この国の未来を考える

車券購入に上限を設ける・その3

スーパースター戦およびSSシリーズの優勝戦は、まさしく現在のオートレースを象徴している結果になりました。いずれもトップスタートを切った選手がそのまま1着。益選手の場合は0ハンを叩いてですから、単純に出たなりという訳ではありませんが。
この結果自体にケチを付ける気はありません。少なくともスタートが速いというのは武器ですから、10周回・8周回を逃げ切ることは見た目よりも大変なことを理解しているからです。ただ私の気持ちとしては、後方から追い上げた岡部選手の走りが、これこそがオートレースなのだと体現しているようで目を奪われました。本当の意味で価値ある上りタイム3.389だったと思います。しかし吉原アナウンサーが実況していた通り、スーパースター戦の1~3着までが船橋所属とは示唆に富んだ結果だと思います。


日本のギャンブル環境は異常?

さて前回の引き続きです。
車券購入に上限を設けるという考え方のきっかけは、ある書物を読んだことでした。それは帚木蓬生(ははきぎほうせい)著「ギャンブル依存国家・日本」です。

この中に「諸外国におけるギャンブル規制」という項目があり、韓国の競馬では1レース当たりの購入金額が10万ウォン(現在のレートで約1万円)で、さらにネット投票は禁止されていると書かれていました。
他国の様々な規制も掲載されており、それらと比較すると日本のギャンブル状況の異様さがよく理解できます。この書物の宣伝をする意図はありませんが、興味のある方は読んでみてください。私自身は色々と考えさせられました。一言で言えば、今まで何の疑問を持っていなかったギャンブル環境が世界的に見たらかなり異常であるということです。

他国の規制を見てみると(特に欧州)日本では考えられないくらい厳しい条件を付けています。特に英国での厳しさは際立っており、カジノへの入場制限はもとより、一般市民への広告や場内でのアルコール禁止などがあります。これは、自分自身をしっかりと管理できる人間しかギャンブルをしてはいけない、という考え方なのでしょう。その正反対がアメリカと日本になります。もっともアメリカでも州によっては規制が厳しいところもあるようですが。

ギャンブル依存症に関しては、そうなる方が悪いという風潮が日本にはあるような気がしています。そのことについて意見を書けるほど詳しくはないので控えますが、私自身の感覚で言えば、ギャンブルに手を付ければ誰でも依存症になりうる可能性を持っているのではと考えています。
正直に告白すれば、私も間違いなく依存症でした。過去形で書いたのは、現在の自分の状態が依存症には当てはまらないからです。その辺の見極めをするためにも「ギャンブル依存症国家・日本」は有用だと思います。




ギャンブルを実施するなら依存症を輩出させない環境を!

前回、マイナンバーを利用して、と書いた意味は「依存症」になる人間を出さないためです。1人の人間のギャンブル行動を把握するにはそれを特定する手段が必要で、その方法があれば一ヶ月や年間単位での金額が把握できると同時に、上限金額を超えれば自動的に購入不可にするシステムを作ることができるからです。
「公」がそこまで管理するのはプライバシーの侵害ではないか、と思われるでしょう。おそらく人権侵害の要素を含んでいるのは間違いないと思いますが、ギャンブルをやらなければ侵害されることがないのも事実です。要は、前述したように「自分自身を管理できる人間」しかギャンブルをやってはいけないということです。

では、自分自身を管理する意味とは何でしょうか。
ギャンブルに限って言えば経済的に困窮しないこと。もっと簡単に言えばギャンブルが原因での借金をしないことです。「ギャンブル依存症」の判断基準は、ギャンブルをするために借金をしたか否か、だと私は考えています。

「なるべく不幸な人々を出さない」という社会の前提は、基本として経済的困窮者を出さないことです。ギャンブルを野放図にすれば、必ず一定の割合で「ギャンブル依存症」が発生することは世界的に見ても今や常識になっており、日本でもここ10年ぐらいでようやく認識されつつあります。しかし、その対策がされているとは言い難く、何よりも「公」自らが開帳しているのですから。

若い世代の人々が初めてオートレースに接した時、そこは「賭博=ギャンブル」をする場所だった。それはオートレースにとって良いことなのか、それとも悪いことなのか、私は後者だと思っています。
例えば、CS放送に出演している人たちや選手たちが車券購入を呼びかけるたびに、どうか不幸になってくださいと聞こえてしまうのは被害妄想でしょうか?

