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この国の未来を考える

日韓の未来は決して暗くない。条件付きだけど・・・ その2

自由がなければ文化は育たない

 

 私は韓流ブームが日本を覆う前から、韓国映画のレベルが徐々に上がってきていることに注目していました。同時に、2000年に入った頃からKポップが独自性を発揮しだしたことにも関心を持ちました。そしてその現象から感じたのは、戦後の日本と同じことが韓国でも起きている、と思ったことです。

 

 戦後の日本では、主に1950年以降に映画界が活況を呈しました。もちろんテレビがまだ始まった頃ですから娯楽の王様は映画なのですが、多くの映画人を勢いづけたのは国際映画祭での日本映画の受賞だったのです。

 

 1951年に黒澤明監督の「羅生門」がベネチア映画祭で金獅子賞を取り、その後は1954年のカンヌ映画祭では衣笠貞之助監督の「地獄門」がパルムドールを受賞します。さらには溝口健二監督の作品である「西鶴一代女」・「雨月物語」・「山椒大夫」で、3年連続ベネチア映画祭に入賞するという快挙を果たしたのです。付け加えれば小津安二郎監督も、すでに巨匠の地位を得ていましたが海外で賞を取ったのはこの頃でした。

 

映画に詳しい人は知っていると思いますが、この頃の日本映画は、その後の世界中の映画監督に多大な影響を与えたのです。特に有名なのは小津安二郎監督ですが、必ずしも賞だけではありません。代表的なのは、後にハリウッドで「荒野の七人」という西部劇でしょう。これは1954年に製作された黒澤明監督の「七人の侍」のリメイク版ということをご存知でしたか?

なぜ、このようなことを列記したのか。その理由は1950年代ということを考えてほしいのです。侵略戦争の敗北が1945年ですが、その後は曲がりなりにも民主主義が施されて表現の自由が保障されるようになりました。そうなのです、自由になったのです。国から理不尽なことを言われずに、検閲もなく自由に映画が作れるようになった。映画人にとってこれほど喜ばしいことはなかったはずです。前述した映画監督は戦前から監督をしていた人たちですから、おそらくその自由を噛み締めていたでしょう。

 

自由に作品を作れる。まさにこれが、1950年代に一気に開花した理由ではないかと私は思っています。もちろん商業面での制約もあったでしょうし、事実として駄作もたくさんありました。けれども、とにかくこの時代の映画には勢いを感じてしまうのです。確かに21世紀の今から見れば古臭い。けれども、どの映画からも〝抑圧から解放された息吹〟が至るところに見られるのです。

 

 

自由を得た韓国にもたらしたもの

 

 韓国が民主化されたのは1988年です。武力ではなく、あくまでも民主的に行われた稀有な例ですが、韓国の映画人や芸能人は自由を得ることができました。なにしろ民主化されるまで韓国に検閲があったことを知っていましたか?

歌では暗い歌詞やメロディはダメとか、世の中を悲観するものもダメだとか。今となれば笑ってしまいそうな理由ばかりです。でも同じような国がありましたね。そう、明治憲法下の日本、戦前の日本です。映画や歌を自由に創作できない社会だったのです。

 

 しかし民主化されたからといって、すぐに色々なものが生まれるわけでもありません。事実として1990年代前半のKポップは、韓国の人には申し訳ないけれど、笑ってしまうぐらい日本のモノマネばかりでした(YouTubeで探せば見つかりますよ)。映画も、とてもじゃないけれど論評に値するものではなかった。ただ、試行錯誤をしていることだけは感じ取れたのを覚えています。

 

 そして民主化されてから約10年後、日本に韓流ブームが押し寄せました。ちょうど日本映画が世界から認められ、一気に花を咲かせたのと同じぐらいの時間経過なのです。その様子を見ていて、1950年代の日本もこうだったのではと私は思いました。まだ生まれていないので想像するしかないのですが、きっとこんな感じだったのだろうと思ったのです。

 

 そこに共通するものは何か。それは、やはり〝抑圧からの解放〟なのです。映画もドラマも歌もダンスも、あらゆる芸能文化は自由がなければ成立しない。私にはその証明のような気がしてなりませんでした。

いや芸能だけではありません。美術や小説や科学技術でも、創作の自由がなければ文化として社会に根付くことなどあり得ないのです。仮に、抑圧された社会で存在できる文化があるとしたら、それは権力を握る側にとって都合の良いものなのでしょう。

 

 年代は違っても「抑圧された社会から解放された」という意味では、日本と韓国は同じ価値観を共有しています。自由と平等・公平と公正、そして民主的な選挙による代議員制度を採用している政治。

もちろんどちらの国にも問題点はあります。しかしKポップに限らず韓国の映画やテレビドラマ、そして日本の映画やテレビドラマやJポップは、いずれも似たような政治制度を採用し、さらには表現の自由を認めている社会だから生まれているのです。むしろそういう社会だからこそ、良いものは良いと言える、そういう世の中だからこそ言語や国籍や人種が違っても、同じことが言えるし感じることができるのです。

前回で記した若い女性は、まさにこれを体現していると私は感じました。そして、このような感性を持った人が増えれば増えるほど、日韓は互いの文化を理解することが可能になってゆくでしょう。そしてこれこそが朝鮮半島の永続的な平和に繋がる、と私は確信しています。


次回は「今後のKポップと韓国芸能界の課題」です。



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カイトアキラ

Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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