有の他に、目撃者と記者の視点が加わったからです。もちろん客観性が重視されるのは当然ですが、この視点とは、あくまでも二人の主観と言っていいでしょう。
 しかし別の人が、この記事の内容を小説の主人公の視点としてしまったら・・・・。目撃者と記者からすれば、おいおい、それはないだろう、と反発するのは当然です。なぜなら表現を借用したのではなく、視点を自分のものにしてしまったからです。これは、ある意味〝詐術〟ではないでしょうか。というのは、この記事を知らない人が小説を読んだら、この視点は小説の作者独自のものと信じてしまうからです。
 けれども他者の視点を借用、もしくは作者の視点とすることをやっていけないわけではありません。仮にそのようなことをするとしたら、他者の視点を自分のものとしたことがわかるようにすること、そしてその了解を当事者からもらうことが前提になるのです。ですから参考文献の提示だけで解決する問題ではない、という新潮社とライターの指摘はまったく正当なのです。

 

 

昔から繰り返される「盗用」「剽窃」疑惑

今回の件について当初は言及するつもりはなかったのです。なぜなら日本の小説界が著作権に甘いことは今に始まったことではないからですが、「美しい顔」の文章と、類似しているとされたルポの文章を読んだ時、私が思い浮かべたのは山崎豊子でした。盗用の女王と呼ばれ、瀬戸内寂聴氏によれば『彼女の盗用は、ほとんど病気だから』と言わしめた人です。
 しかし「大地の子」についての最高裁の判断は、物語としての筋がほとんど同じだとしても、歴史は事実の積み重ねである以上、それを共有することは著作権の侵害には当たらないとしたのです。この判決文を読んだ時の私の頭は「?」マークで埋め尽くされたことを今でも覚えています。

 

今回の件を知った時「またか」と思いました。いったい、いつまで繰り返すのか。ところが講談社の報道各社に対するコメント文を読んで、私は愕然としたのです。
『・・・・今回の問題は参考文献の未表示、および本作中の被災地の描写における一部の記述 の類似に限定されると考えております。その類似は作品の根幹にかかわるものではな く、著作権法にかかわる盗用や剽窃などには一切あたりません・・・・』
 まず基本的に「盗用」か「剽窃」に該当するか、その判断するのは講談社だけではないことです。当然多くの人々によって委ねられるものだと考えます。一番の問題は、類似は作品の根幹にかかわるのものではなく、という部分です。

 

「美しい顔」について最初に知ったのは、東京新聞の夕刊に連載されている『大波小波』という文芸コラムでした。基本的にこのコラムは辛口で、特に新人に対しては厳しいのですが「美しい顔」については、被災者ではない作者が体験もなしに、想像力だけで小説を書き上げたことを褒めていたのです。しかも並々ならぬ才能だとも。けれども私は違和感を憶えたのです。体験もしていないのに、あんな未曾有な震災の被災者を描くことが可能なのだろうか、と。

 

確かに被災者ではなくても、被災者を主人公にした小説を書くことが無理だとは思いません。ただしその場合は新聞記事や映像、さらには被災者を取材した文献などを読み込んで、まさしく作者の想像力と創造力で主人公の視点と生き様を描く。それこそが小説の醍醐味であることは間違いないでしょう。しかし北条氏は、他者の視点と被災者の心情を自分のものとしてしまったのです。これは想像力でも創造力でもなんでもない。ただのコピーです。

 

 しかし受賞した最大の要因は何だったのでしょう。被災者ではない作者が、あたかもそこにいたかのように被災者の心情や視点を描いた、というのが理由だったはずです。けれどもその前提が崩れた。被災者とされている主人公の視点と心情が実は借り物だった。であれば、たとえそれが一部であったとしても、主人公と作者が一体ではあることは紛れもない事実である以上、それは作品の根幹にかかわる部分と言えるはずです。
 要するに、作品の大半が作者の独自性だったとしても、それを導き出すための〝借用〟ならば、その行為によって作品の価値は失われてしまうのです。本来著作権というものは、それだけ厳しいものなのです。これが欧米なら間違いなく「盗用」「剽窃」と評価されるでしょう。
 

正直、北条氏の将来性とか私にはどうでもいいことです。しかし出版不況とか、小説が読まれないと言われる昨今、編集者の劣化が著しいことを奇しくも証明してしまいました。それは選考委員も含めてなのですが、だって普通なら疑いませんかね? リアリティがあるからこそ、もしかしたら真似ていないかと・・・・。
 でもこれは決して悪い意味ではありません。作者の将来を本当に考えるのなら、それを指摘することも編集者の役目でもあるからです。それは、すでに小説家と呼ばれている人でも同じことなのですが。

 

 まさか芥川賞まで取らないとは思いますけれど、これだけ話題になったから売るためには何でもアリで受賞させたりして・・・・。もしそんなことをやったら日本の文壇は終わりですけどね。
 今回の経緯を一覧できる記事があったので表記しておきます。この方の考え方には必ずしも同意できない部分もありますが、かなり公平に扱っていますので参考にはなると思います。

 

「美しい顔」の「剽窃」問題から私たちが考えてみるべきこと
 (HUFFPOSTより 日比嘉高氏ブログ 711日付け)

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Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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