価値観の違いがありますから、たとえ自らのお金を失ったとしても、満足できるレースを見せてもらったから悔いないと思う人もいるでしょう。それは否定しません。滅多にないことですが、何度かそう感じるレースがあったことも事実です。でも現実は、大半がそうではないことを誰も否定できないはずです。

オートレース=ギャンブルという構図は、やはり不幸だと思います。純粋にバイクレースを楽しんだり、その魅力に惹かれるのは最初だけで、いずれは賭博でお金を得るための「手段」として見てしまうのが現実なのです。
ギャンブルからの脱却こそがオートレースの生き残る道でしょう。しかも公営ギャンブルの中で最初に始めることが大事です。そうすれば社会からの認知も深まってゆくと思います。
車券購入に上限を設ける理由は、まさにここにあるのです。



ギャンブルで儲けることを許さないようです、「公」は。


2013年だったと思いますが、インターネットでの馬券購入で得た所得を申告しなかったので脱税に問われた事件がありました。結果はご存知だと思いますが、この件で私が感じたことは、「公」はギャンブルで儲けることを許さないのだな、ということでした。その理由は外れ馬券をも所得の対象としたことです。

税法上の見解は別にして、要するに国税=公は、ギャンブルで儲けた分もきっちりと申告しろ!その分の税金もしっかりと取るぞ! ということなのでしょう。
所得があれば申告するのが法律では基本とされています。まぁ確かにその通りですが、裁判の結果でもわかる通り、外れ馬券を経費と認めないという国税の見解は否定されました。当然でしょうね。しかも大半の人間がギャンブルでは損をするのに、努力?してたまたま儲かった分にも税金を掛けるとは・・・・。まさしく鬼です。

あなた方「公」は、開帳する際にすでに「テラ銭」として徴収しているはずです、補助金という名目で。百歩譲ってギャンブルで得た不労所得から税金を払ったとしましょう。だったら税金でャンブル依存症対策をする義務があるはずです。どこかの業界団体とか福祉団体とかに寄付をする前に。

経済成長率が高かった頃は給与所得も伸びていたのでそれほど表面化しませんでしたが、現在のような社会では所得が上がることを多くの人は望めません。そのような現状で、片や「公」がギャンブルを開帳し、片や税金も厳しく取り立てる。
最近の報道で知ったことですが、ある市では職員がギャンブル場やパチンコホールを巡って、もし生活保護費受給者がいれば、支給を止めたり返還を求めたりしているそうです。この市が公営競技を開催しているかどうかまでは確認しませんでしたが、一方でギャンブルをすることを煽り(広告等)、一方で貧乏な人たちに対しては厳しく接するという態度。だったら最初からギャンブルを規制しろと言いたくなります。

自己責任と言いながら、自治体ひいては国がギャンブルすることを推奨し、その結果破綻した人やしかけている人たちには、あなたの責任でしょ、と突き放す。繰り返しますがギャンブルには、一定の割合で必ず依存症を発症することが世界的には常識になっているのですから、その危険性を啓蒙しないことは、もはや犯罪的ですらあると思うのです。

公が胴元なのに、ギャンブルで儲けることも許さず、自己責任と突き放す。
何か間違っていると思いませんか?

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プロフィール

カイトアキラ

Author:カイトアキラ
もうすぐ老人と呼ばれる年齢になりました。
今までオートレース・ギャンブルについて書きましたが、今の日本の状況を考えると、たとえ影響力がなくても、もしかしたら若い人たちに響いてくれたら、という微かな希望を持ってブログを続けようと思います。
偏っていると感じるかもしれませんが、私は個人ですので、ご了承の程をお願いします。

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