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この国の未来を考える

ジャーナリズムの使命を果たしている朝日新聞

腹をくくった朝日新聞

 加計学園疑惑についての朝日新聞のスクープですが、さすがに2日続けての一面トップには驚きました。初日の記事に対してネトウヨたちが「捏造だ!」と騒ぐことを予期していたかのように、くだらない雑音を吹き飛ばす2日目の記事。これは朝日新聞が用意周到に準備していた証拠でもあり、同時に相当な確信を持って報じたことも伝わってきます。

 

 新聞にとっての一面トップとは、ある意味その新聞の覚悟や決心でもあります。ネットのウソニュースなどと一緒にされるのは迷惑この上ないでしょう。
 幼稚園児程度の脳しか持たないネトウヨたちに言っておきますが、どの新聞社であれ(東スポと産経は除く)一面トップにする記事は、仮に裁判になっても負けない確信がなければ絶対に書きません。今回は現政権に対するものですから、その確信はより強固なものと考えて間違いないでしょう。さらに付け加えると日本の新聞社は、欧米と違って経営権と編集権が分離していないのです。朝日も例外ではないですから、今回の記事は社長以下役員たちも当然了承しているのです。それはいったい何を意味するのか? 私は、朝日新聞が「加計学園疑惑」の追及を決してやめないと宣言した、と解釈しています。

 

 それにしてもネトウヨたちの発狂しそうな声が聞こえてきそうで、実に愉快です。ネトウヨに限らず安倍信者たちは、自分たちに都合の悪いことは全て「捏造」「ウソ」と言いたがるけれど気にする必要はありません。時間の無駄だから無視しましょう!

 

 

報道機関の役割とは

 報道機関に「捜査権」はありません。ですから家宅捜索や取り調べができるわけではないのです。あくまでも相手の〝良心〟に訴えかけて証言をしてもらう、または証拠などを提出してもらうに過ぎません。取材とはそうしたものですから「真相」を解明できるわけではなく、事実の積み重ねによって「真相」により近づくだけなのです。

 

 では、いったい何のためにするのでしょうか? 実は何かのためにするのではありません。そこに〝疑惑〟があるのなら、それを「調べ」「伝える」ことが報道機関の責務だからです。そこには思想も目的もなく、あるのは役割または仕事なのです。それを放棄したら、新聞であれテレビであれ週刊誌であれ、その存在意義はなくなってしまうのです。
 そもそも疑惑を持たれる方が悪いのであって、その対象が政治家や官僚ならば「公人」ですから説明義務があるのは当然です。それをしないから調査され報道されるのは当り前ではないでしょうか。発表されたものだけを報道するならロボットがやればいい。そのような観点に立つならば読売新聞の安倍首相へのインタビューは何だったのでしょうか。せっかく単独インタビューの機会をもらいながら数々の疑惑を問わずに首相の言っていることだけを垂れ流している。そもそも質問を限定されるようのインタビューなどやるべきではないのです。それこそ責務の放棄ではありませんか?
 読売とは違って今回の朝日新聞は、まさにジャーナリズムの本道に沿ったものでした。これこそが新聞社としての責務と使命と言えるでしょう。

 

 

メディアと報道機関は同じなのか? 

 リベラルや左翼と呼ばれる人たちの中には〝メディアがだらしない〟と言う人がいます。けれども私は、一言でメディアと表現されることに違和感があります。例えばテレビのワイドショーを報道と思ったことは一度もありませんし、週刊誌などの雑誌も色々な分野がありますから、やはり報道とは別物という気持ちがあります。そういう意味で新聞は、やはり報道機関と言ってよいと思っていますが、ワイドショーや週刊誌、さらにはネットサイトと同一視して、新聞も〝メディア〟と表現するには無理があるのではないでしょうか?

 

 本来なら〝報道機関がだらしない〟と表現すべきなのです。確かにそういう面は否定できないのも事実ですから。けれども今回の朝日新聞は、よくやっているのではありませんか? そしてそれに追随するように毎日新聞や東京新聞も。この二紙も追及をやめたわけではないのですから。

 

 テレビの影響力がいまだに大きいのは承知しています。もしワイドショーに限らず他の番組でも、安倍政権に対して否定的な内容を連日流せば支持率は大幅に低下するでしょう。しかし、そんなことを望むこと自体が間違いなのです。詳しく言及するつもりはありませんが、東日本大震災の時の「原発報道」を思い出せば理解できるでしょう。

 

 けれども、みなさんにお願いです。〝頑張っているメディア〟を褒めてやってください。政権や自民党に迎合しているテレビでも、ごく少数ですが良質な番組を作っている人たちがいるからです。
 しかし過度な期待をしてはいけません。内閣を総辞職に追い込むとか、政権を倒すとか、そんなものは幻想に過ぎず、そんな力は新聞やテレビや週刊誌などにはないのです。過去を遡っても報道機関(またはメディア)が政権を倒したことなど一度もありません。あるのは「きっかけ」だけなのです。

 

 政権が倒れる時の条件は二つです。一つは総理大臣の側近や閣僚が逮捕され、それに総理自身の関与が疑われている場合。二つ目は逮捕まではいかなくても、色々な不祥事や政策の失敗による支持率の低下です。
 俗に30%を切ると危険水域と言われていますが当然ですね。与党議員たちにとって一番怖いのは選挙ですから支持率の低いまま選挙をやられても困るのです。その場合は与党内から倒閣の動きが始まりますが、今回の朝日の報道がその「きっかけ」になるかどうかは、まだわかりません。

 

 

「民主主義」に健全な報道機関は欠かせない

 素直に私は、まだ朝日新聞は死んでいなかったとホッとしています。もちろん過度な期待はしていませんが、少なくとも現首相の重大な疑惑を追及する姿勢を崩していないからです。これは民主主義にとって実に大切なことなのです。なぜなら報道機関の追及ができなくなることは、言論の死であるだけでなく独裁や弾圧に繋がるからです。これほど国民や市民にとって不幸なことはありません。

 

 海の向こうのアメリカでは報道機関によって大統領が追い詰められています。それを担っているNYタイムスや他誌が購読者を増やし、CNNは契約者が伸びているそうです。
 東京新聞の521日付け『こちら特報部』によると、トランプ支持者たちがいまだフェイクニュースを信じる一方で、何が起きているのかを正しく知るには『主流メディア』と再評価する人が増えていると伝えています。そしてその理由を、権力の暴走を防ぐ良質な報道の重要性が再認識された結果、と分析をしているニューヨーク在住のジャーリストを紹介していました。

 

 日本でも状況は同じです。権力者の暴走を止める役割は持つのが報道機関で、それを支えるのは国民であり市民です。たとえ「共謀罪」が成立しても、権力を追求する報道機関と、それを応援する市民がいる限り、決して民主主義が死ぬことはないのです。
 もちろん苦しい戦いですが、あきらめたらそこで終わってしまう以上、身の回りの範囲でできることをやり続ける、それ以外に方法はありません。

 

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カイトアキラ

Author:カイトアキラ
2019年は強権国家への道を阻むことができた最後の年だったと、20年後や30年後に言われているかもしれません。もっともその時、日本という国家または日本人という民族が存続しているのかわからないけれど。
今夏には参院選があり、同日選も取り沙汰されています。ここで、少なくとも参院選で与野党が逆転しなければ「安倍独裁」が冗談ではなくなるでしょう。けれども野党の動向を見ていると心もとないと言うしかありません。しかし諦めたらそれで終わりです。微力ながら発言を続けていきます。

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